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【道路族マップ7周年記念note】大人の非常識が社会問題になるのは今に始まった話でもない、という話

「しつけは大人の責任です」
公共広告機構ACが1987年度に度々放映されたテレビCMです。
当時15歳前後だったseaget少年もこれはよく見た覚えがあります。

当時なぜこんなCMが流されたのかといえば。
第二次ベビーブームでこどもの数がわんさかと増え、好き放題にやらかすクソガキどもと、それを躾ける事に疲れ果てたのかそもそも躾けなかったのか、或いは他の誰かが叱ってくれる事に期待でもしていたのか…良くない我が子を放置する親が悪目立ちして社会問題になった…のではないかと推測しているのですが。


このCMより少し前。
NHKアナウンサー鈴木健二さんが「気くばりのすすめ」という著書を1982年に上梓され、これが大ベストセラーとなると同名を冠するテレビ番組も登場します。

seaget少年、この番組をよく見ては大いに想像力を働かせていたのでしょう。
閉じた傘を持って歩く時は傘先を常に自分の足先に向ける、とか。
今の自分の考え方の土台にこの番組の影響は大いにあったと思います。

こうした著書が大ヒットする程度に、当時の大人もかなりダメな人が目立ったのだと容易に想像がつきますね。
社会が急速に進歩していく中で新しい常識に追いつけない大人が続出した時代だったのかも知れません。

今も書籍は改訂が続けられているのだそうで、全ての大人の必読図書に指定してもいいのではないかと思える、現代にも通じる一冊でしょう。


ゆとり教育の真っ只中、1990年代後半には「モンスターペアレント」という言葉が生まれます。

教育社会学を専門とする門脇厚司の指摘によると、この時期に子供が学齢期を迎えた多くの親は、概ね1960年代生まれで、1970年代後半〜1980年代の校内暴力時代に、強面するヤンキー生徒に全く注意出来ないばかりか、その不甲斐なさを一般生徒に威圧的な態度で接する教師の姿を見てきて、全く教師への敬意を持っておらず、さらにバブル景気の時期に社会に出たために、教師を愚弄している。また、バブル崩壊後のリストラなどで社会的な地位を失った人々の(公務員ゆえ倒産や失業の心配がなく、終身雇用の保証された立場である)、教師に対する嫉みもあるという。前述の小野田は、「言ったもん勝ち」がまかり通る風潮が強まっている点も、モンスターペアレント出現の原因の一つではないかと指摘している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/モンスターペアレント

イキリ散らす事が格好良くてモテると勘違いし大人をナメくさったまま残念な大人になってしまった、この世代の一部の足りていない人たち。

他者への敬意が薄く常識からはかけ離れた、自分(たち)さえ良ければ周りなんて知ったことかと言わんばかりの、まさに原人類へ先祖返りしたかのようなモンスター。

モンスターの超他責思考を恐れて公園の遊具が次々を姿を消したのもこの頃からでしたね。
キラキラネームの台頭、運動会ではみんなが1位、演劇ではみんなが主役…モンスターに振り回されて相当に世の中の頭がおかしくなったのもこの時期でしょうか。

ちょうど日本にもインターネットが徐々に広がり始め、こうした人達を「ドキュン」という蔑称で括るようになります。
語源は当時のテレビ番組「目撃!ドキュン」です。
後に進化してこのワードはDQNとなります。



そして今。
モンスターペアレントが跋扈した次の世代が大人になり、新しい大人の常識が問われる時代に突入しています。

体罰はすっかり悪しき物となり、他の叱り方を上手く学ぶ事ができなかった一部の大人たちは、こどもに叱って教えるという行為を放棄したかの如く、あるいは「叱らない教育」などと自己正当化の開き直りを見せ、やった者勝ちを放置助長する「子連れ様」「子育て様」などと揶揄される存在になっています。

大人をナメくさった次世代モンスターの育成は一部界隈で順調に継承され、社会システムがそれを見事にアシストしていますね。

極めて一部の非常識な振る舞いはあっという間にSNSに拡散され、見ず知らずの人間から一斉に非難を浴びるこの時代。

常識非常識のものさしがネットで一気に共有されて、着実に世の中の良識は進歩し続けています。
昔は許されていたのに、なんて言い訳は頭の固さを自己紹介するようなものです。
現代もまた、社会が急速に進歩していく中で新しい常識に追いつけない大人が続出している時代と言えるのかも知れませんね。

そうすると世の中の非常識はどんどん指弾されて良くなっていくばかりのはず…なのに。

何故かそうした非常識な人ほど、他人が叩かれている理由には無頓着であり、自らが叩かれると「叩いて来る奴らが悪い、被害者はこちらだ」という思考に陥りがちで結局なかなか減ることはありません。
もう自然の法則で、人類の数%はDQNになる事が決まっているのかも知れませんね。


こどもの「奇声」についても触れておこうと思います。
一部のこどもたちが日常的に超音波のような、悲鳴のような、意味のない金切り声を所構わず挙げる事が特に今の時代に増えていると感じる理由の一つに、携帯電話・スマホの普及があると考えています。

親がスマホを見たっきり、なかなか構ってくれない赤子はどうしたら構って貰えるのか。

そこで覚えるのが「奇声」です。
高い悲鳴は子が大人に危機を知らせる本能にある声であり、大人は子の危機を声から感じ取る本能を持っています。
奇声を挙げると、ようやく親が振り向いてくれる。
これを覚えたこどもは、親以外にも、構って欲しさに手っ取り早く奇声という手段を多用しているのでは…?
もしこの推察が間違っていなければ、こどもの奇声を助長しているのも、また大人という説になりますね。

ちょっと調べてみると「スマホネグレクト」という言葉があるのだそうです。
虐待の一種ですね。

奇声は他人の本能にも働いて無用な不安・心配・ストレスを強いる加害行為に近いので、これは社会全体で抑えていこうとなって欲しいものです。
なによりも、みっともない。


いつの時代にも残念な大人はいるものだ、というのはもう定説として。
ACさんにはその時代その時代に合った啓蒙活動を続けていただきたいし、「気くばりのすすめ」のような番組で大人の道徳を繰り返し説く必要があるんじゃあ、ないかなあ。

あるいは駄目な大人を再教育する事こそ、国の責任にして欲しいかも。
こどもを増やす前に駄目な大人を減らさないと意味ないですよね。

他山の石がごろんごろん転がっているネットにネイティブに触れて育った次の世代の大人たちは、もう少し周囲の反応や評価が正しく読めるスマートな層であることを願っています。
飲食店でいたずらする動画で喜んでいるモンスターの子孫はやっぱり駄目な大人になるしかないんだろうけれど。


いつの日か、この国からDQNと呼ばれる人たちがいなくなっている事を夢見て止みません。

道路族マップ7周年に添える雑文でした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。


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