【ハッピーバレンタイン・ネオサイタマ】
今日もネオサイタマには重金属酸性雨が降り注ぐ。立ち並ぶネオン看板が、有害な雨粒に打たれてバチバチと明滅する。しかし、人の欲望を具現化したその光は決して絶えることはない。
増して、この日は2月14日。オーボン・クリスマス・オショガツといった重い宗教的意味を持つ記念日には及ばぬものの、古来より恋人同士の愛の誓いの日として知られ、現代においては大切な誰かに想いを込めた菓子類を贈るという文化的記念日として親しまれる、バレンタインの日である。
この機に乗じて利益を上げんと、各種キャンペーンを展開する暗黒メガコーポがネオサイタマ各地で放つ熱気は凄まじく、重金属酸性雨の冷たさもそれを遮るには至らない。
あちこちでバレンタイン消費を呼びかける電子音声が飛び交い、コンビニエンス・ストアの棚には菓子類が所狭しと並ぶ。
通りでは、バレンタイン仕様としてリボンやハートマーク・タトゥーでデコレーションされた企業広告塔用バイオスモトリたちが、「高級なチョコ」「たまには奮発しよう」「愛は言葉より金額」などといった刺激的な文言を掲げている。
「ハッピー! ハッピー! バレンタイン! まだ見ぬ想いを受け取って! アナタ、私の王子様!」
「電話王子様」のネオン看板の方からも、このような店舗呼び込み音声が聞こえてくる。その下の店舗ブースから吐き出された工場労働者のマキオが、財布の中身を確認しながら肩を落として呻く。「アイエエエエ……」バレンタイン経済に僅かな所持金を飲み込まれた、彼の今月の窮状を埋めてくれる者はいない。
まだ見ぬプリンセスと過ごす訪れることのなかった未来より、己の明日のことをようやく案じながらマキオが歩き始めようとしたその時。目の前に人影が現れた。
「エッ?」間の抜けた声を上げたマキオの目に飛び込んできたのは、白いパティシエ装束に身を包み、顔の下半分を赤いスカーフ状のメンポで覆ったニンジャ……そう、ニンジャである!
「アイエエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」
「ドーモ。ホットスウィートです。怖がることはありません」
急性ニンジャ・リアリティ・ショック症状に陥り、取り乱すマキオにニンジャは優しく語り掛けた。その目には、見るものを恐怖させずにいられない狂気が滲む。
「今日という日を共に過ごす相手がいない貴方に、私の手で愛をプレゼントしましょう」
「ア、アイエエエエエ! 助けて! アイエエエエエ!」
泣き叫ぶマキオを軽々と担ぎ上げると、ホットスウィートは常人の三倍の脚力でネオサイタマの闇を駆け抜けた。
やがて、マキオが連れ込まれたのは、廃墟となったお菓子工場であった。長年稼働していないはずの工場内には、奇妙に甘ったるい香りが充満している。
抵抗する間もなく拘束され、汚い床に転がされたマキオが見たのは、熱気を立ち昇らせる巨大な鍋と、その傍らに並べられたチョコ色の彫像群であった。男女の彫像一つずつを一組とし、それぞれ違ったポーズで恋人同士であるかのように配置されている。
彫像たちの恐怖に歪んだ表情に、マキオは直感的に悟った。彼らはかつて生きた人間だったのだ! このニンジャの手によって殺され、チョコで固められたのだ!
「どうです? 素晴らしいでしょう」「アイエエエエエ!」
失禁するマキオをよそに、ホットスウィートは穏やかな善意に満ちた笑顔で語り続ける。
「この冷たい都市に生きる人々は、愛を忘れてしまっています。欲望に溺れ、他者を利用し、カネのためなら何でもする。それではいけません。私はこのバレンタインの日に、そんな人々を永遠に朽ちることのない愛で結び付けているのです」
ナムサン……ホットスウィートの目に、欺瞞の色はない。己の行為が善行であると、本気で信じているのだ。何たる無自覚的狂気か!
しかし、その狂気を咎められる者はここにはいない。ホットスウィートは腕を振るい、鍋の中で煮え立つ大量の高熱液状化チョコに超自然的な茶色の光を纏わせる。
すると、高熱液状化チョコが生き物のように蠢き、触手状となって鍋から空中へと伸びた! チョコにカラテを流し込み、菓子の域を超えた柔軟性と攻撃性を持たせ、さらには己の意のままに操ることを可能とするチョコ・エンハンスメント・ジツである!
「さあ、貴方にも愛を差し上げましょう。その後すぐに、貴方と永遠を誓うこととなる女性を探してきて、貴方の横に並べてあげます」
「アイエエエエ! アイエエエエエ!」
絶叫するマキオに、高熱液状化チョコが迫る。今まさに、チョコ触手がマキオを飲み込まんとした、その時!
「愛とは無差別殺人のことだったか。初耳だ」「誰です!?」
地獄めいた声が、廃工場の入り口から響いてきた。威圧的な足音と共に歩いてきたのは、赤黒の装束と「忍」「殺」と刻まれた鋼鉄メンポを身に着けたニンジャであった。「アイエエエエ!」更なるニンジャの登場に、マキオが悲鳴を上げる。
「ドーモ、ホットスウィート=サン、ニンジャスレイヤーです」
「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、ホットスウィートです」
二人のニンジャはアイサツを交わした。張りつめたアトモスフィアが、廃工場内の甘い香りを吹き飛ばす。
「オヌシのふざけた連続チョコ化殺人もここまでだ。あそこで煮えておる残りのチョコは、オヌシ自身のオブツダンにでも供えるがいい」
「いきなり現れて、何を言うかと思えば……! 貴方のような愛を知らぬ輩に、私は負けません! イヤーッ!」
チョコ・エンハンスメント・ジツ! 空中で複数に分かれた高熱チョコ触手が、多方向からニンジャスレイヤーを襲う!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは連続側転でこれをかわし、連続スリケン投擲! しかし、ジツで強化されたチョコの触手が空中でスリケンを撃墜する!
「その程度では、私の愛は破れません! 愛は勝つのです!」
哄笑するホットスウィート! 実際、このまま戦い続ければ、死神と言えどもいずれはチョコ触手に絡め取られることになろう。だが、死神の殺意漲る双眸は、独善的な愛に酔うホットスウィートの隙を捕らえていた!
「イヤーッ! イヤーッ!」
「グワーッ!?」
悲鳴を上げたのはホットスウィート! その背中に深々とスリケンが突き刺さっている!
ニンジャスレイヤーは、わずかな時間差で二枚のスリケンを投擲し、一枚目のスリケンをわずかに角度を変えた二枚目のスリケンで弾いて軌道を変え、ホットスウィートの背後から襲い掛からせたのだ! 何たる精密な投擲技術による空中スリケン跳弾か!
その隙に、一瞬にしてホットスウィートの懐に踏み込んだニンジャスレイヤーは、ホットスウィートの身体を掴み、身体を反らしてチョコが煮え立つ鍋の上へと放り投げた!
「他人に押し付ける前に、まずは自分自身で御大層な愛とやらの湯加減を確かめるがよかろう」
「ア、アイエエエエエ! アバババババーッ!」
SPLAAASH! ホットスウィートは煮えたぎる高熱チョコを満たした鍋に転落した! ナムアミダブツ! チョコ・カマユデ!
「サヨナラ!」ホットスウィートは爆発四散! ニンジャと言えど、超高熱のチョコの釜で煮られれば実際死ぬのだ! インガオホー!
ザンシンを決めたニンジャスレイヤーは振り返り、あまりのことに硬直するマキオに歩み寄ると、その拘束を解いた。
「早く行け」
短い一言を残すと、続いてニンジャスレイヤーは懐からセンコの束を取り出し、火をつけてチョコ彫像群の前に置いた。甘ったるい香りが徐々に失せ、奥ゆかしいセンコの香りが廃工場に漂った。
「イヤーッ!」やがて死神は踵を返し、廃工場の窓から飛び出して消えた。マキオの精神がニンジャ・リアリティ・ショックから立ち直るまでにはしばらくを要した。
「ア、アイエエエエ……助かった、のか……?」
自分の目で見たにも関わらず、マキオには先ほどまでこの場で繰り広げられていたニンジャのイクサが現実のものだったのか、わからなくなっていた。ただ眼前に残る巨大な鍋とチョコ彫像と、センコの香りは確かなものだった。
やがてマキオは立ち上がり、廃工場から這いずるように脱出した。ビルの向こうでは未だに猥雑な光が明滅し、バレンタインの消費を叫ぶ電子音声が微かにここにまで届いた。
マキオは深呼吸して自分が生きていることを確かめると、「電話王子様」から出て来た時とは違う確かな足取りで、身に纏わりつく甘い香りを振り払うようにネオサイタマの街並みへと戻っていった。
【ハッピーバレンタイン・ネオサイタマ】 終
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