言葉が縛り、言葉がほどく

18歳の頃に「30歳になってもお互い結婚してなかったら結婚しようぜ」というとんでもない口約束をしていた子から、「結婚することになりました」という連絡がきた。2013年の大晦日にばったりあったとき以来だから、もう4年近くぶりのやりとり。ちょうどこれからの大きな変化に向けて自分自身の人生の振り返りをしていたタイミングだったから、その偶然に驚いてしまった。

そもそもそれってどういう約束だよ、という感じなのだけれども(笑)、そのときの自分にとっては、「大学に行ってコミュニティが離れても、どうか自分のことを忘れないで欲しい」という願いを込めた言葉だったのかなと思う。本当に青春の一ページで、今でも思い出すと、胸のあたりが何ともいえない気持ちになる。だからこそ、記憶の中に封じ込めている部分もあったのかもしれない。

29歳での結婚。そうか、あの約束の年齢の期限に、もうすぐなろうとしていたのだ。その時には、「まさかそんなこと(30歳になってもお互い結婚していない)は起こるはずはないよね」と思っていた年齢に、もうすぐ差し掛かっていることに、ふいに自覚的になる。

口約束というのは、いっけん何の影響力もなさそうな軽いものに見えて、その実、長いこと人の気持ちを縛る、大きな力を持ち得るものだと思う。少なくとも絶対にそんなことはないと薄々わかっていながらも、僕らは「30歳」の約束をお互いに覚えていたし、少なくとも僕は、それが相手の人生に影響しすぎていないか、ひどく心配してもいた。僕は「いつか謝らないといけない」とまで思っていたし、たちの悪いことに記憶の断片がすり替わっていて、謝る対象はその約束のことではなく、高校時代にまだ付き合っていた頃の、自分がついていた悪態のことだとまで勘違いしていた。記憶というのは、いつまでも厄介だ。

今回、結婚の報告をきっかけに久しぶりに電話で話すことができ、その時のこと、お互いの今のこと、そして、これからのことをゆっくり対話することができた。あのときに疑問に思っていたこと、その時の理解や感情ではうまく伝えられなかったこと、いろいろと話し、何だか救われた気持ちだった。

言葉によって縛っていたことが、10年以上経って、また言葉によってほどかれた、そんな不思議な感覚だった。

時間を元に戻すことはできないけれども、これまで過ごしてきた時間について振り返り、語りあうことはできる。でも、それはお互いのコミュニケーションが取れているうちだけなのだ。そう考えると、両親や離れ離れになっている友人、お世話になったけれども疎遠になっている人など、「あのとき・・・」という思い出や心残りが詰まった対象に、今すぐにでも話しかけるべきなのかもしれない。一方で、今回のように、必要な時間が経過したからこそ話せること、お互いの準備が整ったからこそ打ち明けられることもあるだろう。確かなことは、対話をすることで初めて真実がわかるということ。そして、これは確かとは言えないかもしれないが、自分自身が何か動き出すことで、まるで必然かのようにその準備が整うことがあるということ。

そんなことを悶々と考えつつも、清々しさに浸る雨の夜。29歳での結婚に、心からおめでとうと、ありがとうを。どうかお幸せに!あなたのおかげで、僕もまた一つ、人生が豊かになりました。

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