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1/6 黒と白、鉄道と美術

年が明けて初めての授業日で、1限のために日が昇る前から目を覚ました。
冬の朝の空気は好きだけど、正直それよりも布団の中の方が好きなので、起きるのは辛い。決死の思いで布団の外へ出る。

今日の授業は1限だけしかないので、授業後のバイトまでの時間に展覧会に行って、バイトへ行く、という予定を立てている。

しかし、無事に教室に着いて、1限の授業が始まってしばらくしても、教授が来なかったのだった。

数日後に連絡が来たが、教授はフライトの都合で帰国出来ず、メールも出せなかったそうだ。かわいそう。

そんなことを知らないわたしたちは、自動的に休講になるまでの30分間をおしゃべりに使い、連絡を寄越さない教授への文句を時々言いながら、退屈しない時間を過ごしていた。

友人は怒っていた。
「私がゴリラじゃなくて良かったね! ゴリラだったら今ごろ暴れ回ってた。」
「命拾いしたね先生。キリスト教の授業のために朝から教室に来てるなら、相当理性あるゴリラだ。」
「理性あるゴリラも暴れるレベルだよ。」

そのあと、彼女はInstagramのストーリーで「サイレント休講」という言葉をアップしていた。
「オリエント急行」を彷彿とさせるワードセンスに呻いた。わたしもそれが欲しい。彼女はとっても楽しい人である。

そういうことで時間が出来てしまったので、予定していた東京ステーションギャラリーの「鉄道と美術の150年」展に加えて、三菱一号館美術館の「ヴァロットン―黒と白」展も見にいくことにした。
展覧会のハシゴは初めてである。
どう考えても体力が持っていかれるプランであるが、展覧会は思い立ったときに行かないといつの間にか終わってしまうものなので、行けるときに行かなければならない。

千代田線を日比谷駅で降りて、丸の内の方向へ向かって歩く。
お日柄良く、気分も良い。
まずは三菱一号館美術館へ向かっている。ヴァロットン展は、モノクロームのポスターに惹かれて行きたいと思っていたのだった。
やがて、煉瓦造りの西洋建築が現れる。
この美術館に訪れるのは初めてのことだった。洋風の中庭には薔薇が咲いていて、とても雰囲気の良い建物である。併設されているカフェにいつか行ってみたいと思う。

ヴァロットンは19世紀末のフランスで活躍したスイス生まれの画家である。
本展で展示されている作品のほとんどが白黒の木版画であったように、数多くの版画を手掛けた。
西洋において、版画の主流は銅版画やエッチングであり、多色刷も可能であるという時代に、あえて「白黒の木版画」に拘っているのが彼の個性なのだと思う。
大量に印刷をするための版画を自分の表現方法として使うという発想には、多少なりとも日本の浮世絵からの影響があると考えられる。

展示されている中で、「楽器」と呼ばれる連作が好きだと思った。
白黒の部屋の中で、フルートを吹いている女の人や、バイオリンを弾く男性、トランペットを吹く男性などが描き出される。画面の大部分が黒く、彼らや部屋や調度品などの輪郭は影によって浮かび上がってくる。
かなり単純な表現だというのに、醸す雰囲気は複雑で、どこか憂いのある色気を纏っているような、夕日の沈むときにふと真顔になる瞬間を切り取ったような真実味のある風景だと思った。好きです。

展示室の内装も凝っていて、モチーフが壁にプリントされていたり、プロジェクターで映し出されたりしているのが可愛らしかった。
ショップに行って痛感したのが、パターンを繰り返すグラフィックらしいデザインであり、白黒であるので、グッズにおける汎用性が非常に高いということだった。めちゃ大きなB2ポスターを買おうか迷っちゃったものね。
ものすごく悩んで、ポストカードを3枚買った。


三菱一号館美術館を出て、東京駅へ向かって歩く。
丸の内や皇居周辺を歩くのが好きだ。建物が可愛いからという安易な理由で。

東京ステーションギャラリーは、東京駅の丸の内北口のドームの中にある。
こちらも初めて訪れるミュージアムであった。建設当時のままの赤煉瓦の壁に作品が展示されていたのが印象的だった。

「鉄道と美術の150年」と題されているように、2022年は鉄道開設150周年であった。
わたしは鉄道について詳しくなく、この展覧会にはレポートの題材として扱ったばかりの小林清親の浮世絵版画だけを目的にやって来ている。「開化の浮世絵師」と評される清親について調べるのにあたって、文明開化の象徴のひとつである鉄道を無視するということもできない。

結局、鉄道と美術の変遷は共にある、という展覧会の意図にまんまと嵌り、150年の歩みをゆらりゆらりと楽しんできてしまった。
鉄道に触発されて生まれた美術の、なんと多いことか…!
鉄道や列車は、外国の夢の乗り物であったところから、開化の象徴となり、市民の旅を実現させ、駅を作り、街を作り、やがて風景の一部となって、あるいは不可逆的な時間や人生の喩えとされる。改めてみると、実に文学性の高いモチーフである。

現代にいたるまでの日本美術の動線には初めて見る名前も多くて、Googleの検索履歴に残しながら進んだ。
たった今その名前のひとつである渕上白陽について調べて、著作権の問題で作品のほとんどをオンラインでは見られないということに気が付いた。やっぱり図録を買っておくべきだったかな。今からでも間に合うか…!?
あとは元田久治、月映というような言葉を書き留めていた。

この日で自分の好みがよくよく自覚できたと思う。わたしが好きなのは、夜と明かり、明度の低い風景、退廃的な空間、ロマンス、ノスタルジー、そういうものである気がする。

長くなってきたのでそろそろ終わりにしようと思う。
そのあとバイト先へ向かい、1コマだけ授業をして、帰宅。
次の日もバイトだったが、頭痛の酷い日だった。
帰ってからすぐ眠って深夜に目が覚める。そのまま眠る。
本当に体力が無いので鍛えたい。
重力に逆らわずにベッドに沈み込んで、珍しく夢も見ないほどに昏々と眠っていた。ものすごく満ち足りた睡眠で、幸せな夜だった。


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