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都市伝説と隣人

「あなたは知っていますか?」
都市伝説というのは大抵こんな切り口。
日常の中でさほど気にもとめていないことは多々ある。
ファーストフードのキッチンの内部、病院の霊安室、通勤経路にある空き家、地下鉄で独り言を言い続ける人…。
いちいちこんなものに気を取られていては生きていけない。そんな裏側を気にしてはいられないほど忙しいのが現代だ。

そんな日常のぽっかり空いた穴にこそ、都市伝説は生まれて行く。
都市伝説といわゆるフォークロアとの関係は確か新書になっていて中々面白く読んだ。
地方の守り神的、ばちあたり的な信仰から切り離されて都会に浮遊する現代人が、フォークロアを再生産するみたいな話だったと思う。(違ったかも)笑

ところでそういう視点もあるけれど、他者性の視点から私は考えてみたいとも思うのだ。

都会に浮遊する現代の核家族は、当然田舎の信仰からも外れて、かつての共同体に存在していたはずのコミュニティからも阻害されていることは間違いない。
いや、阻害されているというよりは、阻害された人間と隣人であってもおかしくない、と言えよう。
例えばアパートや団地に暮らす人で、隣の人と付き合いがある人というのはどれくらいいるのだろうか。
全く挨拶もしないとか、顔も見たことがない、何をしている人かわからないという人も少なくないだろう。
この隣人の不可解さ、不気味さは、街に出ても同様で、かつてはコミュニティにおいて互いに承認済みであったはずの他者が同じ列の座席に並んで座っている。
他者への不安、隣人への不安、あの家で、または隣の部屋で殺人が行われているのではないかという妄想…。
そこで都市伝説の、
「あなたは知らなかったんですか?」
という語り口。
それがまさに我々の不安と一致する。
私は都市伝説を、現代におけるフォークロア的な郷愁の混じった子守唄として位置付けるのではなく、他者の不透明さ、言うなればネット社会があれだけ露呈しようとしたが故に見えなくなった他者に対する不安の物語だと思うのだ。



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