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ふとした瞬間に

いつもは見ている側の人間がいつしか見られる側の人間になる。
どういう経緯でそうなったのかを誰にも説明できないことが多いのではないだろうか。

そう。

斯くいう僕も同じ。

今こうしてnoteの記事を書きたいという欲求にかられ、とめどなく出てくるアイデアをどう形にするのか未だに整理もつかないまま、今こうしてスマホのキーボードをタッチしている。

やりたいことはただ一つ。

今の僕が起こり来る出来事を、今日起こったことのみならず、これまでの経験から得たこと、学んだことを記すため。
日記でいいじゃないかと言われそうだが、敢えてここはいろいろな人たちから見られることを想定し、それでも一人の人間が晒した内面の描写によって共感を生むこともあるのではないかと考えるから。

今日はプロローグとして、最後に一つだけ。

最近朝晩冷え込む日が続いている。
街で行き交う人たちも「夏からいきなり冬が来たみたいだね~」と。
天候に関しては特に今夏は酷暑であったこともあり、より極端に感じられるのかもしれない。
僕自身寒さが近づくとお手洗いが近くなるので、グッとこらえつつも、時にはどこか近くにないのか右往左往することもしばしば。
そんなときにはやはり冬の寒さが恨めしく思うのだが、果たして実際トイレに近いのは冬だけなのだろうか?
イヤ、見落としている。
夏は夏で大量に水分を取るから用を足す回数も多いんじゃないか?
春秋はもしかすると少ないのかもしれないが、それを普通と信じ込んでいるだけではないのか?

となると、冬、寒さが苦手な理由はまた別の所にあるのかもしれない。
手足が凍える、皮膚がカサカサする、厚着が大変、いろいろ現象として出てくるだろうが、それでもその寒さを感じられる身体の調子、その対応策を実践できるだけのモノもある。
ともすれば当たり前のことかもしれないが、今日見たYouTubeのショート動画https://youtu.be/yPFyvvraJw8

何故雪山での遭難者が裸に近い格好なのか理由を知り、身体の温度調節機能の偉大さを知った。

寒いを寒いと感じられること、それでも無事に生命活動を維持しているこの自分の身体に感謝。
今日も一日無事で何より。
また明日が来て一日を過ごせることを楽しみにしよう。

それでは皆様、またの日に。


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