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ヨーロッパ文化教養講座(車田和寿「音楽に寄せて106」原作はどう尊重すべき?)

2024/02/08
「セクシー田中さん」の原作者芦原妃名子さんが亡くなって以来、漫画、小説、アニメ、ドラマの製作者・関係者が「原作をどう尊重すべき?」という命題について様々な意見を発信している。
ドラマ版「セクシー田中さん」をとても良いドラマだと思って楽しみに観ていた小生にとっても関心のある話題である。
この事件については、関係者が素直に事情を明かし、業界全体で改善を図っていかないと、また同じような悲しいことが起こるのではないかと危惧している。

さて、
今回の車田和寿氏の「音楽に寄せて」は、クラシック音楽の世界での原作者(=作曲家)の著作物(=楽譜)を、どのように尊重すべきなのかというタイムリーな話題が取り上げられた。

1.クラシック音楽においての楽譜は、作曲家が作った楽譜を、演奏家が演奏(=再現)して初めて芸術作品となる。演奏家は、再現芸術家である。

1)シューベルト
シューベルトの時代(シューベルト 1897年~1828年)は、演奏家が習慣的に自由に改変して演奏していた。シューベルトの歌曲を愛し、世に広めたバリトン歌手ミヒャエル・フォーゲルは、改変をし過ぎてシューベルトに「今の曲は何?良い曲だね?」と皮肉を言われたという話もあるそうだ。

2)マーラー
マーラーは、作曲家としても、ウィーン・フィルの指揮者としても活躍した。
指揮者としては、楽譜に忠実な演奏で「独裁者」と言われるほど、オケに厳しく指導した。
一方、楽譜を改変することもしばしばあったという。
楽譜を「改変する」ときのマーラーは、作曲家の顔が出て、オリジナルの楽譜を「改良する」気持ちだったのではないかと思った。

3) ヴェルディ
ヴェルディは、厳格に自分の楽譜通りの演奏を演奏家に求めた。
そのため、演奏家に楽譜を渡すときは、契約書を交わして、改変すると損害賠償を求めたそうだ。

4) トスカニーニとプッチーニ
トスカニーニは、マーラーと同様、楽譜に忠実(特にテンポの面)な演奏をオケに求めた。
->ベートーヴェンの第9の極めて速いテンポの演奏が録音で残っている。
そして、マーラーと同様、トスカニーニも良く楽譜を改変(加音)したそうだ。

しかし、トスカニーニが「ラ・ボエーム」に楽譜に無い音を付け加えて演奏したのを聴いた作曲家プッチーニは、怒るところか、トスカニーニが「再創造」したと絶賛したそうだ。

5) ピリオド楽器とフルトヴェングラー
楽譜に忠実というだけでなく、楽器も忠実に再現するため、作曲家が生きた時代の楽器(ピリオド楽器)を使った演奏がある。(近年はブームに近いのではないかと思う)

フルトヴェングラーは、ピリオド楽器での演奏については否定的で、作曲家の精神を残して「再創造」するべきと言っていたそうだ。

2.再現芸術を逸脱している具体的例

6)オペラの演出
オペラの演出で、時代を極端に無視したり、衣装と背景が同じ色で誰が誰かがわからなかったりする演出が最近よく見られる。
これは、車田氏によると、演出家が伝統的な演出をすると目立たないので、次に仕事をもらえるかどうかが、わからないからだという。
つまり、作品のためではなく、自分のために「再現」していることになる。

7)吹奏楽コンクールの編曲
原曲を吹奏楽コンクールの演奏時間に合わせて大幅に改変し、原作者(作曲者)とトラブルになることが良くあるそうだ。
これも、主催者側の都合で改変されたということだろう。

3.まとめ
上記1の例は、演奏者はオリジナルを改変したとしても、オリジナルに対する敬意や愛情は明らかにあるが、2の例はそれが薄い。

このように、クラシック音楽の世界でも、作曲家や演奏家の性格や考え方によって、「原作の尊重」についての捉え方は様々である。
結局のところ、
車田和寿氏は、原作者が原作を100%守ろうと思ったら、ヴェルディのように契約を結んで厳守させるしか方法はないだろうと言っているが、それが正解だろう。



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