ステ◯ビ咀嚼。なんだか巧く乗せられている気がする自分の中の思考ループを断ち切る深夜note


例の記事のトラジャたちの発言がまるっきり嘘だとは思わない。ほとんど事実だ。が、しかし違和感がある。これはこの後味の悪さから、わたしがわたしを救うためにわたしのド主観で書く。だからズレてるかもしんないけど、まとまらないと思うけど誰か読んでくれるかもしれないから書く。全集中水の呼吸、伍の型、干天の慈雨。みたいな気持ちでこのくるくると終わらない思考を断ち切りたいなと思いながら。(鬼滅誰か伝わって。)

(そもそもステ◯ビって曰く付きなのね〜!wって思いながら咀嚼した。深夜のとるにたらないことです。でもとるたらシリーズにするのは癪だなって思ったから単発note。とるたらシリーズって何よね。読んでくれる方ありがとう、ゆっくりしてってね。いっぱい書いてるけどほんとテキトーで良いよ。こんにちはこんばんはおはよございます)

そもそも舞台やコンサートをみて生まれる感想ってね、観客それぞれの人生の経験値や、その人が生きてきた中で培われた感性で感じたことで心が動いていくものだと思っていて。その時の演者側、受け止める側のコンディションもあって。その時に生まれる感情や言葉って、それぞれの人生の瞬間を映す鏡だと思うのよ。そこに生まれたのがプラスの感情であれ、マイナスの感情であれ、深いとか浅いとかも気持ちって測ることは出来ないもので。たった一言なのに、めちゃくちゃ深いって感じることもあったりする。たとえば、140字以内に言いたいことが余すことなく凝縮されたツイートなんて見た時にはいいねを強く押しすぎて画面割る勢いよ。
まあだから何が言いたいかというと、観客の感想までコントロール出来ないことなんて当たり前だし、TravisJapanがそんなことを理解してない訳ないはず…!なのに、どーしてか心がサスサスソワソワする言葉たちが並んでて、読後の後味の悪さが頭の中でどうしてもぐるぐるしてしまう。まるで、「作品を観た後の正しい感情の抱き方と、出てくる感想の種類」まで示唆されているようにすら思えるから。いつからそんなに偉くなったん?って率直に思ってるけど、このままじゃたぶん誰かの思うツボなので、この感想が誘導されたものかもしれないって仮定して、わたしなりに少しずつ紐解いていく。この違和感を意識して行間を読み解きたい、このままではなんか悔しいから。

なっがい記事の前半は取り止めもない平和な話だな〜って読んでて後半のマルチアングルとかなんとかの話からちょっと話の雲行きが怪しくなり、そうしてるうちに「作品」のそのもの見方の話へと流れていく。
勝手に要約すると、演者の外観だけじゃなくて、その作品全体や中身そのものまで知って感じてほしいという話。これ、誰に言ってるんだろう。リピーターが前提になってないか。
例えば、“初めて”自分の目で本物のシンデレラ城を目の当たりにして、綺麗!って思ったとする。それしか言えなかったらそれは作り手が欲しかった感想とは異なるのでシンデレラ城を正しく見てもらえた、とは言えないですねってなるのか。そんなわけない。みんながみんなあの風間くんみたいなコアな感想を抱き、素敵な言葉選びが出来る訳じゃない。
で、なんだかんだ読み進めると、

送り手である「作り手」のことも考えてほしい。

とくる。
「作り手」のことを少しでも考えたからこそ、昨年の虎者の、ちょっとよく分からないアート感のあるめまぐるしい情緒ストーリーの中に立つ自担の心労を想像して憂いた日もあったのに。そこに注がれる情熱やそこにかけられた時間が必ずしも好意的な感想と比例していく訳じゃないことくらいわかっ……、ほんとにこんなこと言ってるんだと思うと悲しくなってくるけど、そもそも誰のことを想像して「作り手」って言ってるんだろう。
作品そのものをやべーなって思ってから良くも悪くも「作り手」マジか。って思うことだってあるよね……。

ファンに表面的な事しか感想を抱いてもらえなかったら「俺の力不足なんだな」と思うな。

これだと「この御作品様」のことをファンに正しく伝えることが俺たちの本来の役目だ。みたいにも受け取れてしまう。それはもちろん大事。だけど、なんていうか、だったらそれはTravisJapanがやってる意味がない……、気がする、。「作品」のその本質的なところをもっともっと上手に伝えられるプロはたぶんたくさんいて、そうじゃなくて。わたし、TravisJapanがどんな作品であれ、その“瞬間”と向き合う姿を美しいと感じるひとなのですけどそれではだめなのでしょうか、、って思える言い回し(というか、書かれ方なのかもしれない。わかんないけど。)だ。

「おしゃれはおしゃれな人にしかわからない」みたいに、ものづくりや創作をした経験がない人は、なかなか創作物の作り手に想像力が働かないってことなんでしょうか?

ちょ、この質問すげくね??()
ん!な!わ!け!!!!!!!!!!!!!すぎる(笑)
舞台やコンサート、その創造物を受け止めているのはその観客の人生そのものだ。ってわたしは思ってるので、余計に意味のわからん質問すぎる。TravisJapanを自身のコアとして見つめている人もいれば、TravisJapanなんてちっとも知らなくて、ライトにその舞台そのものを楽しみたくて来た人もいる。観客にはいろんな人がいる。
「おしゃれはおしゃれな人にしかわからない」かもしれないけど、「おしゃれでしょ」って提示されたものを「おしゃれですね」って思えた人だけが正義なのかというとまったくそんな訳ない。「おしゃれな人」の定義も人それぞれ全っ然ちがうのに。それってめちゃくちゃつまんない話してる。
でもこれ、、ある意味質問が巧い…、!と思った。インタビュイーの気持ちを肯定し、話の流れに味方しながらの非常に限定的な質問。(そう聞かれると、「そうですね」とか言っちゃうか、そうよね〜、。)

そうしてついに愚痴大会が始まってしまった。

人は自分の内側にあるものしか外側から見ることができないから、自分に何もなかったら何も感じてはもらえないと思うな。

たぶんこれで一気に火がついた(笑)内側とか外側とかよく意味はわかんないけど。誰に対して言ってるのかが今までの会話の中で綺麗に消えているので、もやもやとした違和感を感じたまま読み進めている読者のわたしが言われているように思えてくる不思議。
前述したように、舞台やコンサート、その創造物を受け止めているのはその観客の人生そのものだ。って思いや感覚を持っていればいる程、否定されたように思えるけど、ほんとに特に何も考えずにチープな感想を投げた誰かがいるんだと思うから。
まあそんな人もいるよね!って話である。そりゃ一生懸命作ったものを適当にされたらかなしくなっちゃうし、愚痴っぽくもなるよね。だから「誰」っていう肝心なところが、ふわふわと行間に消えてる気がする。
「ファン」って言われるとみーんな含まれるから、読んだひとはもやもやしたり悲しくなってしまうんだと思う。

TravisJapanさん、俺たちが絶対的正義!のアホ集団の愚痴対談みたいになってて、ま???????ってなるのである。ま???????発言もあったんだろうし、そういう話の流れになったんだろうし。記事にあるようなことも言ったのも事実だと思うから悲しい。
たぶんトラジャが総じて嫌悪感を抱いているであろう、「本質を見ようともせず、浅くて中身もないくせにつまんない感想を投げてくるやつ」はきっとこの記事を読んだりしてないのに、その抽象的なイメージに対して語っちゃってるからただの愚痴座談会を読んでしまっているようで、後味がかなり悪いんだろうなと思う。

それまで虎者の話をしていたはずなのに、途中でJr.祭りのことも絶妙に絡むから話がややこしくなる。そのせいで作り手側が受け止め感じてほしい「作品」の範囲が一気に広がっていく。

素材調達から、シェフが丹精込めてかけた手間暇を専門的な見解から豊かに鮮やかに想像し、シェフが嬉しいと思える言葉を(嘘でも)つらつらと並べた感想が言える人だけが来てください。ってなったら、ヤバイでしょ。その店が長くないってことの方が想像にた易い。
もっと良くしよう!みんな美味しいって笑顔になってほしい!ってシンプルに思ってきたからTravisJapanの今があるんだってわたしは思うんだけどな……
TravisJapanのハッピーの作り方がわたしは好きだよ。



わたしは今、TravisJapanがどう“在る”のか、画面の向こうから伝わる熱量を今自分が出来る限界値まで想像して、意識して受け止めようと必死だ。配信という形ならではのメリット、デメリットを両方感じながらでも、今想像し得る範囲で自担をはじめ、TravisJapanのことを想っている。
少なからず、演者側の“伝わってないかもしれない”不安と、観客側のダイレクトにレスポンス出来ないもどかしさの間で、変に歪んで溝が出来ないことを祈る。その溝が深まりそうでこわくもなった。

TravisJapanはSNSの手軽さやそのメリットを利用して、なるべくファンの身近にいられるように頑張ってる!ってわたしは思ってる。SNSコンテンツの功罪はもちろんあれど、“無料”の世界からどれだけファンが増えて、“有料”でも観たいって思う層まで持っていけたかも感覚として掴んでるはずで。
だけどまた、「心がケチなやつ」が話の主軸になってるとただの愚痴大会になってしまう。無料コンテンツを見てる全員「心がケチ」みたいになってるので笑うしかない(笑)それならTravisJapanもYouTube観てるからみんなケチである。そういう話をしている訳じゃないはず。
安価なクレーマーに対して、貴重なご意見ありがとうございます!なんて心から言える人のほうが少ない。言葉を選びながら、心配しながら伝えようとしてくれるファンはたくさんいる。

いよいよ文の中に「俺たちのファン」って言葉が出てきた頃にはもう心がサスサスしてるので、その時点でもう全然良い気がしていない(笑)そしてその肝心な「俺たちのファン」は7人のわちゃわちゃで納得するって話になってる。
さっきまで作品そのものをみてくれって話しとったやないか。俺たちごと作品そのものを受け止めてくれやの意志どこ行ったんってなるのである(笑)ここのしめの話は、しめであることを踏まえなくてもわけわからん(笑)

後半の話でトラジャをヒートアップさせた主軸はおそらくその「よく考えもせず心ない言葉を投げる浅はかなファン」だったのだろうけど、上手いこと主語が抜けてたりするから、まるで自分のことを言われてるかのように受け取れる文章もあってもやもやしてしまうんだなーって思った。

実際、楽観的になれないのもわかる。丁寧に現場を作る人たちだからこそ。“現場”の生の温度を大切にしてきた人たちだから、配信が主流になってしまっている今(そうせざるを得ないから仕方ないって分かっていても)、プラス思考になれないのも当たり前というか、むしろ慎重になってしまうほうが正しいのかもしれない。
SNSで流れてくる声を頼りにしなければならない程なのだからよっぽど不安なんだろうなって思う。SNSの声は補助輪くらいであってほしい、な、って個人的には思うんだけどね。手のひらサイズの膨大な世界で、真顔で笑った泣いたを言っている場所でもあるから。だから、気分悪いやつまでみなくて良い!!これ基本!!!


大歓声の中にいた時の感覚やパフォーマンスに対する手応えをダイレクトに感じられた瞬間のことを少なからず想像してるんだろうなって思う。拍手や歓声でその気持ちを会場の空気として伝えられたあの日のこと。わたしはいつも想像してる。早くその“当たり前”が戻ってきてほしいなって願ってる。
お互いに不安になってしまうほどに両想いというか(笑)
宮近くんがEnterオーラスの締めでTogether nowにかけて、「たしかなものなんてない、だけどずっとみんなを信じていきます。」って言った時、率直に頑張れ( ;  ; )って思ったんだよな…、、。いや、もう十分に頑張ってるんだけど、今の状況下だとどうしても「信じる」ってパワーのいることなんだなって思う。
目の前に“無い”観客を信じるのって難しいけど。それってきっと“このご時世”に求められるスキル的な側面も出て来るのかなと思った。信じるって言っても、いわゆる勘違いと紙一重な部分もあるから、そりゃ慎重にもなるよね。

今の状況下、画面の向こう側で呼吸しづらいって思うこともあるのかなって思うけど、想像し得る限界だってあるだろうけど。虎者でまたお客さんの反応をダイレクトに感じられた瞬間に、お互いの呼吸が少しでも楽になれば良いなと思う。


きっと大丈夫だよ。


てな訳で、わたしがわたしを救うために書いた記事でした〜!!長いな。読んでくれた方ありがとう。
みんな少しでも心も身体もリラックスしてゆっくり休んでね。秋めいてきたし、なんだか気分がさみしくなる日もあるけど、そういう季節じゃん。あったかいものでも飲んでちょっとでもぽかぽかしてね☕️



「いつかまたTogether nowしましょう。」


Sea.


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