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とるにたらない深夜noteその4。僕らしく、君らしく、なんてね


思ったことを書いてみよ!!そう思ったのでつらつら始めるよ。いつものとるにたらないことです。こんばんは〜。てきとーでいいです。

先日キャスとかやってみた〜!(来てくださった方ありがとうございました。)キャスするまでに、自分比すーごいなんかいろいろ頭の中いっぱいに宮近くんやトラジャのことを想う時間を過ごしたから、もうやらない!!って思っている(笑)いつかまたやっても5年後とかになると思うけど(そしてやっぱやらないと思うけどw)その時も宮近くんのことは好きなんだろうな〜。やべ〜、歳重ねたトラジャかっけ〜。そんな風にまあぼんやり思う。5年後わたし何してる??それはさておき。

頂いたマシュマロから出来るだけシンプルにお伝え出来れば嬉しいなと、いろいろと話すことを考える最中で思ったことがあって。

それは、あの時みたいに今現在も大切に出来てるかなぁ、、ってこと。ぶっちゃけ昔と今どっちがすき?って質問も頂いていて、その時に答えた気持ちも嘘じゃなくて。それはどっちもすきなのだけど。

毎月たくさんの雑誌からスポットライトを浴びるTravisJapan。他にもインスタがあったり、毎週更新される動画が楽しみでいられるってこんな贅沢ないなっていつも思う。普段の生活で、コンビニにある雑誌の表紙にTravisJapan(という文字だけでも)がいる時代がくるなんて、やっぱり夢みたいだと時々思う。しかも途切れることなく。

ただ、そうしてたくさん流れ星みたいに過ぎていく情報を中途半端なまま置き去りにしたことが何度もあるかもしれない。って自信をなくしてしまった。誰でもないむかしの自分と比較して、である。事実、たぶん今知らないことのほうが多い。好きなタイプも知らない(知らないからたぶんわたしみたいなタイプだって思って生きる)。今最新のすきなたべものを知らない。一生たらこパスタでいてくれないとわかんなくなる。

そして、そもそも“情報”…、ではないはずで。

全部温度を持った血の通った言葉なのに、自分のキャパは飽和状態で受け止められてない。その供給は思っている以上に膨大で、誰がどう切り取っても自由だからこそ見たいようにしかみえない中で見えてくるアイドル像もたくさん出来上がってきて、たぶんズレも生じる。

名も知らぬ誰かとその落差を感じたときに、宮近くんはそんなじゃない、ちがうのに…とか思ってしまう。これは自分自身が大変面倒な生き物だわと思った。誰のせいでもない。そもそも誰かのなにかとわたしの何かを照らし合わせる必要なんてないのに。

でも、ついついやってしまうのは、今まで自然とそういう風にしてきたからだと思う。

そういう自分の感性の答え合わせ、みたいなこと。何度も繰り返してやってきてた。Twitterの中にはその答えがたくさんあって、共感することであんしんしたり納得したり、嬉しかったりしたものだったなって思う。自分と似た答えを持ってるんだ…って感じてた方、いわば気持ちのよりどころみたくしてた存在が少しずつTravisJapanや宮近くんから離れていく今を感じることもあって、さみしく、思う。

キャスで何かをお話しするまでの1週間ってのが、むかしばなしとなってしまった(いわゆる1幕と呼ばれる時期)、その記憶のかけらを整理する時間でもあって。じゃあ逆に、最近の自分の感情の記憶は何が残ってるかなぁ…って思い直してみたりしてたらこんなnoteになってしまった。

わたしはこれまで宮近くんを好きでいることで、コンサートにおけるその感動の積み重ねで心が豊かになった気がしたり、明日も頑張ろ〜って元気になったり、日々小さなことが幸せだなって思えてたりしたんだなって思う。今もずっと変わらないはずなのだけど。

だけどそれは、なんというか、そのペースを何かに翻弄されたことがなかったからなのかな〜って思った。これからもそうやっていたいのだけど、なんとなくそうはいかない気がしている。何か、ってのも漠然としてるけど。たとえば時々見かける、“数字”“順位”とかかもしれないとふと思ったのでそのまま続けてみる。なんか今さら感もある気がするけど、たぶんこれは、自分の中でくつくつと煮えてたものだ。

トラジャが時々、努力の先にあるパフォーマンスから得られる結果じゃなくて、目に見える結果から背中を押されて得られる何かを優先してるようにみえることがある。(あった、という方が今は正しいかも。)それがわたしにとって違和感なだけで、むしろアリというかそれが賢いやり方なのかもって、最近は自分なりの理解を寄せるようになってきた。エンタメ業界のことはよくわからない。ビジネスをする人間としての宮近くんが置かれている状況も正直上手に想像出来ない。あくまでも個人的な感覚なので何が正しいとかでもないと思う。わたしなりに、心が喜ぶ選択をしたい。いつだって自分の目に映るのはいつもエンターテイナー、太陽みたいな宮近くんばかりで。

数字とか順位とか、そんなのバックになくてもパフォーマンス勝負で、そのステージにその身ひとつで闘ってきたことで、今TravisJapanが在るということにどうか誇りを持ってほしい。そんな風に感じることがある。

何度も心が折れそうになったとき、数字や順位みたく、確かに誰かに可視化された評価ってきっとなかったけど、そのパフォーマンスの熱量とか負けない気持ちで何回も立ち上がった強さがあること忘れないでほしい、だからそこにいるんだよって、なんかそう思った。数字も順位もわたしにとっては後付けでしかなくて、近年急に欲しくなったものみたいに感じてしまうのだ。

TravisJapanは強い。

何か目に見えない力に埋もれそうになる中で、わたし自身がそのことを忘れないでほしいって自分に言い聞かせる。TravisJapanのすきなところはどこ?

そして、わたしがその何かたちに、ついつい翻弄されている間にTravisJapan自体の勢いは瞬く間に光速になった気がする。いつからってのも具体的にはもう覚えてない。微かに8.8という数字は見えるけど、わたしにとってはそれは区切りじゃない。これは宮近くんがanan(No.2714)で言ってたこととなんとなく解釈が一致していて救われる。もし違ってたら、今頃どうしてたんだろう。(これは以前にこんなnoteにもしてみた)

TravisJapanが光速になっていることに気がついてるけど、わたし自身が心のアンテナでTravisJapanにおける好きなことをキャッチするスピードは実はあまり変わってなかった。これびっくりするけど、今日ついさっき気がついた。そして、のんびりしていると心のキャパはすぐいっぱいになっていく。少なからずついていけてると、思ってた。

心のキャパが飽和状態になった分、動きの鈍くなった頭は、宮近くんの今をどれだけ純度高く捉えられているのか、ただでさえ盲目だというのに、わたしはこれからもわたしのフィルターを信じていいのかな、。いや、どう頑張ってもわたしのフィルターしかないのだけれど。

宮近くんが前に「息抜きをするように好きでいて」って言ってくれてたのがやさしくて、やたら響いて残っている。時々、声に出して言ってみたりする。深呼吸出来る。

もしかしたら、気づかないうちにもうふるくなっちゃったかもしれないフィルター、今のペースのままだとちょっとうごきにくいかもしれないわたしなりのリズムを、わたしのために大切にしてみようと思う。


もう少しだけ。




読んでくださった方、ありがとう。


Sea.




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