生命は動的平衡か 4 生態学における動的平衡

私が動的平衡という言葉を初めて目にしたのは学生時代で、マッカーサーとウィルソンの島の生物地理学理論(MacArthur and Wilson 1963)によってであった。島に生息する生物の種数が縞の面積が広いほど多く、大陸から離れた孤島ほど少ないということは以前から知られていた。その現象を説明するために考えられた仮説である。彼らは、島の生物は大陸などから渡って来て住み着くと仮定をおいた。そのため、移住率は大陸からの距離と反比例するだろう。また、小さな島では生息できる個体数が少なく、絶滅率は高くなると考えた。新しい島ができると、徐々に生息種数が増加する。しかし生息種数が増加すると、新たな種が加わる速度は相対的に減少する。同時に島での絶滅率は増加する。移住率と絶滅率が等しいときに種数は一定となる。これが島の生物地理学の平衡仮説であり、論文の中でモデルが示すのは動的平衡であると書いている。島の生物群集は開放系であることから、化学で言うところの動的平衡とは異なるだろう。

話は逸れるが、マッカーサーは学部で数学を専攻した後に大学院で生態学を研究した。生態現象の説明に洗練された数理的手法を用いたことに私は大きな影響を受けた。また、ウィルソンは蟻の分類学が専門であったが、広い見識から、社会生物学や生物多様性について著作があり、ピューリッツァ賞をとるなど、社会に大きな影響を与えた。

生態学の分野で動的平衡という言葉は南アフリカのジョーン・フィリップが1935年にクレメンツの気候極相説を支持する論文で用いている。
植物が生えていない場所には最初はコケや草が生え、徐々に植生が変化して、最終的には安定した極相植生に到達すると考えられている。気候植生説は極相植生は気候によってのみ決まるという考え方である。極相に到達した森林では樹木の枯死と若木の成長によって種組成や現存量が平衡に達すると考えられ、この状態を動的平衡と呼んだ。

極相は、極相期の生育地と恒久的で静的な平衡状態にあると考えるべきではなく、動的平衡状態にあると考えるのがより自然である。

Phillips, J. (1935). Succession, development, the climax, and the complex organism: An analysis of concepts: Part II. Development and the climax. Journal of Ecology, 23(1), 210-246

1949年にはW.,C.アリーとT. パークが「生態学原理に関して」という論文で動的平衡を取り上げている。

「生物とは、私たちが定義できる限り、動的平衡状態にある物理化学的機構であり、自己制御性、自己永続性を示し、その総体として私たちが生命と呼ぶものである。」
「私たちの考え方では、群集を動的平衡の概念にあるようなバランスのとれた状態にあると考えるか、それとも永久にアンバランスな状態にあると考えるかは、あくまでも視点の問題である。どちらも同じ一般的な考えを表している。」

Allee, W. C., & Park, T. (1939). Concerning ecological principles. Science, 89(2304), 166-169

私も含めて、生態学者は化学における動的平衡の定義についてはあまり気にしないで、開放系における見かけ上の静止状態に独自の定義で動的平衡という言葉を使ってきた。こうした分野間で同じ単語の定義が異なることは、不思議ではない。ただ、用いる場合にどのような定義で用いるのかを明確にする必要があるだろう。

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