私はかなり長い間、母親と仲が悪かった。
仲が悪いと言っても言い争ったりしていたわけではなく、ただただ7、8年くらい一度も会話をしなかった。というか私が話そうとしなかった。
私から見た母は私より兄のことを常に気にかけていて、私は愛されていないと思い込んでいた。
兄が病弱だったせいもあると思う。

母親はかなり陽気な性格で、私が小学生の頃なんかは友達に「(私)ちゃんのお母さんは面白くていいな〜」と言われていた。私はそれが恥ずかしかった。おしとやかで綺麗な友達のお母さんの方が羨ましいと思っていた。
父親が鬱病で引きこもっていた(私と会話していなかった時期ともかぶる)時期でさえ明るくて、一体なぜこの父と母が結婚したんや…と思ったりした。

私と兄はどちらかというと父親ゆずりの陰気な大人しい性格で、私と兄を知る学校の先生が「このお母さんから生まれてきたとは思われへん」と言っていた。

家族の中で母親だけが異常に明るくバイタリティに溢れていたため、母親だけ血が繋がっていない可能性すら考えてしまう。そんな訳はないが。
正直、母と暮らしているとそういった根っからの価値観の違いみたいなものから幾度となく衝突し、まあ簡単に言えば合わなかった。

最近、母が虫歯の治療をしに歯医者に行くと言っていたので、父さんも母さんも虫歯あんのに私とお兄ちゃんに虫歯ないんはおかしいよな〜と思った。
母に聞くと「私がちゃんとケアしてたからな」と言われた。
幼い頃、母が私たち兄妹に仕上げ磨きをしてくれたことを思い出した。小学生にあがるくらいまでは自分たちで歯を磨いたあとに仕上げ磨きとして、母が普通の歯ブラシよりもほっそいブラシで細かいところまで磨いてくれた。歯のケアは3歳までが肝心らしい。私も兄も虫歯ができたことは一度もない。

話は変わるが私は読書が好きだ。
小さい頃、寝る前に毎晩母が絵本の読み聞かせをしてくれていた。文字が読めるようになると近所の図書館に連れて行ってくれて児童向けの本をたくさん読んだ。そこからずっと読書が好きで、小中学校では図書館の小説を全部読んだんじゃないかというくらいに本を読み倒した。高校では図書館で本を借りる人がほぼおらず、小説もあまり充実していなかったのでそのあたりから毎日のように本を読む習慣はなくなった。
でも今でもたまに本を読みたくなる。大学でも1、2年の頃は学校図書館で本を借りていた。小説を読み終えた後に感じる、一つの物語が始まって、そして終わったのだという瞬間の寂しさと高揚感の混ざり合った充実感、みたいなものが大好きだ。

というようなことを思い出すと同時に私は母と母の愛に育てられてきたのだなと思った。

たくさんある人生の分岐点で、私に問題が起きない方へ、健やかに成長する方へ、と育ててくれたのだな、と思う。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、というが私は喉元の熱ささえ感じないようにと愛されてきたのだな。
その熱さを知らないばかりに、母からの愛情に無頓着に過ごしてきた。そんなことにも気づくことができないとは、自分のことばかりにしか及ばない、まったく未熟で稚拙な思考で情けない。



私は意外と自分の考えや人生が好きだが、そういう私を構成するものの中に、自分が気づいていない人からの愛や気遣いが含まれているんやろうな。

母の座右の銘は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」らしい。母は目下の人にも偉そうにしないし、電車で人に席を譲ったりする。あと花に詳しい。
私は母が好きではないけど、母は素敵な人です。

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