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コロナ禍でわかったコミュニケーションの大切さ

どうも、Ryoです。

この春にスタートアップに就職し勤務を始めたわけですが、このコロナの騒動もあって初日からリモートワークでした。勤務開始前日にパソコンとルーターが家に送られ、入社式もリモートでした。1ヶ月半がたった今でも一度も出社していません。

最初の三週間ほどは不謹慎かもしれないけどリモートワーク万歳、って感じでした。睡眠時間も増えるし、集中切れたら好きな時間に休憩が取れる。せせこましい満員電車に押し込まれる窮屈感も味わわなければカラオケしながら業務したって誰にも責められない。いいじゃないか、リモートワーク。

でも勤務し始めてから1ヶ月が立って圧倒的に足りてないことが一つあるのに気付き始めました。

人との触れ合い、コミュニケーション。

打ち合わせとかミーティングはzoomでやるので全く人の顔を見ないわけではもちろんないし、定期的にzoom飲み会も開いていたからストレスを解消したり仕事を忘れてリラックスする時間だってちゃんと取れています。

だけど、なんともいえない寂しさが確かにそこにはあった気がした。
なんだろう、とても説明するのが難しいけれど、とてつもない違和感を感じていた。人と会えないからって鬱になるわけではないし、けれどふとした瞬間にものすごい虚無を感じるんですよね。元々アウトドア体質なのに運動ができてない、ってこともあると思うけど、多分それだけじゃない。

今までなんとも思わず人と触れ合い、笑い合って話せることを当たり前のように享受していたけれどきっとそれがとてつもない癒しになっていたんだと思います。某アーティストの曲に

「鼻が詰まったりするとわかるんだ、呼吸をしていたこと」

という歌詞があるけれど、コロナで外出自粛になって初めて、どれだけ自分達が人との生の触れ合いに助けられてきたのかということに気づけた気がする。

たくさん死者も出たし、感染して苦しんでいる人もとんでもない数いるけれど、この大事なことに気づけたということはコロナ禍で得られた数少ない、けれどとてつもなく価値のあるポジティブなことなんだろうな。

もうすぐ外出自粛も明けるかもしれないけど、アフターコロナもコミュニケーションが不自由なくできるというありがたみを忘れないようにしたいなと思います。それを踏まえて、前よりも少しは人に優しくなれるだろうか、ということを考える今日この頃です。

ああ、早く皆に会いたいなぁ。

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