見出し画像

トマトが4になった日記。

うおー。疲れた。つっかれた。
劇ス観た後の帰り道って本当に疲れますよね。あと普通に夏の夜が嫌いです。暑いのか寒いのかどっちかにしてくれ。

こんにちは。文明歌です。舞台創造科をさせていただいております。
今、劇ス再上映から帰宅して、早速この記事を書き始めています。
熱があるうちに感じたことを纏めてしまいたいです。

というわけで、これは日記です。前回の記事が見られすぎてプレッシャーになるのでここらであえて雑なものを出して下方修正的主張をしていく。資料を期待するな!資料を期待するな!




わたしが見たもの

今回、わたしは劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライトを劇場で視聴するのは4回目でした。多分。
1回目が大阪のライブ音響上映、2回目が地元のイオンシネマ(2周年)、3回目が名古屋で舞台挨拶、4回目が今日、イオンシネマのULTIRA(3周年)でした。

こう考えると、毎回異なった上映方式で観劇できていますね。映画にこれだけの上映方法があることをわたしは今まで知らなかったし、これだけ様々な形式でスタァライトが上映されているのは凄いことですね。この世に在るべきすべてに感謝するとしましょう。今日も美味しいご飯が食べられて幸せです。

一番ひどかったのは2回目の鑑賞だったのを覚えています。何が酷いって、わたしが。前日何かに追われて睡眠を遮断し、上映途中で眠ってしまう大事故が発生していました。大場ななの刃が客席まで届くとしたら、わたしの首は今頃無いでしょう。超ダイエット。


しかしやはり初見をライブ音響上映で観ることが出来たのはまさに夢のようでした。え、夢なのかもしれない。今すぐ殺してくれ。全然どうでもいいんですけど、スタァライトの事を考えて寝ると夢が歪になる気がしています。寝ている間も無意識化で考察に脳のリソースを割いており、起きたら結論が出ていた、みたいなことがたまにありますね。バックグラウンドに対応しました。(そのせいで夢に割くリソースが奪われている)


今回のULTIRA上映は、音量こそ劣るものの音の質感はライブ音響上映寄りだったと記憶しています。
何より印象的なのは皆殺し最中の足音、まひるの台パン音などの『鉄の固い音』ですね。より鮮明に、強くまっすぐ届いてきます。怖い。
音響が良いと一回目の「強いお酒を飲んだみたい」も鮮明に聞こえますね。これで聞き返す必要もありません。


そんなわけでULTIRAでした。画面もそれなりに大きかったです。

こういう錯視がありますね。

わたしたちの脳は、見えていない部分を想像で補完しているため、想像できないパターンは消えて見える、というものです。
今回のエンドロールもスクリーンが大きすぎて、両端上にある東京タワーが錯視で見えなくなり、画面全体が真っ暗に見えてしまう謎の状態異常が付与されてかなり怖かったです。なんかわたしの両目、普通に以前の錯乱(劇ス同時三窓点滅視聴)のせいで目がやられていますので、いつ終わってもおかしくないと危惧してますから。ああ怖い。


別物

肝心の本編について

わたし、こんな劇ス、知らない……でした。

わたしの知ってた劇スってこんなだっけ?いやほら、このシーンの間にこんなカットあった?ここってこんなセリフだった?とか。
本当です。え、何だったのですかこれは。(本当です。)

劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト、見るたびに景色が変わる。
でもそれは、より鮮明に見えるというわけではない。前とは別の塔から眺めているだけ。

それはわたしたちが以前の塔を降りているということ。いま少しでも「見えていた」のならば、わたしたちはまた別の塔を上っている、ということ。

わたしはスタァライトされてから2か月前でちょうど一年が経過していました。この一年で、またわたしは別の塔に登れているのでしょうか。


早速文字を書くのが疲れてきたのでここから箇条書き的に、鑑賞中に新たに感じたことを綴っていきます。
すでにどこかで考察されていたり、答えが出ているものもあるかもしれませんが、少なくとも私は知らないということで、感じたことそのまま言語化するまえに殴り書いただけです……。


【4週目で気付いたこと】


ひかりドで顔かわヨ

え、可愛くないですか?ひかりちゃん。
冒頭のCaliculus Brightが揺れているシーンのひかりの顔がアップでどでかく映るカット、凄かったです。
今回は今までで一番大きいスクリーンだったので、よりこれを感じられたのかもしれない。凄い可愛かったですね?こんな顔でしたっけ。(良い意味で)

顔で劇場が包まれるって、これ、『世界』ですよね?


ひかりちゃーん!!

未だに冒頭シーンの時系列を掴めていないですね。
華恋が寝ていると思ったら東京タワーの上に立っていたり、ひかりが口上を言ったと思ったら華恋が吹き飛ばされたり、東京タワーが崩壊したり。

東京タワーの麓辺りの砂漠の砂だけ色が違って見えるのは何か意図があるのでしょうか?単に日が暮れているだけかな?他のシーンと比べて赤っぽい気がするんですよね。


運命は変わる 舞台も、また

冒頭のひかり口上シーンの後、鉄製のTの山からその下に居る華恋に向けてカメラが流れていくカットがありますね。
今まで華恋の下を通って東京タワー(の残骸)に通じている線路の跡は『東京タワー(約束)へ向かっている』ことを表しているのかと考えていましたが、改めて見るとこれはカメラワーク的に『東京タワーから出発している』という意味合いの方が強いのかな?と感じました。

どちらが正解なのか、正解なんて無いのか分かりませんが見るたびに捉え方が変わるのは面白いですね。
この後華恋は東京タワーの反対側に伸びる線路を辿って歩いていき、スタァライト(と約束)の外の世界を見て(冒頭、下級生と各レッスンを見学して回るシーン)から終盤、もう一度東京タワーへ戻ってきた、という事なんですかね。


聖翔音楽学園の歩み

面談シーンにて、各生徒の間に毎回これを寄りで映すカットを挟んでいる意図はなんでしょうね。

純那ちゃんの面談シーンにてこれが消えている事を確認できたので、この時点で初期版な事にわたしは気付きました。わたしが記事書いたから……。

以降の修正ポイントも全部見つけることが出来たので良かったです。
意識するとどれも違和感に気が付きますけど、初見の(或いはそれに近い)衝撃を抱えたままこれに気が付くのは無理がありますね。それ以上に気になるポイントが多すぎるので……。


ななの面談と時系列

わたし、今まで何を思っていたのか『皆殺しのレヴュー』と『決起集会』の間には期間が空いているものだと思っていたんですね。そんな学年変わった直後に決起集会やると思わなくて……。

ただ、今回ななの面談途中に挟まれたななと眞井さんが会話しているシーンにて、耳を澄ますと眞井さんが「明日の決起集会で~……」と雨宮さんの方を向いて話している声が聞き取れ、ようやくわたしの中で序盤の時系列が整理されました。

整理された思考を残しておくために文字に起こしてみました↓

5月14日 08:26頃(GMT00:26頃)
『私たちはもう 舞台の上』
ロンドンに居るひかりが華恋に宛てて、画像とメッセージを送信します。
イギリスと日本では8時間時差があるため、ひかりは00:26頃にこのメッセージを送信しています。
また、ひかりからのメッセージを華恋がスマホで確認しているシーンです。
この後華恋は101期生と見学して回ります。

5月14日 08:30 - 16:00頃
『101期生による指導教室見学&授業』
華恋と101期生が挨拶を交わし、他の指導教室を見学して回るシーンです。
同時並行で真矢、クロディーヌ、香子、双葉が各教室で稽古を、まひるが101期生に指導(案内)を、ななが雨宮・眞井たちB組を会話しながら決起集会の準備をしています。

5月14日 16:00 - 18:00頃
『華恋&純那 エルドラド稽古』

見学案内を終えた華恋は、大教室で純那とエルドラドの稽古を行います。
また、決起集会の準備を終えたななもこの教室に居ます。

5月14日 13:00 - 18:00頃
『99期生 進路面談』
見学と同時並行で、99期生たちは進路面談をそれぞれ受けています。
背景から推測すると華恋は順番が一番最後のようですが、純那の面談シーンでは背景が明るいため純那はエルドラド稽古の前に面談を受けていたことが推測できます。

5月14日 17:30 - 18:30頃
『星光館 リビングでの会話』

リビングに集まって座っている香子、双葉、純那、真矢、そして洗濯機室に居るまひるとクロディーヌ。
「今日、何の日ぃか覚えてはる?」のシーンで、日付を確認した純那のスマホからは17:51と読み取れます。
恐らく面談を終えた生徒から先に帰宅しているためこのメンバーなのでしょう。華恋は面談の順番が一番最後なので下校中といったところでしょうか。

5月15日 13:12 - 14:00頃
『ワイルドスクリーンバロック開幕』
九九組の乗る地下鉄は、新国立第一歌劇団の劇場へと向かっています。
ここで注目すべきは、お昼前にwsbが開幕しているという点です。
「ワイルドスクリーンバロック、皆殺しのレヴューの開演です!」とキリンが言い放ち夜へと変化していますが、これは『レヴュー中の時間経過』を表すものでは無く、『現実(昼)から舞台(夜)へ変化した』という区別的表現だと捉えました。
よって、電車がトンネルを抜けた時に夜であった理由は『そこはもう既に舞台であるから』。

5月15日 13:25 - 14:00頃
①第一列車 華恋以外のメンバー
13:12に華恋がメッセージを確認してからななと同時に消えているため、恐らく皆殺しのレヴューに巻き込まれたのは13:25頃。この間に華恋とななが話し合いを進めており、その間電車は待機状態に入っているため駅に到着する事は無く、香子の「いつまでダラダラ走ってんねや」というセリフが出ました。そこから約30分程度レヴューが行われ、皆殺しのレヴューが終幕した頃はお昼過ぎでしょう。
また、その後のシーンにて見学を欠席したことについても他生徒から触れられていないため、皆殺しの被害者たちは遅刻程度で済んでいると考察します。

5月15日 13:12 - 13:30頃
②第二列車 華恋となな
華恋とななの会話は恐らく、皆殺しのレヴュー以前に行われているものだと考察します。華恋がメッセージを確認した13:12時点で、列車は『華恋とななの乗る一両編成の列車』と『それ以外の九九組が乗る舞台装置になる列車』の2つに分離しています。
前者の華恋たちを乗せた列車の中で華恋とななはバナナンシェをしており、13:20頃に華恋を列車に乗せたままななは駅へと降りています。
ななはこの後引き返し皆殺しのレヴューを始めていますが、華恋については役作りの道を進んだため合流することはありませんでした。
恐らく、華恋は決起集会でも顔を出していないことが伺えるため、見学、決起集会ともに欠席扱いになっていると推測します。

5月15日 14:00 - 17:00頃
『新国立第一歌劇団 見学』
まだwsbが開幕していない頃、電車の中で華恋のスマホには13:12と書かれているため予定通りであれば13:30には劇場に到着していたことが伺えます。
よって、恐らく見学は13:30~、もしくはそれ以降に行われていたものと推測できます。
やや遅刻気味で華恋以外の九九組が合流し、無事見学を終えた後、聖翔に戻り決起集会の準備へと入ります。

5月15日 19:00 - 21:00頃
『99期生卒業公演 大決起集会』

学校で制作を進めていたB組と、見学に行っていたA組が合流し、大決起集会を行います。
おそらくこの直前に眞井と雨宮のやり取りがあったと思われます。
九九組たちは皆殺しのレヴューの件もあり暗い表情。華恋は役作りのため不在。

5月15日 21:00 - 23:00頃
『覚悟を決める舞台少女たち』
恐らく、皆殺し(wsb)、見学、決起集会と続いて彼女たちの精神は興奮状態にあったのでしょう。私はこの一連のシーン(自分たちの死体と向き合うシーン)は、各々寝る前にベッドで深く考え込んでいる的なものだと思っています。自分が何を選んで、何とどう向き合うかをここで覚悟しています。
「あの日、私は見たの。再演の果てに、私たちの死を。」
華恋が居ないのは、やはり役作りの最中だから。TV4話のように、星光館にすら帰っていない可能性もありますね。一人で何してるんだ。

5月15日 02:00頃(GMT18:00頃)
『すまない友よ 私は往かねばならないんだ』

端の上でひかりが華恋に向けてセリフを言うシーンです。
ロンドンでは夕方であることが確認できるので、恐らく日本では深夜の2時頃でしょう。また、この後に続く列車のシーンとひかりの服装が同じため、続けて起こった出来事だと推測します。(ただしこのシーンでは鞄を持っていないため、単純にひかりが同じ服を何日も着ている可能性がある。ひかりだから否定できない。)

5月15日 04:13頃(GMT20:13頃)
『私だけの舞台って なに?』

華恋がひかりに宛ててメッセージを送信します。ロンドンにてひかりが20:13時にメッセージを受け取っているため、華恋はド深夜まで悩んでこの文章を送信したことが伺えますね。え……?
また、一通りwsbの解説を終えたキリンはここでロンドンに渡っており、ひかりの元へ現れています。過労ですね。


だいたいこんな感じでしょうか。かなり詰め込まれていますね。
しかも資料っぽくなってしまった。くそっ、これも罠か……。


明度が修正されているシーン

前回書いた記事で、一部シーンにて明度が変更(修正版ではより暗く)されているカットがあると記載しましたが、その意図が何となく理解ったような気がしたのでメモ程度に残しておきます。

該当シーンは
・皆殺しのレヴュー後、列車が停車する時の背景の柱
・怨みのレヴューにて、デコトラが消灯した時の明るさ
・狩りのレヴューにて、上から降ってくる明朝星の明るさ
の3つです。

これは雑な考察なのですが、明度が変更された理由はずばり『シルエット』それだけです。
今回劇場で上記のシーンを観ていて感じたのは、円盤と比べてキャラのシルエットが少し分かりづらくなっていた事です。本当にそれだけですが……。

恐らく、明度を暗くすることでキャラのディテールに目を行かせることが目的でしょう。また、皆殺し後のシーンでは柱の奥にライトが設置されているため、カメラの位置からは逆光になりこちら側の表面はそこまで明るくならないことも修正の理由でしょう。
狩りでの明朝星も同じく、上から降っている物体を下から見上げているシーンであり、ライトは上から照らされているのでカメラの位置からは暗く見えるはずです。


SUZDAL

同じく前回の記事で『初期版では"MEDAL SUZUDAL PANIC◎◯●"と表記されている』と記載した点についてです。

今回私が観た劇場では初期版が上映されていたので、予想通り『SUZUDAL』の文字が競演のレヴューで映し出されましたが、(映画の)最後までよく見てみるとエンドロールの劇中歌一覧に『MEDAL SUZDAL PANIC◎◯●』と書かれていましたね。

劇場版が公開された後にタイトルが変更された可能性もあるかと思っていましたが、エンドロールに修正後の表記が記載されていることを発見したためこれは普通にただのナチュラルなミスっぽいですね。ナチュラル。普通に。


まひるの優しさ

競演のレヴューで最初にひかりのボタンを飛ばすとき、背景をよく見るとハードルを超えるようにボタンを飛ばしている事がわかりますね。
これってまひるの優しいところが表れていて大好きなシーンです。

決して相手の尊厳を貶すわけでもなく、背中を押すように、ひかりなら超えられると言うように彼女はこのレヴューを通して教えたわけです。
ここに気付いてから、この後にあの展開(ブチギレ演技)が来ることに安心感を覚えるようになりました。あれはちゃんとひかりの為に演じている。

思えば、まひるだけ劇スでやるような喧嘩(?)を既にTVで終わらせているんですよね。

大抵、TVではオーディションという前提があるため互いのキラめきの押し付け合いだったレヴューが、劇スでは相手のキラめきをどう受け止めるかという所に重点が置かれていたように思えます。
(「受け止める」、という点ではスススのひかりの宝石が華恋の胸に入るシーンが直接的な描写です)

ただしまひるだけは例外的でした。
TVの時点から華恋に自分のキラめきを押し付けるつもりは無くて、華恋の放つそのキラめきだけが自分の未来だったと自覚し、戦い、それを乗り越えている。周りが劇スで乗り越えたような事をすでにTVで終えていたまひるだからこそ、彼女は堂々とひかりの背中を押すことが出来たのかもしれませんね……。


再演はやっぱり3回

あと、狩りのレヴューでひとつ気付いたことがありました。
話題はTV版に戻って、『ななの再演=ロンド』の回数についてです。

これは総集編のタイトルが『ロンド・ロンド・ロンド』とあるように、ななが起こした再演の数は計3回なのではないか?と薄ら感じていましたが、それを肯定するような要素が狩りのレヴューに隠れている事に気付いた(或いは、こじつけた)ので書いておきます。

まず、狩りのレヴューで純那は円状の輪に乗ってななを弓で狙います。
この輪=ロンド(ひとつの世界線)と捉えれば、純那はひとつの世界の中に囚われている存在。そこから外部であるななに対して言葉を投げかけています。

対してななは、四角ではありますが3層の檻に捕らえられながら、その中を走り回っています。これは恐らく今まで3度に渡って再演を繰り返し、その全ての世界を自由に動かして(動いて)いたことが示されています。
そして2人の決着が着くのは、ななは檻から出たとき→再演が途切れ4周目に入ったとき、純那は輪から降りたとき→ななの支配から逃れたとき、ではないでしょうか。

また、この要素は終盤のスーパースタァスペクタクルでも見ることが出来ます。華恋が棺桶に入り、再生産をして生まれ変わるシーン。
ここでは、『アタシ再生産』と書かれた看板を4つ切り開き、4つ目と同時に華恋は登場します。
これもやはり、3周に渡った再演を抜け出し、4周目である今改めて再生産されたことを表しているのではないでしょうか。


それは舞台のセリフ?

今回、あのシーンの華恋は演技をしているように見えました。
「ひかりちゃんが居たから」生まれたのが舞台少女『愛城華恋』。
あの場で華恋が話していることはすべて「ひかりちゃんが居たから」です。

でも、それを華恋は自覚できていなかった。何が演技で、何が本音で、どこが自分の線路なのか。それを改めて気付かせてくれた(演技から引き離してくれた)のがあの「見られている」のシーンですね。

この映画では舞台少女たちに対する『視線』の存在が何度も描かれており(うちが一番しょうもないクロディーヌの目線カット大好き)、このシーンにおいても華恋は視線(=観客)の存在によって自分が演じる側であることを再認識したのでしょう。

愛城華恋はあそこで一度死に、再度1から『愛城華恋』に対する考察をし、再解釈の果てに新たな愛城華恋を演じ、生まれ変わります。
スタァライトを演じ切ったら愛城華恋はどうなるのか?それを想像できていなかった。そのセリフを用意できていなかった。

全然関係無いんですけど、「死んでる……」のシーンがカイロ最終決戦で承太郎の生死を確認するDIOに見えてしまって辛かったですね。
華恋はスタンドで自分の心臓を止めていたんですかね。




以上になります。
多分きっと上映中はもっと沢山の思考が駆け巡っていたと思いますが、全然思い出せないのでこの辺りにしておきます。命拾いしたな?

他にも細かい事では沢山の気付きがありましたね。でも書いたらキリがないので書かない事にします。うん。ちっちゃい事は気にすんな。はい、ワカチコが脳裏に浮かんだ人はもうおっさんです(ゴメン)

記事内に『ロンドを3回繰り返し、4周目でこの結末を迎えた』と綴っていますが、わたしも今回4周目の視聴でしたね。わたしはどんな結末を迎えたかな。
でも、まだまだ続きますね。周年で言えば、来年こそが劇ス4周年なわけです。「4年に一度の大舞台」というセリフもあるように、それはもうきっと豪華なイベントになるでしょう。


というわけで、やっぱり劇スは劇場で観るに限るな、の日記でした。
また気が向いたらnote書きます。気が向かなかったら軽率にネタ絵を描くと思います。ネタ絵投稿してたら誰か叱ってくれませんか?でも、ネタ絵を伸ばす方が悪いですよね。私としては真面目に書いた絵の方が伸びて欲しいわけですから。じゃ!👋