歴史文化都市とは何か

 北日本新聞八月十四日の朝刊が家の押し入れから出てきた。富山県知事選真っ只中のころである。そこには、当時の石井知事が高岡で行った演説の一部が紹介されていた。勝興寺の国宝指定に尽力すると表明し、それが高岡の「歴史文化都市」としての更なる飛躍につながると述べたという。
 高岡という街には、この「歴史文化都市」意外にもいく種かの異名が形容詞のごとく付されることがある。曰く、「文化創造都市」。また曰く、「歴史都市」。市の広報や、テレビ番組などでもこうした別名を目にすることは珍しくない。しかしながら、こうした主に行政が主導して流布している飾り立てられた名称はどこまで実態を表しているのであろうか。
 高岡は独特の価値を持つ街であるが、それが「歴史文化都市」「文化創造都市」といった大層なものであるのかは疑わしい。歴史はともかく、文化とは何か。工芸の発展は著しいものがあったが、高岡には「空から謡が降ってくる」と言われた金沢のような高度な文化の浸透は見られなかった。文芸もまた然り。「文化創造都市」が近世以来、めぼしい文学作品を生み出していないとなると、それは名称が実態と一致していないのではないか。無論、現在の高岡市に含まれる領域には、かつて学問において注目すべき偉業を成し遂げた人物もいた。寺崎蛠洲や五十嵐篤好などはその例であるが、行政がそうした人物に着目することは稀である。
 前記のような美辞麗句が横行する一方で、高岡では文化財の破壊が進行してきた。「本丸会館」が市民の反対にかかわらず取り壊されたのは、平成二十四年。「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」に基づいて高岡市の歴史的風致維持向上計画が国に認定された翌年の出来事である。市内の古社、有礒正八幡宮の御神木を、市側が十分な調査もなく、保存樹木の指定解除の手続きを行った事件も記憶に新しい。付近住民から声が上がらなかったら、どうなっていたことか。
 北陸新幹線もまた然り。政治家もメディアも「県民の悲願」などという標語を盛んに発信し、いつの間にかその枕詞が定着してしまった。しかし、着工前に、どれほどの県民が待望していたものか。我々は巧言によって、偽りの記憶を刷り込まれてはいまいか。
 千百億円の負債をかかえ、全国的に著名となってしまった高岡市。その市が文化財の本来の価値を弁えないままに突き進めてきた放漫な都市計画。そうした中で生み出された官製の耳あたりの良いことばだけが一人歩きする現状。現在、高岡市長選に向けてさまざまな動きが見られるが、かつての文化破壊・軽視を反省した新たな都市作りを目指す指導者を選びたいものである。

 (M記)

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