sora tob sakanaの「Lighthouse」がとても好き!
sora tob sakanaというアイドルグループの「Lighthouse」という曲がとても好きです。
sora tob sakana解散発表直後に友達と会ったとき「Lighthouseをもうライブで見れないと思うと悲しい」と愚痴ったら「ピンポイントでそこ?」と苦笑された。
あれから何ヵ月か経ったので今はもう少しいろいろな感情があるけど、最初に頭に浮かんだ気持ちはそれ。
そんな僕の好きなLighthouseですが、こないだ配信ライブの終了後のトークを見ていたら、プロデューサーの照井さんが
「いい曲だと思うんですよ、でも新しくはないんですよ」
「既存のギターロックとかああいう音楽の手法をやってるだけなんで」
というようなことを言っておられた。
そっか…
それを聞いてLighthouseのどこが好きだったのか改めて考えているうちに、こういうのを文章にしておくのもいいかなと思い。
べつに誰かに迷惑がかかるものでもないだろうし(たぶん)。
思い返すと、あれがギターロックといわれると、音楽的には確かにそうだよなと思う反面なんとなく違和感もあって。
まあ僕がメンバーの可愛さにやられて音楽をちゃんと聴いてないだけかもしれないんですけど。
sora tob sakanaはたまにバンド編成でライブするときがあって、そこで聴くLighthouseはまあ確かにロックだ。
だけど普通のライブハウスでLighthouseを見ていると「ロックやな!」とは思わない。
なぜだろう。
生演奏じゃない音源って曲が本来持っているのと別種の感動を生み出すということがあるんじゃないかと思う。
例えばDJがクラブでソウルのレコードをかけているとき、鳴ってる音自体はソウルだけど、そこのフロアで生み出される感動や熱狂はソウルのライブ演奏とはまた違う種類のものになっている。
アイドルのライブって「ライブ」と銘打ってるけど流れてる曲はスタジオでミックスした音源だ。
昔はカラオケ大会と揶揄されたりもしていた。
でもアイドルのライブを見ていると、ごくたまにだけど「カラオケ流して歌って踊ってるだけなのに何でこんな凄いんだろう?」みたいな時があって、それはバンド演奏のライブとは違った、なんかよくわかんないけどアイドルでしか体験できない一種独特の表現になっていてびっくりする。
エモいって言葉は好きじゃないけど、まあなんかそんなやつ。
今まで見たLighthouseのライブもそういうなんか凄い瞬間が何度もあって、それは他で感じることのできない特別なものだった。
曲そのものは既存のスタイルで構築されたものかもしれないけど、sora tob sakanaというフィルターを通って出てきたものは既存じゃなく他の音楽でも他のアイドルでも、なんならsora tob sakanaの他の曲でもないような独特な感情を呼び起こされるものだった。
それがVJのカラフルな映像と混ざってさらにキラキラした記憶として残っている。
そういうものを目の前で見ていると、大袈裟かもしれないけど「この場所にいれてよかった」「この時代にヲタクできてよかった」みたいな崇高な気持ちになったりもする。
だからそれがもう見られなくなるのは本当に寂しいと思うのです。
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