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昨日の深夜からTravisJapanのことちょっと考えてみたら長くなった:とるに足らない深夜noteその3

TravisJapanに思うこと、書きます。書きますつって意気込んでみてるけどいつものように、やさしいフォロワさんをはじめ誰かに読んでほしいなって思いながら書くね〜。今日も深夜から書き始めました。長いけど読んでくれる方ありがとうございます、さらっとたのむね!w

きっかけは、「結局繋がる運命だったんだよ」って友達のひとことから。何のことじゃ?って思ったと思うんですけど、早い話が、PLAYZONE出身メンバーとSHOCK出身メンバーが今こうしてTravisJapanにいることがエモいんじゃ〜って話してて。その最終地点くらいで言った彼女のひとことです。ほんとに何気なく言ったことだと思うので、拾われてる!wって思ってたら許可取らずでごめんね〜(笑)


さて。松松が加入してから早2年と少し経ち。加入当時の頃を知ってるひとも知らない人も、いろんな思い入れがあると思うからそれは一緒くたにするつもりは全くなくて。うん、わたしもいろんな思いがありましたね〜。そこはみんなにそれぞれ大切な気持ちがたくさんあるから深くは言及しないけど、ちょっと触れちゃうと思うから苦手な人は読まないでねぇ。

TravisJapanが出来てからずっとね、ずっと宮近くんにはグループがあって。でも中でも宮近くんが1番、グループってものに対しての思いが強かったときもあって(切ない。)。そう、そんな帰属意識がめっちゃ強い宮近くんを横目に、実はただの集まりって思ってた人もいたんだよってこれはもう仕方のないことなんだけど。(それを全然わるいとも思ってない!そう思っても自然な環境だったと思うからその温度差が生まれるのは理解出来るし、冷静にそう思うよ。)でもまぁぼく宮近担だからね、君にはグループがある、どこで何してても帰る場所あるって思いながら過ごしてた訳。自分が頑張ることで、グループに少しでも還元出来るのかなぁって、彼自身の中で少なからず思ったことあると思う。良くも悪くも自己利益だけみたいなことは考えない、そういうひとだと思ってる。Jr.によくある“くくり”みたいなのと、TravisJapanというグループとを両方行ったりきたりしてたこともある。彼なりに器用にチャンネル切替をしてく中で、特にPLAYZONEでTravisJapanという名前をもらってパフォーマンスしてた時間は、とにかくグループに、自分自身にも、恥じない自分でいようとしてたと思うんだ。そういったチャンネル切替の中で宮近くんのパフォーマンスについては、また別の話になっちゃうので、ここまでで少し触れておいておくことにします。今昔物語ですからね。

だけど、そういったところだと松松はちがくて。彼らにはずっとグループってなくて。でもまーー、その、ちがくて、って言うほどみてないし、さてこれを語るには自分ではちょっと足りないものが多すぎるなぁ…と思うので、核心に触れるというよりは遠くからみてきたことを並べるくらいしか出来ないのだけど。宮近くんと松松が目に見えて同じ画面にいたのはセクバ時代、それこそ彼らにも一時的なグループとかくくりがあったりしたけど、本当に一時であったなって当時の外野的な記憶からも思う訳で。それはもう、頑張ったことを還元するとかいう思考回路は己への還元でしかなくて、孤独な闘いだったと思う。うん、、。SHOCKに立っている時もそう、ひとりぼっちだった訳じゃないけど、それぞれに独りだったんだよねきっと、2人とも。

ある記者さんのツイートで、「ずっと2人暮らしだった松松に、大きなおうちと家族が出来た」って表現があって、なんて素敵なんだろうって思うとともに、うちへようこそ出来るほどなんか立派な家でもなかったよなぁ…って思ったこと思い出したりする。よく来てくれたよありがとうって今でも思う。

こう考えてると、ずっとTravisJapanの宮近海斗くんをみてきた側からの視点でしかないのだなぁ…と、いつも思うのだけど。TravisJapan加入前からの松倉担とよく話すようになってから、その思いを知るところになりいろいろ思うのよね〜。今でこそトラジャのいろんな話を聞いて理解も出来たけど、TravisJapanのこと、ほとんど知らないままだったから、あの時倒産しかけの会社に入りたいっておもわないよ!wって言われて、やー、ほんとその通りねー…って思ったりw わたしは、いつの時代もその仲間の背中を見送ることしか知らないから、入ってくる側の気持ちなんて想像するのも難しかったなぁ…、、感謝こそすれ、今こうやって話せるようになりましたよ〜って。あの時それぞれの立場で一緒に立ち止まったこと、悩んだこと、とにかく寄り添っていったそのことが、それぞれに少しずつ形になって報われている証拠なのかもな…って思ったりする。

(TravisJapan存続の危機だったんだよって言われることあるけど、実はわたし個人は一回もその危機感じたことない。って言ったら、え、あほなの?ってびっくりされるかもしれない(笑)いや、鼻水垂らしてぽーっと眺めてた訳でもないんだけど!w 自担が必死に守ろうとしてるグループをそんな風に思う方が違和感だっただけでね、うん。それはちょっとくやしいので思えなかったな〜ってだけ。)

TravisJapanで、宮近担で渦中に居たからこその思いがもちろんわたしにはある訳だけど、松松側にいた彼女にはその事情はまったく関係なくて。そりゃそうで。w 今日それを全部言葉には出来ないけれど(人の言葉を借りて並べるばかりになってもそれは違うし!)。あの時はね!って話せる今に感謝してる、すごくほんと、これは。

で、今の7人になる、その運命ってところ。あれから、一歩ずつ一歩ずつTravisJapanとして歩んできて今、やっっとまたTravisJapanになったんだなぁって思う。概念的なところだけどw  間違いなく、松松が入ってブラッシュアップされた魅力が数えきれないほどある。ステージングはますますアイドルらしくなり、舞台上でのショーマンシップにもまだまだ若いながらも年齢と経験を重ねるとともにその深みが出たと思う。この相乗効果ってこんなもんじゃないと思うから、これからがもっともっと楽しみで仕方ない。楽しみすぎて時々くすぶってるようにもみえるくらい!!(笑)

近年、単独公演を横アリで2年連続で出来ていて、自分たちの「虎者」って単独舞台も終えて、来秋にもそのステージは待っていて。最近はなんとMステにも出てね、雑誌にもたくさん出てね、、なんかいっぱいだよTravisJapan過剰摂取で痛風になるくらい贅沢で、。すごいんだぁって、何回も思う。みんなの顔つきもどんどん良くなってく。何って根っこにPLAYZONE、そしてSHOCKを実感として知っている人たちがいるグループ、そんなの強いに決まってたんだなって。やっと体感としてじわじわと感じられるようになってきた。ダイレクトにその舞台曲を披露されたからわかりました!みたいな単純なことではなくて、そのパフォーマンスに滲み出るショーマンシップとか意気込みみたいなところに感動して涙が出てくる。

記憶に新しいのが千年メドレー。伝統のあるパフォーマンスだけど、ジャニオタだからといってどの世代も誰彼知っている訳じゃない。わたしも聞いてはいた、、くらいで、縁遠いものだと思ってたけど。その伝統を引き継ぎ、どこに出しても恥ずかしくないものをステージの上に完全させるということにおいて、PLAYZONE、SHOCKといった伝統のある名高い舞台の一端を担った経験のあるTravisJapanにしか、なし得ない楽曲だったのだな〜って思うと、改めて誇らしく、嬉しくも思う。(いや、あれでもまだまだらしいですけどね!!w これからも磨いて磨いて、数年後もずっと踊っていてほしいなって思う……)


ぼく個人的にはね、いやずっと個人的な話しかしてないんだけど、、個人的にはw 今、すごくすごく良い波を掴みながらも、TravisJapanたちはTravisJapanのこと好きなのかなぁって時々考えたりする。もう癖なのかもね、無意識のうちにそういう確かめ方をしてしまうことが(笑)その思いがみえたりみえなかったりして、不安になることをどーかどーか、、ゆるしてほしいし、うん、自分のことは自分でゆるそうね〜、。って思いました今。自分の答えは宮近くんに、そして現場にあるということ、こうやって言葉にしながらまた思うのですよ。もしまたなんかもぞもぞしてたら、またもぞもぞしてんなお前何wってな感じでこう、変なのーって思いながらいてやってください。w


なーんてすごい長くなったわぁ〜誰が読むのよこれ〜〜って考えてたら、とらちゅーぶ流しながら書いてたんで、テールバーストヤバースト(キリッ って画面で言ってますね自担が。あほですね〜(笑)なんか真面目に(?)考えてみたりしたけどこれだからw このパターン何度目ぇ〜って思いながら。この辺で書くのおしまいにしようかなと思う今日は。長いなほんと。



ここまで読んでくださった方、ほぉんとにありがとう(cv.げんげん)


すきです。




よんだよ💋っていいねとかでおしえてくれたら、書いたひとうれしい。


Sea.




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