equality

9/26
履修登録期間のオンライン授業の週が終わって、今日から本格的に後期の授業がはじまる。

服の温度調節が難しいのは日中もだけれど、パジャマも例外でなく、昨日の夜はわたしに開放感を与えてくれた半袖の綿のワンピースが、朝では頼りないようなかんじだった。

朝ごはんは昨日の夜ごはんに作ってもらったものを食べる。焼いた白身魚と、冷奴と、茄子とみょうがのお味噌汁だった。白身魚は見た目と匂いから考えるに少しだけ味噌味がついていたのだろうけれど、寝起きの舌には淡白すぎて、無味のものを延々と咀嚼しているようだった。
ご飯の味がしない、と巷に聞く言葉が比喩ではないと知っているが、あまりにも悲しいことだと思った。

わたしはお味噌汁にみょうがが入っているのが好きなのだけど、それはここ最近のことで、姉が一人暮らしを始めるまで食卓にみょうがはあまり登場していなかった。姉の好みが考慮されていたからである。
玉ねぎの味噌汁も新顔で、おいしい。
鍋のシメもうどん一択から雑炊に変わったが、これはうどんの方が好きだなと思う。

ご飯を食べてから、先週だらだらとしていたせいで見ていなかった授業動画を視聴した。
イメージ人類学の講義である。

物事を平等に考えようというのは、近年頻繁に議論されてきたことなのではないかと思うけれど、真の平等の実現の途方もないことにいつも絶望的な気持ちになる。
全ての人間が同じことを同じクオリティで出来る世界ならいざ知らず、現実はそうではなくて、「平等」の定義すら各人に依るものなのでは?
でも残念なことに、平等を謳う人がいなければ、わたしはきっとこの世が平等でないことにも気が付かないのだと思う。
人間はひとりひとり神によって作られ、愛される存在なのだと聖書は言っているけれど、神様の思惑は人間に伝わっていないのではないだろうか。

授業を見終わって、早めのお昼ごはんを食べて、学校へ向かう。

最近ちまちまと読み進めていた、中島京子の『夢見る帝国図書館』を読み終わった。
主人公が上野の国際子ども図書館の前で「喜和子さん」と出会って、彼女の人生と、彼女が書こうとした帝国図書館が主役の物語を追っていくお話。
ミステリーのようで、過去図書館に訪れた文豪たちのエピソードも挟まれて、わくわくしながら読んだ。
読み終わって、今はただ余韻に浸っているだけで、帝国図書館が何を夢見ているのかを思案することを忘れていた。
ちまちまと読み進めているあいだ、わたしはずっと上野にいる気分になっていたので、明日上野へ行くのが楽しみだ。

そういえば今月は4つの企画展に足を運んだのに、文書にするのを完全にさぼっていた。

3限の授業は学芸員資格のための授業、4限は言語学の授業だった。
後者は必修でもなく、なんとなく惹かれて履修してみようと思った講義で、言語学に関してわたしは全くの初心者である。
今日の学びは、言語は意味と音で構成されているということ!
しかし意味と音とは区別できるようで、完全に分けて考えることは出来ない、とかいうようなことをソシュールという人が考えていたらしい。
哲学的で難しそうだけれど、授業が終わったときに久しぶりに呼吸する感覚を得たので、これからの授業も楽しみになった。

取り置きしてもらっていた教科書を受け取りに行ったら、想像よりも大きくて重かった。わりとしっかり図版ほどのサイズがあった。

今日はそのままバイトに行って終わり。

早く眠って明日も起きなければ。

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