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そこにある「電柱」を目印に

小学校の頃の校長先生からの「講話」の中で、唯一覚えているものがある。いや、正確にいえば、2018年元旦にランニングしている時に、ふと思い出した話。

早速話が逸れるが、中学校や高校の時、校長先生が話してくれた講話の中で、何か覚えていることはあるだろうか。少なくとも僕は、なにも思い出せない。これは校長先生が悪いということではなくて、きっとその時の自分自身の状況によるのだと思う。「覚えている」ということは、概してその時の自分にとって関心のある内容であり、必要な話であることが多い。その時の自分にとって大切だった事柄は、長い年月を経てもどこか脳内の片隅に収納されていて、それがまた必要とされるときに、ひょっこり顔をのぞかせるのかもしれない。

そういう意味では、中学や高校の校長先生の話(校長先生に限らないが)の中で、今は忘れている言葉やその時の情景が、ふとした瞬間に目の前に立ち現れることが、今後の人生のどこかであるのかもしれない、とも思う。

話を元に戻そう。

元日ランニングで思い出したのは、ほかでもない、マラソンの話だった。確か、小学校3、4年生くらいの時に校長先生が朝礼で話してくれたもので、ある有名なランナーについての逸話。

残念ながら「ある有名なランナー」が誰だったのかは思い出せないのだけれども、その人は「努力の人」で、日本代表として国際的な大会に出場するなどマラソンの世界で結果を残した人だったと記憶している。

マラソン選手は一人で走る。マラソンが孤独な戦いであり、競技中の選手もまた、孤独と常に戦う宿命にあることは、競技マラソンをやったことがない自分でも容易に想像できる。けれども、マラソンを走っている時、特に、辛い状況にある時に彼らが何を考えて走っているのかについては、あまり思いを巡らせる人は少ないだろう。

校長先生によれば、どんなに成功しているランナーも、その時々のコンディションで、うまく身体が動かない時がある。そんな苦しくて仕方がないとき、その「ある有名なランナー」は、一番近い電柱をめがけて走るのだそうだ。

苦しくなる。どうしようも苦しくなって、もうやめようかと思う。体力が一ミリも残っていないように感じられる。そんな時、少し遠い場所に電柱が見える。せっかくここまで走ってきたのだから、「あそこまで行ってからやめよう」と思い、一番近い電柱まで力の限り走ってみる。その電柱が近づいてきて、もう少しだけ頑張れる気がしたら、「次の電柱まで走ってみよう」と考える。そうやって、一本ずつを目標にしつつ、何本もの電柱をなんとかやり過ごしていくと、不思議と、ほぼ必ずと言っていいほど楽な時間がやってくるのだという。これが、いわゆる「ゾーン」だとか「ランナーズハイ」と言われる状態で、そういう状態になってはじめて、少し遠い場所にある本当のゴールを意識することができるのだそうだ。

わずか数分の講話だったはずだが、校長先生は、「辛いときには、まずは目の前に見えている小さな目印を目指しましょう。その目印を幾つか通過した先に、余裕を持ってより長い目標を目指せる時がきます」というメッセージを、小学生の私たちに投げかけてくれたのだと思う。

今になって、そんな当たり前で、だけれども、僕らが忘れがちなこと、普遍的なことを当時の校長先生は話してくれたのだなとありがたく思う。

そして、元旦にそんな話を思い出す今の自分は、きっと、まだまだ「電柱をなんとか通過している」状態なのだとも思う。そのような中でも、幸いなことに、幾つかの電柱をなんとか通り過ぎることができたのが2017年だったと思うし、2018年は、ランナーズハイまではいかなくても(逆にいかなくていいと思っている)、もう少し息を整えて、余裕を持って電柱を通過できる1年にしたいと思う。欲を言えば、視界に捉えられている3つ先くらいの電柱を、意図を持ちながら目指せる状態でありたい。

まだまだこのトランジションのゴールは見えないけれども、一緒にこの時期を支え合える仲間に感謝しながら、着実に形にする1年にしたい。そんな風に思っている。

年末年始は、病気から回復し奇跡的に家で過ごすことができた父と、元気すぎて誰も休ませてくれない甥っ子らと過ごした。甥っ子は、僕の子供時代を見ているような冒険心溢れるヤンチャな4歳で、彼を見ながら、自分の原点を見ている気持ちになった。この瞬間も、自分にとっては、2017年の年末の頑張りが結実した、一つの「電柱」だったのかもしれないな、と思ったりしている。

父と甥っ子と。久しぶりに、息子の顔になっている自分がいて驚いた(笑)

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