「学習」から考えるプロ奢ラレヤーを構造的に捉えるとは
ベイトソンによると、学習は3段階に分けることができる。
人間の多くは学習Ⅰ・Ⅱで止まり、学習Ⅲまで行くことはまれである。今回は私が学習Ⅲの壁にぶち当たり悩んでいた話をしたい。
私には6年ほど前から好きなインフルエンサーがいる。彼は「プロ奢ラレヤー」という名で様々なバックグラウンドをもつ人からご飯を奢られ、そこから得た知見を発信している。
私は当時家と高校の行き来するだけの、様々な価値観に触れる機会が無い生活を強いられていたが、彼の「奢られ日記」(ツイート)により世界の多様性に気づき、また、「明るく振舞う」「色々な人と話す」ことで人生が好転すると学んだ。これが学習Ⅰである。
その後、大学生になり長期短期合わせ20カ所以上でアルバイトを経験し実際に色々な人と話す経験の中で小さな出会いと別れを繰り返して、ある程度誰の前でも明るく振舞えるようになりなんとなくではあるが生きるのが楽になった感覚があった。やっぱりプロ奢ラレヤーは正しかったのだと思った。これが学習Ⅱである。
あるとき、私がその話を羊肉串屋の店主さんにしたときに「どうして『明るく振舞って』『色々な人と話す』のが良いの?」と質問をされた。私は「私が好きなぷろおごさんがそう言っていたから」以上のことが答えられず返答に困ってしまった。すると店主さんは「あなたがそれで救われているのなら良いけど、表面の情報を撫でているだけで物事を構造的に捉えられていないよね」と言われてしまった。
店主さんく、できるところからプロ奢ラレヤーを取り入れることをしないと本質的でないと。(本質的でないことが悪いことではない。)
2つ方法があってひとつは活動自体をパクること。
もうひとつは店主さんのように自分のテリトリーにプロ奢ラレヤーを取り込むこと。これが成功してるのはプロ奢ラレヤーが認識してる限りでは店主さんだけらしい。これはプロ奢ラレヤーが明るくしろ、と言ってるから明るくする、ということではなく構造を理解して実践しよう、ということらしい。難しい。
私は困惑し、構造的に捉えるとどういうことになるのか、ということになるのかということについて深く悩むようになった。「明るく振舞う」「色々な人と話す」と人生が好転するのは、プロ奢ラレヤーによって出力された統計でしかなく私がその意見を脳死で真に受ける理由はない。私が人生の指針にしていたことが一瞬でひっくり返されてしまい、これまでの人生を振り返るきっかけになった。これが学習Ⅲである。
この日からプロ奢ラレヤーを「構造的に捉えること」、言い換えると、プロ奢ラレヤーという文脈にとらわれていることを自覚し、別の文脈を選び取ることへの長い旅が始まった。
どうやら私は宗教としてプロ奢ラレヤーが好きだっただけらしい。ではなぜ私はなぜプロ奢ラレヤーが好きなのだろう。
高校生の私はプロ奢ラレヤーの「面白い人に出会い、その人の深い話を引き出す能力」「ともだちが多さ」に陶酔していた、そういえば。そんな彼に言われる(ツイートされる)「生きててえらい」が嬉しかった。この嬉しさを「存在が尊い」「救い」と心の中で唱えていた。
大学生になりバイトの先々でそれなりに面白い人に出会えるようになった。自分とは違う属性を持つ人と話すと自分が見えてくる、そうして少しずつ自分を言語化できるようになった。そこから連絡先を交換して、未だに数人とは連絡を取り合ってる。
面白い人に出会い、多様な価値観に触れることが生き甲斐だった。
プロ奢ラレヤーに送ったLINEがXで取り上げられ、嬉しくなりその勢いでスラム(プロ奢が運営する読書サークル)に入った。面白い人のインフレが起きていた。オフ会に参加し、ともだちと呼んで差し支え無いであろう人が数人できた。
見返すと下手すぎて辛くなるが、日記や映画の感想を書けるようになった。スラムの人に美味しい(高い)ご飯屋さんやシーシャ屋さんの楽しさを教えてもらい、ひとりやスラム以外のともだちとも行くようになった。スラムに入って自分のフックの広がりを感じた。
前置きが長くなった。プロ奢ラレヤーはnoteの中でこう言っている。
あれ?構造化の答えで出てる??てか低いレベルでは私、できているのでは???
私はこれまでバイトとスラムを通してフックを増やし、ともだちを増やしてきた。これからより、自分のテリトリー(面白い人に出会う、ともだちを増やす)にプロ奢ラレヤーを取り込むには、今までやってきたことを強化してば良いだけだ。
5年位内になんとなく達成したい目標を書いた。
つい先日面白いことが起きた。バイト先で「京都で美味しいご飯屋さん知ってます?」と聞かれたことをきっかけに、私のお気に入りの居酒屋へを連れて行った。その中の流れで、「どうやったらモテるのか」という定番の話題になった。
それから色々と話し込んでいたのだけど、最終的に「やたらと感謝されながら奢られる」経験をした。多少は異性として意識されていただろうし、美味しいご飯屋さんを紹介したことだし、奢られる事自体はそこまで不可解なことではない。しかし、それと同じかそれ以上に私が私らしく健康でいようとすることや私が元々持っている考えを共有したこと、つまり、ただの雑談に感謝され、奢ってもらったような気がした。初めての経験であった。
これっていつもプロ奢ラレヤーがされていることなのではないかとふと思った。プロ奢ラレヤーはいつもストレスフリーで飯を奢られ、雑談をして、感謝されている。
学習Ⅲの壁にぶち当たり、プロ奢ラレヤーを構造化、理解、実践しようと試行錯誤してきた。結局のところずっと受け売りをしているだけとも捉えられるので構造化できたのかは分からない。しかしそのかいあってか、ただの勘違いか、私は彼にとってミニマムなプロ奢ラレヤーになれたらしい。
今後もフックを増やし、ともだちを増やしたい。
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