リョータの「○の表情」。スラムダンク映画「THE FIRST SLAM DUNK」のここが良かった!その5。
※思いっっきり映画のネタバレしてますので、気になる方は読まないでくださいね。
今回の映画「THE FIRST SLAM DUNK」の主役は、原作とは違い、2年生のPG・宮城リョータが務めている。
リョータの視点から描いたインターハイ二回戦・対山王工業戦の攻防と、同時進行で沖縄出身のリョータが少年期に体験した喪失と成長、バスケを通して呪縛から解放されるストーリーが、並行して描かれている。
何度か映画を観て、もちろんリョータ自身の壮絶な体験や辛さ、そして「バスケだけが生きる支えだった」という言葉の意味の大きさ・深さを強く感じるが、リョータ自身の人柄の描き方も、原作とは少し異なっていたように思う。
原作のリョータはひと言で言うと「チャラい」。
丸いサングラスをかけてエナメルバッグのショルダーを額に引っ掛け、静岡遠征から帰ってきたシーンは、リョータのチャラさを見事に体現しているように思う。カッコよかったですね。
アヤちゃんのことを一途に想い、忘れるためにほかの女子に告白してはフラれる(それが花道との和解のきっかけになるのだが)、軟派キャラだ。
人との距離も割と近く、挑発に乗りやすい面もある。
なぜか原作での入浴シーンを一手に引き受けているという、不思議な役割も担っている(どうでもいいですが)。
対して映画の中のリョータは、その中に空虚を感じる。幼いころに父と兄を立て続けに喪い、人との縁が極端に薄いキャラクターとして描かれている。
母親とは思い合っているのにそれが通じず、確執がある。幼い妹はその間を埋めるにはまだ幼い。
もっと顔を上げ、広い視野で周りを見渡せば、周りに自分を愛してくれる人がたくさんいる、ということに気づけたのだろうが、幼く孤独なリョータにはそれは難しかっただろう。
甘えん坊なのに人見知り。自分をうまく表現できない性格。
そんなリョータの人柄を、如実に表していたのが今回の映画の「手」の描き方だったように思う。
例えば、バスケとの決別のために段ボールにしまったバッシュを、再び取り出すときの、ガムテープを剥す手の表情。
また、誕生日でもあったインターハイ出発の前日、湘北高校のユニフォームを、ひどく丁寧にたたむときの、優しい手。
そして、「心臓バクバク」の時にそれを気取られないよう、学生服のポケットにしまった拳。
山王戦のさなか、彩子が書いたメッセージを見つめた先の掌。
試合後、神奈川の海岸で母親と対峙したときに、やはりポケットにしまい込んだ手。
ボールを扱うときとはまったく違う、多彩な表情がその手に宿っていた。その手は決して荒っぽくなく、むしろとても優しく、温かさが伝わってくるようだ。
心根の優しさ、一見するとチャラい雰囲気の中にあるホッとするような柔らかさが、その手にあらわれているように思う。意識的に、ゆっくり、丁寧に手の動きを描いたのではないか、というシーンがとても印象的だった。
映画の中のリョータは決して強くはない、むしろ脆くて弱い。でも、その内側には熱い意志があり、失ったものに抗いたいという思いがある。その滾るものを、バスケに乗せて、彼は戦うのだ。
人は多面的で、一見すると軟派で軽いイメージのリョータにも、見えていなかった一面があった。原作当時には描き切れなかった、そんなリョータの「分厚さ」が、今回手の表情からしっかりと伝わってきた。
井上雄彦先生がその当時の自分の身長・体重をそのまま当てはめたというリョータに、複雑で厚みのある人格を見出していたというのは、なるほど納得だ。
試合の終盤、三井が3Pシュート+ファウルを誘ったシーン。
映画では三井が膝を抱え(チューしてるらしいです)、その三井を宮城が手を引っ張って起こし、チェストバンプ(胸と胸をドン!とやるやつ)をしているシーンが、小さいが描かれている。
あの時、三井にどんな気持ちで手を差し伸べたのか。いつも、スクリーンの左下の小さなそのシーンに目が釘付けになっている。
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