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好相性

ふと思ったことがあるから書き記す。備忘録ってやつだ。

昨晩とある知人と電話した。ここのところ月に1度ぐらいの頻度で近況報告する間柄で、年上の自分に対しても忌憚ない意見を言ってくれる貴重な存在だ。その人には友達以上恋人未満の相手がいるようで、今回はそのことについて書く。ちなみに現在2024年5月21日火曜日、朝の5時52分だ。最近目が覚めるのが早くて早くて。

友達以上恋人未満の相手とはしょっちゅう喧嘩すると言い、またそのフラストレーションが溜まっているとも言うが、話を聞くにそのふたり、ベストカップルなのではないかと感じたのだ。

曰く、相手は私と違い徹底討論を嫌う。
曰く、相手は私と違い寝て起きたらケロッとしている。
曰く、私は解決するまでモヤモヤしている。
曰く、但しその場を過ぎると記憶が抽象的になってしまい、最終的には話し合いを諦める。

徹底的に話し合いたい私と、嫌な事は引きずらない相手。
そう聞いた時に、こんなに相性のいいふたりは居ないと思えて仕方なかった。

たとえば、徹底的に話し合いたい者同士の関係だったらどうか。互いに議論を深め合い朝まで夜通し語り合えるのはある種の理想形だ。しかし深い議論の末、意見が食い違ってしまった場合にはもう他の打開策は無い。彼らは出せる案をすべて出し合い、それでも解決に至らないのだから。

次に嫌な事は引きずらない、細かな話し合いを避ける者同士の関係はどうか。お互いに衝突が起きても互いに意見を言い合わないため、また忘れた頃に同じような衝突を繰り返してしまわないか。原因を探ろう、原因を取り除こうとしないのだから当然である。このタイプもきっと衝突が絶えないのだろう。

その点先述のふたりは理想と言える。適度に話し合えて、それでいて熱し過ぎる前にクールダウン出来るのだから。

いつも喧嘩しない関係を好相性と言ったりする。
最近、これは違うんだろうと思う。

多くの場合、これは恋愛関係に限らずビジネスの場や社交の場でもそうだが、「性格のいいひと」や「性格の悪いひと」とは余り出会わない。なぜなら人は悪戯に嫌われることを好まないため、いいひとを演じる。その結果、多くの相手に対し「いい人でもないけど悪い人でもない」という感想を持つ。それが普通。

「性格のいいひと」や「性格の悪いひと」に出会わないのではなく、多くの人は仮面を被っているため、その本質に気付けない。本当は嫌な奴だとしても、表面上はそう見えないという意味であり、また逆にいい人そうな奴でも性根が腐っているという場合がある。

喧嘩するほど仲が良い─
昔からそんな言葉がある。私はこれをこう解釈する。
「喧嘩するのはそれほど相手を知るから。それでも一緒にいるということは仲が良いということ。相性がいいということ」

先で触れたように人は「いいひと」「いい自分」を演じる。
仲が深まるにつれて相手のことをどんどん知っていき、自分と違う考え、思想、思考に気付き、時にぶつかる。それでもなお一緒に居たいと思えるのだから、それは相性がいいに決まっている。

よく意見が合わずにぶつかる。けれど、気付けば仲直りしていて一緒にいる。そんな友達がいるあなた。あなたは恵まれている。そのひとを大切にしてあげてください。あなたたちは好相性です。
そのひとが友達ではなくそれ以上の関係性なら、覚悟をもって今以上の関係を求めてもいいんじゃないかな。そう思うのです。

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