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とるにたらない深夜note9.みな実さんのプロフェッショナルをみて、宮近くんに想いを馳せた。


求められる側、の努力や思い。
宮近くんを想うたびに何度か想像はしてみたけど、その実際のところは分からないまま過ごしてきた。今も知らずにいる。知らないことがむしろ礼儀とさえ思っているかもしれない。

今夜はストイックに求められる自分を磨き続けるみな実さんのプロフェッショナルに感化されて、なんとなく宮近くんにも重ねて思ったことを素直に書いてみた。

(なんだか最近とるたらをよく更新する。
ゆっくりしてってね。てきとーでいいです。
覗いてくれて、ありがとうっ。)


「プロフェッショナルとは、
相手が望む以上のものを安定的に供給できる人」

ってみな実さんが番組内で言っててハッとした。
きっと、いや間違いなく、宮近くんもそのひとりなんだろうな、と。

“求められる側”のひとり。

番組の中で、みな実さんが「飽きてないですか?」と繰り返してスタッフに聞くシーンが印象的に切り取られていて。この言葉、なんだか自分に問いかけられているようで、ビシビシと心に刺さってきた。

なんかこんなふざけたことも言ってるけど(笑)
飽きないって、、すごいことなんだよね。



ステージで観るたびに、かっこいいを更新してくる宮近くん!( ;  ; )って思えるのは、図り知れない努力の先でステージに立つ“宮近海斗”に出会えてるから。
そしてその出会いの度に生まれる期待以上の感動に、幾度となく突き動かされてきて今に至る。つまり、わたしにとって「望む以上のものを安定的に供給」されていた状態にあったというか。飽きたことなんて1度もない。もちろんステージに映るパフォーマンスだけでなく彼のパーソナルな部分を好きだってことも大いにあるけれど。

宮近くんにみる夢にこれまで何度も惚れて底まで堕ちたって、こちらは常に「飽きて良い、離れて良い」そんな自由の中にいることが、いつもどこか頭の片隅にある。時々、宮近くんも求められる側としてそのことをちゃんと理解しているんだな、って感じるから切なくなる。

千年メドレーの“いつか消える”って歌詞にそんな寂しいこと言わないでよと想いを馳せる時、ついついそれを歌う彼らの姿やステージそのもののことを想ってしまうけど、いつか気まぐれにふわりと消えてしまうかもしれないこちらの気持ちのことまで歌われているんじゃないかとドキリとする。

どんなに大好きでいたって、もしかしたらいつかは……。いわゆる担降りであったり、おた卒とかいろいろ。わたしは過去に推し的存在から一度離れた経験があるから、絶対無いとはやっぱり言い切れなくている。
その理由は様々。生活の中で、彼らがどんな風に存在してるかなんて人それぞれだし、何がきっかけになるかもわかんない。
(中には、離れたくはないけど止むを得ずの形だってあるのだろうけど…、今はこちらから自然と離れてしまうかもしれない気持ちにフォーカスしてみる。求めなくなる瞬間は誰しも訪れる可能性があるって意味で。)

そしてその自由があるからこそ、こうして楽しくいられるんだろうな…って、改めて思ったりもするのだけど。

宮近くんに自分の時間を預けるたびに、わたしは望んでその甘やかな不自由さの中にいる。いつ離れても良いのにって何度も頭の片隅に思いながら、惹かれるままに陶酔することを選んできた。
わたしは人より飽き性で、とても気まぐれだと思うからブレずに魔法にかかっていることを尚更奇跡に感じる。

そこに何か義務感や責任みたいなのは存在せず、好きな時に好きでいられて、宮近くんの努力の先に魅せる“宮近海斗”に惹かれるままに今までついてこられたことに、心から感謝したいなって思った。




「今 僕らのステージの輝きも
ときめきだけを 
あぁ 感じるための幻さ…」





今夜は、宮近くんがソロコンで言った「いつも」ありがとう。の余韻がまた違って脳内に響いてくる時間を過ごした。








はぁーあ、ツアー行きたいね!


Sea.



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