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消費者に突きつけられる「生産者グループ」という壁

 昨日の満月を眺めながら、昔、付き合った人のことを想い出す。そんなあなたはロマンチストですね。素敵な夜を迎えた翌日も、太陽が眩しく輝き、冬模様の青く、高い空を見上げ、何気ない幸せを感じる日に、この文章を書いています。

「欲しい物」しか「欲しくない」消費者【現状】

 さて、私は「都市」に住む、「消費者」というカテゴリに分類される消費者なわけですが、スーパーや百貨店の店頭を毎日、毎週のように眺め、旬の仕入れの変動や価格の変化に気づきながら、そんな売り場でさえ、「農産物の未来」と「安定供給」に不安を覚えるわけです。

「なーに、卸売市場の調達力と、農家を舐めんなよ」

というツッコミをいただきましたが、たしかに「物量」だけで考えれば、それなりの供給力は確保されていると思いますが、都市では、「選ぶ」ことは当たり前のように行われており、「食べられればいい」というものは「選ばれない」運命にもあります。

東日本大震災でもそうだし、先のコロナ禍の買いだめ殺到の場面でも、パンもインスタント麺も売り切れてすっからかんの棚に、韓国の「辛ラーメン」というちょっと辛いインスタント麺だけは売れ残ったり、日用品の「キッチンハイター」は売り切れて、PB商品の「キッチンブリーチ」は売り場に残っている…

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なんてことを見るたび、消費者の知識と行動には「?(はてな)」がついてしまうことも度々…。

だから、いくら供給量があっても

☑好きなものを食べたい
☑いつものものを食べたい
☑おいしいものを食べたい

という消費者の選別する消費行動は変わらず、いざ有事の際には、たとえ供給が満たされていても、欲しい物がないということで、空腹に倒れてしまう人がでてくるのではないか、とさえ思うのです。

「生産者」と「消費者」という分断【問題】

 では、そんな脆弱な消費者が、これからの時代、生き残っていくにはどうしたらよいか。それは、消費者が消費側に一方的なポジションを取るのではなく、生産する側の現状や、流通・小売における状況を知り、どんな消費行動を取るべきか、改めて考え直すことです。

どんな消費行動も、必ず「正しい」からそれを選択する。間違った消費行動などないのです。(当の本人にとって見れば…)

 でも、消費者が生産者になるのは容易じゃないし、生産者が消費者の気持ちを汲み取るにも、人気のない山奥に日頃コミュニケーション慣れしていないと、もしかしたら都市の人々との会話ややり取りが不慣れや齟齬がでるのかもしれない。つまり、単純な話ではないということです。

 そこで出てくるのが「生産者グループ」というくくり。同じ生産者同士で横のつながりや連携をすすめるほど、消費者は、情報においても、食物を作り出す能力に置いても非対称的な地位に位置づけられるため、一気にそこには壁ができあがることになる。理解し、向き合うべき相手との対峙を阻害するのがこの「生産者グループ」なのです。

 だから、「生産」か「消費」かというくくりは、もう辞めにしたほうがいい。つくることも、たべることも、皆同じ直面すべきもの、という考えになれば、気候変動による凶作や、収穫直前の台風直撃による壊滅的打撃も、他人事ではなくなる。私の口に入るものが、たまたま今、目の前になく、遠くの地方で、作られているだけ。やがて、消費者にも直面するのです。

 咀嚼して、食べる一瞬しか「食」が介在しないからこそ、粗末に扱い、廃棄し、それが膨大な食品ロスとしてつみあがる。匿名性こそが、粗末で粗雑な消費行動を誘発しているわけです。だって、おばあちゃんが握ったおにぎりが、仮に塩振りすぎだったとしても、食べるでしょ?関わりができる瞬間に、人は食を「モノ」ではなく「ヒト」から分離した延長として考えることができるのです。

「Moon」を数える人、「月」を想う人【共感】

 三日月や満月など、月の満ち欠けを数えることで、季節や日付を把握する。現代のような時計や日数を容易に計算することのできない時代には、月の状態を数えることで、作物の生育日数や、ピラミッドの建設など、「数える」ために月は役立てられていた。

 一方、この月を見上げ、黄金色に輝く「月」という物体に思いを馳せることで、恋や哀愁を例えてきた日本人の美しさは、やはりこれからも、もっと大事にしていくほうがいい。

 日本語には「音読み」と「訓読み」があることが、外国人が日本語を学ぶときの大変大きな障壁になっているという。音だけ学んでも、同じ音で、様々な意味をもつ場合があるからだ。表音文字と表意文字の差は、識字率の高さや、やがて、文化や文芸の奥ゆかしさにつながっていく。

 私達は、「訓読み」の意味と価値にもう少し気づいたほうがいい。

「アナタ」と「あなた」

「ワタシ」と「私」

一見同じようで、そこに携える背景が違えば、よくも悪くも、印象が変わる。そんな繊細さを持って、モノゴトに立ち向かい、物事にすることで、私達の人生という時間は豊かになっていく。

だから、考えてほしいのだ。あなたが食べる食事は、「モノ」ですか?それとも「物」ですか?と。

「物」の本来の意味は、有形無形の一切のもの。人、すべてであるということを。月を見上げて、あなたは何を想いますか?

「月が綺麗ですね」

私達は「サンチョク」や「グループ」や「モノ」といった「音読み」で食に対峙する姿勢を改めて問い直し、「訓読み」で語ってほしいのです。

最後まで呼んでくれた、あなたに、私から1つお願いがあります。農場を突如失ったとある農家が、改めて、生産者と消費者の垣根を超えて、農園を作り直そうとしています。

 「リファーム」する。あなたなら、なんて言葉に置き換えますか?


 

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