見出し画像

落葉を眺む

授業のあと、サークルの諸用で郵便局に大きな荷物を届けに行って、そこそこに重たい台車を部室に返すために4階分の階段を昇る。
なんでこんな日に限って10cmの厚底ブーツを履いてタイトスカートを着ているんだか。
台車を折りたたんで抱えると足元が見えなくなるので、一度階段を踏み外して心臓が冷えた。
あまり多くないサークルメンバーはこぞって忙しいらしい。平日の夕方だもの、仕方ない。

えいやと運び終えて、腕と太腿の筋肉が震えるのを覚えながら次の目的地へ向かう。
ふと上を見ると、校舎の隙間から見える空は群青色で、薄い雲がちぎれて散っていた。


ゼミの勉強会に行き、先輩の卒業論文に関わりそうな資料の講読のようなことをする。
今回読んでいたのは中動態についてのテキストだった。日本語には「能動態/受動態」の「見る/見られる」という動詞の他に「見える」という「中動態」があるのだ、ということからはじまる。それを信仰の物質性に応用するらしい。わたしの理解の及ばないところが多い。
例えば、注連縄は「作られる」もので、人間が注連縄を「作る」というのが一見した関係性。だけど、人間が注連縄を作る、というのは単に人間の意志によるものではなく、神が「させている」ものという面がある。信仰がなければこの行為は成立しない。というような。「する/される」という二項対立のあわいの話をしているのだったと思う。

その後飲み会に行った。渋谷の繁華街はもう大変に元気である。
薄利多売半兵ヱ、という安くてびっくりするような居酒屋で、190円のハイボールとかを飲んだ。
店内は昭和レトロな内装で、映画のポスターやら看板やらが飾られている。
怖くてトリスハイボールばっかり飲んでいた。母がよく分からないお酒は飲むもんじゃないよと言っているから。
酔っ払う心地がとても好きだけれど、最近はいろいろなブレーキがかかってしまう。健康とか、金額とか、帰り道のこととか。雑念を持たずに楽しくお酒を飲みたい。
揚げたての揚げパンがとても美味だった!



別日。

1限のある日は5時半に起きていたいのだけれど、この時期の朝はまだ真っ暗でなかなか起きる気になれない。眠りたい本能を蹴り倒して部屋の明かりをつける。手をグーパーと握ったり開いたりすると、体の末端に血が通ったような気分になって少し目が覚める。
胃もまだ寝ているので、とりあえずお湯を沸かして、ぬるま湯とカフェオレを飲む。
部屋のカーテンを開けると空の縁が少し赤らんでいた。寒い朝の空気は普通に好きなので、窓を開けて空気を入れるなどした。寒い。

のそのそと家を出る準備をして、電車に乗り、学校へ。
授業は教室にたどり着きさえすればなんてことは無いのだ。行くまでがちょっと面倒くさいだけ。

授業のあと、図書館で発表に必要そうな文献と面白そうな本を借りる。
背表紙を眺めながら気になった本を開くなどしていたら、本当にいつまでも過ごせてしまいそうで恐ろしい。図書館にはふしぎな魔力がある。

今日は根津美術館へ向かう。レポートで見学してくるように指定されているのだ。
現在催されているのは「将軍家の襖絵」展、今はもう残っていない足利家の邸宅にあったであろう襖絵を、当時の主要な様式や画題から追憶していくものである。
中国の水墨画に倣って、力強い岩山に囲まれた山水画をたくさん見ることができた。渋い。
日本史からみると、豊臣秀吉に仕えた雪舟の水墨画より少し前の時代にあたるが、わたしは雪舟の作品を見るよりなんだか水墨画ってかっこいいんだなぁと感じたのだった。

根津美術館の庭園の木々もまた色づいていて、中央の一際大きな銀杏の木からは黄色い栞がはらはらと散っている。

木漏れ日に落ち葉きらめくこみちかな
と詠んだのは小学生のときで、わたしの感性と語彙力はその頃からあまり変わっていないように思う。
秋の暖色がかった柔らかい陽光と黄色やオレンジの紅葉の光景がすき。
人に踏まれてぱりぱりに割れた桜の落ち葉はポテトチップスみたいね!
夕焼け小焼けのチャイムはもう4時に鳴ってしまう。
日が暮れる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?