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田んぼはほんものの自然じゃない3

ほどほどに「かき乱される」ことでつながっている命


代かき、田植え、中干しなど、農作業の工程に応じて、水田の水位は人為的に頻繁に変わる。いってみれば水田は「不安定な湿地」だ。イネが小さいうちは水面が見えているが、イネの生長とともに水面は隠れ、背の高い草地に変わり、稲刈りによって突然、裸地同然になる。
 水田はこうした撹乱がある点では、氾濫原や自然の湿地と似ているが、人間の手によって、毎年決まって同じように変化するという点では、自然湿地とは異なるし、水田内の水深が一様である点でも異なっている。水田の生物多様性は、人の手による撹乱によって維持されている。自然湿地は水位変動以外にも、火災や動物による撹乱で多様性を保っていることも重要である。

田んぼの恵みはお米だけじゃない


 アジア諸国では、水田で捕れる魚は重要な食料だ。水田養魚は少なくとも世界の24か国で行なわれている。日本での水田養魚の歴史は2000年とされている。
 養殖されるコイ、フナ、ドジョウなどの種は、本来は氾濫原を産卵場所とし、農業水路が近代化されるまでは、水路を介して水田に侵入し産卵していた。水田で生産される魚は、1951年には155万tにも達した。日本では現在、食用のための水田養魚は一部の内陸地域に限られ、生産量は減少している。
 水田で捕まえるのは魚だけではない。石川県加賀市の鴨池周辺の水田では、冬にも水をはる。カモをおびきよせて捕まえるためだ。新潟市潟東地区でも、冬には水田に「おとり鴨」を放し、近寄ってきた鴨を網で捕まえる。
 かつては水田に棲む昆虫や雑草も食べていた。ヨメナ、ヒルムシロ、クログワイ、ミズアオイなどの水田雑草は食用にされていた。『万葉集』には,水田にわざわざコナギを植えていたと思われる記述もある。昆虫もよく食べられていたが、現在では長野県や福島県など特定の地域で、ハチの幼虫やイナゴなどを食べる習慣が残っているのみだ。畔の草本は薬草として利用したり、花はお盆や秋祭りの装飾として使うこともあった。
 稲刈りを終えた秋の田を縁どるように咲く鮮やかなヒガンバナは、観賞用に植えられたのではない。その球根にはデンプン質が含まれていて、充分に水にさらせば食用になったことから、飢饉に備えて畔に植えられた。

●人間に翻弄されながらたくましく生きる生物


 
 生活史に要する時間の長さ(寿命)や体の大きさ、移動力の違いによって、田んぼの利用の仕方も違う(図5)。移動できる動物は、水田と周辺の樹林や草地、河川を行き来することで,季節的に変化する水田の環境をうまく利用している。


図5 種によって異なる田んぼの利用


 生きものにとっての田んぼの環境は、①「田起こし」ないしは「代かき」まで、②「田植え」から「中干し」まで、③「中干し」から「稲刈り」まで、④「稲刈り」後から翌春までの4つの時期に分けることができる。なかでも、水の有無や水量の変化は、生きものたちの生活と大きく関係する。
 田植え前の田んぼは、人工の湿地ともいえる。その水は、土から溶け出した養分に富み、水深は浅く日差しが充分にあたるので、メスだけで増えるミジンコや栄養繁殖するウキクサがあっという間に一面に広がる。
 生活の一部を田んぼですごす鳥がいる。たとえばケリやヒバリは、水が入る前の春の田んぼや畔を利用して営巣する。田んぼに水が入ると、サギ類などはオタマジャクシや水生昆虫を食べに訪れる。谷間につくられた田んぼでは、近くの樹上からサシバがカエルなどを狙っている。サギやサシバは、イネが生長して水面が見えなくなると、田んぼを餌場として利用しなくなる。
 カエルは大きく分けて、田植え前後で種が入れ替わる。排水の悪い田んぼでは、灌漑していない冬の間も一部分に水がたまっている。そのような水たまりや流れの緩い土水路に、2月から3月にかけて、まずニホンアカガエルやヤマアカガエルが産卵する。これらのオタマジャクシは、5月ころには亜成体となって上陸する。いっぽう、シュレーゲルアオガエル、トノサマガエル、アマガエルなどは、田植え前に水が入ってから産卵する。アマガエルの繁殖期間は4月から9月で、その間、中干しの時期をまたいで何回も産卵するため、中干しで一時期水がなくなっても、あまり影響をうけない。しかし、トノサマガエルやダルマガエル類のオタマジャクシは、7月ころにはカエルになって上陸するので、中干しの時期が早いと、オタマジャクシのまま死んでしまう。
 ナマズやフナ、アユモドキなどは、春に川が増水すると、水路などをつたって田んぼに移動して産卵する(図6)。湛水直後の田んぼは、藻類やミジンコなどが急増し、稚魚にとっては餌【えさ】の豊富な環境だ。稚魚を補食する魚もいないため、水田で産卵されたニゴロブナ稚魚の中干しまでの生存率は57%という調査結果もあり、これは琵琶湖のヨシ原よりも高い値である※1。タガメやタイコウチなどの水生昆虫も、田植え後の田んぼで産卵し、中干し時や収穫前に水が抜かれるまでに成虫になって、ため池や自然湿地など永続的な水域に移動する。

田んぼで産卵する魚


 田んぼができたことによって集まってくる生きものもいる。しかし、それ以前から、その土地に棲んでいた生きものもいたはずである。たとえば、丘陵地や花崗岩の山地は崩れやすく、土砂などによって谷は頻繁にせき止められる。そうしたところが湧水湿地となり、モウセンゴケやサギソウ、ハッチョウトンボ、カスミサンショウウオなどに生育場所を提供した(図7)。田んぼがつくられると、こうした湿地は失われるが、一部の種は水路や畔に生き残っている。畔や田んぼに面した斜面は、水田が日陰になったり雑草が種をつけないように年に何回も刈られる。背の高い草や木は育たないので、畦には日陰に弱い(陽なたを好む)種が生育することができる(図8)。なかには、氷河期の遺存種とも考えられる中国北部にも分布する植物(ワレモコウ、キキョウ、オミナエシなど)などが見られる。

図7 谷がせきとめられたり湧水によってできる湿地


図8 田んぼ周辺の草地


 河川下流の氾濫原では、洪水による撹乱のある富栄養な湿地ができる。オニバスやミズアオイなどはこのような氾濫原に生育していたのだろう。
 田んぼがつくられたことでいなくなった生きものもいれば、田んぼのおかげで生息している生きものもいる。農作業による撹乱を巧みに利用して命をつないでいるものもいる。人間の都合にふりまわされながらも、生き物たちはしたたかに生きているのである。


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