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「当たり前」のメガネを外すこと

7/1。今年もあっという間に上半期が終わってしまった。

そんな今日は、午前に大阪市立大空小学校の元校長である木村泰子さんの講演会が小布施で開催されていて、とても印象深かったので感想を書いてみたいと思う。

大阪市立大空小学校は、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」で一躍全国区になった学校。2006年に開校された比較的新しい学校で、「すべての子供の学習権を保障する学校をつくる」を理念に、開校時から校長を務めた木村先生のもと、ユニークな学校づくりを進めてきた。

facebookの公式ページより

すべての子供の学習権を保障するためには、教職員だけでは手が足りない。だからこそ、地域住民や学生ボランティア、保護者らにも学校運営に主体的に関わってもらい、学校を開いていく。

一般的な日本の公立学校であれば特別支援学級など別の教室で学ぶような障がいのある子供たちも、同じ教室の中で、一緒に学ぶ。

生徒の多様性を尊重し、むしろその多様性を子供たちや教職員にとっての素晴らしい学びの機会として捉えなおす。

唯一のルールは、“自分がされていやなことは人にしない 言わない”こと。その約束が守れないときには、校長室で木村先生とガチンコで対話する。

これらを通じて、子供たちが安心して学べる学校づくりを進めてきた、そんな学校だ。

大空小学校は、その理念がとてもシンプルだ。だからこそぶれずに取り組みを進めてこれたのだと思う。でも、今日本人の話を聞きながら、その理念だけでなく、木村先生の「あり方」そのものが、すごい影響力を持ってこの学校の文化を作っていったんだろうなと感じた。

中でも一番感動したのは、木村先生が持つ、「メガネ」の外し方のうまさ、そして、困難な状況を好機(チャンス)として捉え直すことができる目線の高さ。どちらも「マインドセット(動機付け)のうまさ」と言えるのかもしれない。

人間は誰でも、これまで積み重ねてきた経験値の中から物事を判断する癖があると思う。過去の経験に基づいて、「〜は、〜だ」という判断の抽象化や変換が頭の中で行われていて、それ以外の可能性を、無意識のうちに排除していたりする。

例えば、「学校とは勉強する場所だ」という定義付けをする人がいる一方で、「学校とは、仲間を作る場所だ」という人もいる。これらが正しいかどうかは別として、どちらも何かしらのバイアスや、それぞれの「メガネ」のもとで学校を定義している。

同じように「障がいのある子どもは、特別なケアを別枠でやらなければならない」「学校では、こうしなければならない」「教室で走り回っている子供がいると、他の子供の勉強の邪魔になる」「静かに黙って話を聞いている状態をつくることが、教室運営の正解だ」などなど、学校運営においても、きっといろいろな「メガネ」が潜んでいるはずだ(それが、たとえ、どれだけ正しくても、一つのメガネであることには変わりない)。

木村先生の凄さは、その「メガネ」を問い直し、「こんな見方もあるやん」「こんな考え方で捉えればいいやんか」と、選択肢を広げてあげることのうまさにあるように思う。そして、その見方を広げてあげた上で、「今の君にとって、これはすごいチャンスやで」と動機付けをし、それぞれの子供たちのやる気スイッチに火をつける。それがきっと、抜群にうまい。

今日の講演会自体も、私たちが普段かけている「当たり前」のメガネを、どんどん外していく。

・障がいのある子は、「迷惑な子」ではなく、「困っている子」。どうやっったらその困りごとを解決できるだろうと、生徒も教員も一緒に考える空気感を当たり前にしていくことが大切。
・大切なものは目に見えないものだったりするが、学校の「空気」をどう作るのか。
・「ふつう」という言葉の重み。学校は「ふつう」でいい。でも、「ふつう」のことを実現することこそ難しい。
・九九を2年生で覚えなければならない、と考えるのはやめよう。6年トータルで捉えよう。九九ができないことで学校が嫌いになり、学校にこれなくなる方が問題。
・得意なことを伸ばして自尊心を育み、「俺、これは得意だけども、これは苦手」と自信を持って言える子になれば、それでいい。

こういう「メガネ」をはずす動機付けを、子供たちに対してだけでなく、保護者やそこで働く教職員へも、日々やってきていたのだと思う。

例えば、大空小学校では、毎日先生方が「今、一番困っている子供」のことについて共有し、話し合いをしていたのだそう。誰がどう困っていて、それに対して、どう関わればいいのか。そういう話し合いが毎日ある。こういう時間を通じて、先生方の多様な見方を出し合い、認識を共有して、子供たちに対応していく。これも、メガネを外して動機付けをする、一つの場だったんだろう。そして、きっと、メガネを外して動機付けする、という力が、これからの教育者に求められていることなんだと思う。

ではなぜ、木村先生はこういうことができるようになったのか。それは、きっとご自身が率先して自己内省し、自分のメガネをはずすことを繰り返し実践してきたからだと思うし、表面的なことがらの裏にある「本当の理由」を、常に理解しよう、深ぼろうとしてきたからなのではないか。話の節々で、そんなことも感じる時間だった。

とりとめもなく書いてきたけれども、それぞれにあった形で、当たり前のメガネを外すこと、困難を好機として捉え直すことは、学校だけでなく、どんな組織にも大切なことのはず。木村先生のあり方に、少しでも学んで行動したいと、素直に思える講演会でした。


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