scibean歴史譚 ──積む、繋げる、消す
はじめまして、ぷよらーアドカレ2024の12/20を担当しているscibeanです。このハンネ、本当は「サイビーン」と呼ぶのですが、みんな「すしびーん」と読むのですしと呼ばれています。
早速ですが、以下の相関図を見てください。
簡単な自己紹介がてら自分とその友達(おいう出場者、関係者メイン)の関係を記載したものです。必ずしも今回の話に関係はしないのですが、頭の片隅に入れておくと少し味付けになるかもしれないです。(半分ネタです)
さて、今回アドカレで書かせてもらうのは「ぷよ界における自分の足跡と友人たちとの出会い」です。単純に僕の昔話だと思ってくれれば良いです。ただ、半分隠居した人間を中心にし過ぎても、あまり意味のない記事になってしまうと思うため、なにかと最近活躍目覚ましい友人たちとの話を織り交ぜて書かせてもらいます。
※ちなみに自分は記憶力がとてつもなく弱いので、所々忘れてるところは適当に書いています。間違っていたらコメントなどで教えて下さい。
1.ぷよぷよ立志編
まず、あなたのぷよはどこから?ということで書かせてもらいます。自分がぷよぷよと出会ったのは2012年で、絶賛浪人していた時期です。高校時代もこうキッズだった僕は、たまに上がる動画でぷよぷよ対戦は見ていたのですが、やる方はあまり興味がなく、もこう先生が謝罪する動画につけられた「嘘泣き」とか「謝罪芸」みたいなタグを「嘘じゃない!!!」と言いながら消す自警団活動をしているのみでした。
一方ぷよ動画では催促や潰しの概念を知らなかったので、もこう先生が一生懸命組んだ連鎖を邪魔してくる人たちのことをマジモンの荒らしだと思ってました。
その後浪人となり、友人と遊んでるときに勧められ結局始めたという次第です。
※ちなみにその友人に代わりに麻雀を教えたら、全国区レベルで有名な高校卒だったのに、ハマり過ぎて三浪してしまいました😀(その後、大学合格するも雀荘店員となり無事留年)
この頃オンラインは20thまたはクラが流行ってたと思いますが、旧四強の動画を見てS級キッズと化した僕はもっぱらVCAぷよ通(wiiでできるACぷよ通)に明け暮れていました。浪人友達と朝活と称し、朝5時から50先をやるという恒例行事がありましたが、今思えば全く意味が分かりません。(眠たくて予備校で寝てたし)
そして、対戦動画を漁っているときに大学対抗戦(後述)なるものを発見し、ぷよぷよクラシックとぷよぷよサークルへの興味が深まり、大学に入ったら絶対にサークルに加入し大学対抗戦に出ることを志します。
2.ぷよぷよクラシック編
ぷよぷよを始めて、最初に触ったのは20thでしたが、しっかり触ったソフトはぷよぷよフィーバー クラシックが最初でした。
ぷよぷよクラシック(通称:ぷよクラ)とは、その昔にあったPCオンラインゲーム(の通ルールのこと)で、オンライン対戦、観戦、本数カウントに加え、なんとチャット、とこぷよができるとても高機能なソフトでした。
中でも僕にぷよぷよを教えてくれていた「東海第二原発」という人は、このチャット機能を活かし、大会の合間にチャットで相手を恫喝することでパフォーマンスを下げるテクニックを使っていたのですが、皆さんは絶対真似しないでください。(どういう人間だったかは名前から察してください、ひな鳥は最初に見たものを親と思うのです・・・)
あとこのゲーム、ゲームスピードがとてつもなく遅く、ツモ補正があり、お邪魔の振る順番が決まっているという今では想像できない仕様だったのですが、今の上位勢がプレーするとどんな感じになるのか気になります、奇特な人が大会開いてくれないかなぁ。
ぷよぷよ級位戦・段位戦
ぷよクラからとって離せないものの一つとしてぷよぷよ級位戦・段位戦があります。自分は浪人時代の終わりに級位戦に参加し始めたのですが、ここから今日に至るまでの人間関係が形成されたといっても過言ではないと思います。
級位段位がどのようなものかはぷよぷよ段位戦のページを見てもらえればわかると思います。簡単に言えば、同じ級位、段位の人が集まって負け抜けで試合を回し、ポイントを稼ぐ、あるラインまでポイントを稼げれば昇級昇段するといった感じです。(負けが重なれば降格)
級位は初心者向けというのもあり、このころに知り合った人はほぼ同期みたいなものです。
sym
しいくいん
抹茶コーラ
たまごやき
かれーぱん(別名:長門有希、ねむみん、はたち、のどっち、さとり、まよい、月ノ美兎、あこ)
この辺が今も活動していて当時から戦っていた人たちでしょうか。もっと沢山いたのですが、殆どネットから消えてしまいました・・・。
今でも繋がりが深いsymはどちらかというと級位でも認識はしていたものの、段位戦で仲良くなった気がします。自分は最高二段まで行きました。
当時のsymとのやり取りです、鳥肌が立ちますね。
ちなみにこれはALFさんが段位戦に参入したときの初段戦に自分とsymが参加しており、sym vs すしで勝った方がALFさんと対戦できるという状況だった時のものです。有名人と直接対決できる機会は当時なかなか無かったので、お互い全力でした。(symの博打速攻で決め切られた記憶があります)
今やsymは何やればいいかわからないってレベルでもないでしょうから、なんかエモいですね。速攻辞めろ
Twitter活動
級位戦参入とともにSNSを開始した僕ですが、SNSなるものの運用がよくわかっておらず、SNSデビューで作ったリア垢を使いまわしていました。
そのせいで今でもフォロワーにはぷよらーに加え、幼稚園から会社までの友達がいます。
今のところ何の問題もないので皆さんもリアルとネットをクロスオーバーさせましょう、アカウント分ける必要なくて便利ですよ。
その後、級位勢だけでなくぷよらーという範囲でフォローを伸ばしていき、Ashなど昔からいるぷよらーと交流し始めます。
そして・・・
はい、事実上級位戦は消えてしまいました。(トホホ・・・)
級位戦と段位戦は運営として分かれていたんですが、もろもろ踏まえて統合する話が出た際に反発があり、段位勢から問題視されてしまったわけですね。(正直何が問題で炎上したのかは覚えてないです)
自分も配信者として運営に携わっていたので、まずは意見をすり合わせたいと思い上記のような要請をしたのですが、後に開かれた枠で級位戦主催が何故かコメント欄とひたすらレスバしてしまい、溝は決定的なものになりました。(ここは自分の印象)
そして級位戦は後にぷよぷよ学園というものに名前を変え、別に運営されていくのでした。2013年後半くらいの出来事です。
3.大学編(2013〜2016)
級位戦の瓦解と前後して2013年春、僕は大学受験を終え、大阪の山の上にある大阪大学というところに入学します。
ぷよサー加入
早速僕はもともと決めていたぷよぷよサークル「大阪大学ぷよぷよ。」(通称OUP)に加入します。そこで今もおいうA級で活躍中のredriさんをはじめとし、サークル長のtaka8654さん、しもむーさん、sumireさんなどと出会います。(実は先輩ぷよらーでおいうA級に出てる方はredriさん以外にもいるのですが、名前変えてるので一応伏せておきます)
自分が入学する2013年あたりのOUPは強い人はいるものの、多忙により対抗戦に出れなかったりで、中堅クラスといった印象でした。
当時といえばやはり早稲田大学のぷよぷよ戦技技術開発研究所(通称:戦技研)一強で、スポーツ漫画の強豪校よりも最強でした。Tom、凸凹マスター、飛車ちゅう(敬称略)の並びが特に強く、5人で戦うルールなのに、うち3人が他大学のエース級メンバーを圧倒する能力を持っているという違法ぶりです。(ちなみに他の人も全然雲水くらい強い)
また、この時代のオンライン大会の一大コンテンツといえば、大学対抗戦と日韓戦であるため、自分の世代(93年)あたりの世代に謎に有名大学卒が多いのも、この辺の影響が少なからずあると思います。(当時ぷよさーが有名私立/国立に集中していたため、おそらく学祭なども古くから貢献?)
AC対戦会参入
大阪移住と共に、夢にまでみたACぷよぷよ通対戦会デビューです。これまでぷよクラのことを書いてきましたが、この頃は旧4強含め強い人の主戦場は基本的にACでした。
ただ、ACは地方にあまりないため、愛知・大阪・東京のような都会に行かなければ基本的に定期的な活動は難しかったです。(地方だと石川や宮城あたりは精力的だったイメージ)
そこで今に至るまでお世話になっているreoru君と出会いました。
団長とよく喋っているイメージなので、年上だと思いずっと敬語で話していたのですが、後に1つ下であることが判明します。(そのせいで今も敬語)
同時期にMGR君とも出会っていますが、こちらは見た目から普通に年上だと思い「(院生かな・・・?)」と考えていました。(すぐタメ口になりました)
また、時間があるときはa-choという京都のゲーセンで開催されている対戦会まで赴くこともありました。
大阪とは違った人がいて面白かったです。対戦会中ニヤニヤしながらフィネス(当時関西トップクラス)のぷよを見ている冷やかしの陽キャがいると思ったらshiyotaでした。
級位勢オフ
地味に今後のターニングポイントとなっていたのは、2013年夏に開催したAC初心者&大阪の級位勢をターゲットとしたAC対戦会の主催です。これにより、オンライン主体だった級位勢とオフで会う壁が一定無くなり、色んな人と会う流れに繋げられたと思います。(参加者はsucre、ウギウギ、ためおとかその辺だった気がする)
すしオフ
大阪で級位勢と遊ぶようになる一方で、そのうち仲のいい級位勢+αと集まることになりました。2014年の3月くらいでしょうか。
初回参加者は sym、Ash、かれーぱん、白血球、しもつき、むねちゃ、よしけん(現:しなしなまん)あたりだったと思います。
世間的にはまだオフ会がそれほど一般的でなかったのもあり、しもつきくんはネットの人に会うことを親に伝えると「殺される!!」と引き留められたそうですが、来てくれました。(今も生きてます)
当時特に大会もないタイミングで遠方から集まるイベントも少し珍しかったため、このオフを境に僕が主催するオフ会をすしオフ、また僕の周りを含めた人間たちをすしファミと呼ぶのがしばらく流行ります。
ここで食事会に顔を出したreoruくんと僕の仲の良い人間が繋がりをもち、現在も続いている関係となっています。(reoru、sym、Ash)
また、逆にreoru君が自分のことを周りに伝えてくれ、HIROさんなど自分よりちょっと上の世代とどんどん繋がりを増やしていくことになるのでした。当時このあたりの活躍していたぷよらー周りと知り合えたのは、ひとえにreoru君のおかげだと思います。
すしオフで人を泊めたのを機に遠征勢を泊めるすし邸という位置づけになりはじめ、大阪に遠征するぷよらーはウチに来るという謎の流れもできていました。
多分泊めたことのあるぷよらーは30人くらい(それ以上?)いる気がします。
中でも岡山の鬼才であるところのぽかりす様は、1か月間家事手伝いとしてすし邸に泊まっていたことがあります。
大学対抗戦出場
いよいよ2013年に開かれた第3回大学対抗戦に出るという話はありますが、特に何もなく負けただけなので割愛します。
2014年に開かれた第4回大学対抗戦では、自分が出ない方が勝率が高くなることに気付き、強い人に出てもらえるよう要請した記憶があります。戦技研もTomさん、飛車ちゅうさんなどが卒業し、一強というわけではなくなっていたため、本気で優勝を狙に行こうと思っていました。まぁ僕は控えなので本当に思ってただけなんですけど。
おそらくこの年が一番大学の数も多く、大学で対抗戦するという文化が一番盛り上がっていたと思います。次回以降もっと大会が大きくなり、もっと多くの大学にぷよサーが生まれる!!とワクワクしていた僕だったのですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はい、1年ぶりいつものですが2014年12月ごろサービスが終了することになり、配信しやすい公式のオンライン対戦ソフトを失ったため、急速にしぼんで消えました。(wiiや3dsの環境はあったものの、誰もが配信することは困難な時代)
その他
・学祭関係
OUP主催の学祭や、京大ふぁいやー主催の大会などにも顔を出すようになります。
自分の大学のイベントでは運営をするようになり、知り合いに遠征してもらうことで貢献してたと思います。2014年以降大学卒業までsym、Ashあたりの遠征勢は皆勤賞のような気がします。(なんで?)
阪大の大会にはふぁいやーの人たちも来てくれるんですが、当時のふぁいやーツートップであるしえろ、shibyuuに連れられ突如現れた強者であるぽんでりおん君とは、今に至るまで繋がりができるとは全く思ってませんでした。古参ツートップに挟まれた新人エースという構図が良すぎる、という話をreoru君とよく喋ってた気がします。
また、ふぁいやー主催の京大NF大会は当時一大イベントだったので、有名人の遠征参加も多く、大会の後に開かれる飲み会にて、古くから関西ぷよを支えてきたDDTさんや、kenny式の開発者であるkennyさんをはじめとした古豪の面々と知り合いました。kennyさんとは、この頃は面識がある程度だったのですが、上京を機に繋がりが深まり一緒にスキー旅行などに行くようになったのもなんか面白いです。(ちなみにkennyさんはスキーがめちゃ上手い)
・レッドブル5G
2014年に開催されたレッドブル5Gの予選あたりで、宿泊施設(すし邸)にきた人物といえばぴぽにあがいるでしょう。
地味にTwitterで繋がりはあったので、大阪で宿を探していそうなツイートを見つけて即DMしたのを覚えています。
くじらとかいう最悪な師匠の元で研鑽を積み、名を馳せ始めていたころかなと思います。まさか界隈を支えるまでの人物になるとは思ってもいませんでした。
・音ゲー
AC対戦会がゲーセンで開かれる関係上、ACぷよらーは音ゲーやりがちなんですが、自分も例外なくはまりました。その繋がりで更に知り合いが増え、deltaとかと仲良くなったのもこの影響があったと思います。
1,2日宿泊の予定が、居心地が良すぎてすし邸に1週間弱くらい滞在し、ベルト忘れて帰っていったのがついこの間のようです。
当時のdeltaもぷよぷよが当たり前に強かったですが、音ゲーモチベの方がずっと高かった印象です。この頃を考えると、彼もまたぷよぷよ界隈を支える一人になるとは思っていませんでした。
・Q2マスターズ
愛知にあるQ2(現Q3)で開催されていたACぷよ通の大会です。
2015年のマスターズが思い出深く、selvaさんmomokenさんと初めて邂逅した回です。
大会後momokenさんにもreoru君の友達として紹介してもらい、初めて喋ったのですが、ファンボすぎて足が震えっぱなしでした。その時一緒にiidxをしたのですが、選曲センスが悪すぎて嫌われたらどうしよう・・・と思い、1曲目に「Fly Above」を選んだことは今でも覚えています。(音ゲーマーにしか伝わらないネタ)
ちなみにこの時期からレッドブル5Gなどで選手の顔がより出るようになり、ぷよらーの顔をTwitterに載せるのが徐々に解禁されていった気がします。2013-2014年ごろは↓の画像ツイートでも一般ぷよらーにしては攻め気味だったと思います。
・ぷよらー旅行
2016年ごろから仲の良いぷよらーで旅行を開始します。
一回目は銀山温泉に行きました。
この旅行くらいから、僕が前々からネットで調べて楽しみにしていた豆腐屋さんの豆腐が9人くらいのうち僕だけ食べられなかったり、温泉でジジイにパンツとメガネを盗まれたりなどして、不幸キャラが定着していった気がします。
・おまけ
さがわさんがまとめてくれている↓をみると2015年当時のTwitterの雰囲気を簡潔に味わえる気がします。
人がたくさんいるコミュニティでもなかったので、今で言うDiscordの身内悪ノリみたいなものがぷよらーTLでよく発生していた気がします。
1ページ目の画像が消えてるのですが、これは僕が合格通知の時間あたりにかれーぱんに電話を掛けたスクショです。(不合格!!と言って切りました)
4.大学院編(2017〜2019)
なんやかんやぷよらーとしての活動を楽しんでいた僕も4年生となり、大学院に進学することにしました。ギリギリ留年こそしなかったものの、ゲーマーらしく授業には2、3割くらいしか行っていなかった僕は、院試に集中しようと思い、2016年の初めくらいに一回Twitterのアカウントを消しました。ただ、身内はLINE等で連絡が取れるので、大して困らなかった記憶があります。
なんやかんやで無事進学も決まり、そのまま同じ大学に続投となりました。
ただ、この記事を書くにあたり過去ツイを漁っていたのですが、2014-2016年あたりのツイートが垢消しのせいで辿れなくて本当に悲しくなったので、皆さんアカウントは消さずにとっておきましょう。
ぷよぷよクロニクル
この頃のぷよぷよといえば外せないのはぷよぷよクロニクルです。
2016年12月には発売していましたが、この辺から若手強豪の登場もあり、ぷよの主戦場が本格的にオンラインに変遷していった印象です。(あるいはぷよテト?)
なんといってもおいうリーグもこのソフトで開催されました。
第三回おいうリーグでは豪華ふろん実況で配信された、僕とTwitterレスバ界隈で有名なさかすさんの試合もあったりしました。
若手襲来
ぷよクロが出た2017年頃からマッキー、レイン、meta、ともくんあたりの若手が台頭してきたイメージがあります。マッキー君はぷよクロの大阪ランキングで常にトップで、レインmetaともくんもそれに比肩する実力ということでジワジワ名を挙げていった印象です。
同じ大阪ということもあり、マッキーさんと仲良くなりたいなぁと思いフォローした記憶があります。多分同時期にほかの若手もフォローされるかするかしてるはず・・・。(記憶なし)
プロ制度誕生
2018年にJeSuが発足し、ぷよぷよのプロ制度が誕生しました。
また、同年4月に最初のプロライセンスをかけた「ぷよぷよカップ in セガフェス 2018」が開催されます。このときすでにぷよぷよをあまりやっていなかったものの、おもむろに抽選に申し込み何故か当選してしまいました。(第一回は特に枠が少なく、100名くらいだった気がします)
この会場でマッキー君、meta君と初邂逅し、同時に二人がプロになりました。
ちなみに最初マッキー君が違う名前でエントリーしていた&会ったことある人がいないという状況だったため、予選でとりぱんがボコボコにされるまで正体がわからないままでした。
プロになる前のぴぽにあとプロになったばかりのmetaマッキーも写真に収めてました。エモいですね。
この選抜戦の翌日にプロだけの大会が開催され、見学に行ったのですが、偶然会場近くでインタビューを受けました。
このインタビューが後日放送され、ぷよ界で一瞬流行った「精神力の勝負、技術力の勝負 スポーツにあるものが全て詰まってると思う」というフレーズが誕生しました。
同時に非プロ時代のぴぽにあもインタビューを受けていましたが、よくわからないことをペラペラ喋っていたのでカットされました。
なんやかんやあってその後ぴぽにあがプロになりました。
その他
・ぷよらー旅行2
この時期も旅行してました。deltaとかも加わって人数が最大になってたと思います。
クルーズの個室でデスゲームごっこをしたりしてました。
・ぷよ道場
ぷよクロに主戦場はとられかけていたものの、関西には2016年9月にぷよぷよ道場なる施設が誕生していました。ACぷよ通が数セットあり、ACぷよに特化したゲーセンです。
その企画でプロや有名ぷよらーに挑戦する企画があり、旧4強をはじめとした選手や、momokenさん、Tomさん、マッキー君などが訪れました。
また、盛んにACぷよ通のレートをかけた連戦も行われており、中でもレート差がえぐすぎて席に着いた瞬間にレートを吸われたぴぽにあvsすしは圧巻の勝負でした。(当然惨敗)
・おまけ
僕のファンボであるレインと仲良くなった経緯はまったく覚えてないのですが、2017年にはおっかけしてたみたいです。
番外:ニート編
短い2年間の院生生活も終わり、就職は東京と決めていた僕は都内の企業に内定していました。しかし、内定先への入社月が選べたためすぐに働かず、10月まで地元福岡でニートすることにしました。(全然関係ないですがmomokenさんの地元にわりと近いせいで、僕はぷよぷよ地元最強すら永遠に名乗れません)
大会行脚
地元で暇になった僕は2018年の終わりに発売したぷよぷよeスポーツをやりこんでいました。多分国体の福岡予選とかを目標にしてたと思います。
あと場所的に近かったMGR君を車に乗せて色んな所へ行ってました。
行脚する中で熊本の大会でまつ君やわっしゅ君と出会いました。
おまけ
国体の佐賀予選で突然解説のマイクをmomokenさんから渡された僕は、それが縁となり後日地元企業対抗のぷよぷよ大会の解説のお仕事を1回だけしたことがあります。その話を某氏にしたところ「トムソンよりぷよで稼いでるじゃんw」と言われ、今でもたまにジワジワ来てます。(本当か??)
おまけ2
この期間中にseason1のファイナルズが宮崎のシーガイアで開かれたため、車を飛ばして行きました。初?の旅行プラン付き大会だったのですが、観戦に非プロの参加者が自分しかいなかったという話があります。我ながらよく書けているので、気になった方は僕の過去の投稿を見てみてください。(当時は今でいう2Fさんやおおみやさんのような、遠征してまで現地に見に行く観戦勢がまだあまりいなかった)
5.社会人編
半年のニート編が終わりいよいよ上京です。
既にぷよぷよはほとんどやっておらず(というかそもそもぎゅっとしたら多分2年くらいしかやってない)、身内で交流を深めているのみです。
FPS
今まで音ゲーやぷよなどしかやったことない僕は、ここで初めてApexというFPSゲーにはまります。
友達と楽しく会話しながらゲームできるし、じっくり考えながらプレーもできてすげえ!!!となり、今までのゲームからは考えられないくらいハマりました。ハマりすぎて就業後(19時)即FPS→翌日朝終了(5時)→就業(10時)という生活を続けていたら普通に体調が終わりました。
この時期はぽかりす様、しもつき、マッキー君、かれーぱんとよく遊んでいました。プレーの見学や、一緒にゲームする目的でレインとも遊ぶようになります。
この時自分で作って使っていたDiscordサーバ(ぷよらーゲーム部)が、今主に住み着いているところになります。最初はぷよらーが誰でも使えるサーバを作ったつもりでしたが、公民館に浮浪者が居座るがごとく、最悪のオタクたちが毎日使うことで完全に身内サーバとなりました。
新おいうリーグ
実は新おいうが始まる少し前から、他ゲーの熱が少し落ち着いてきた隠居勢にぷよぷよブームが来ており、謎に練習していました。今思うと自分は、のく君主催のなんばぷよとか影響あったかもですね。またやらないかな~(大阪に行きたいだけの人)
そんな中、身内で良いからリーグ戦回したいねなんて言ってた時に、新おいうリーグが始まったので渡りに船でした。ぴぽにあ、開催ありがとう。
そして、自分はC1にエントリーすることにして練習に励むのでした。
ここは現在進行中なので特に書くことないですが、現在全勝中なので最後まで勝ち切りたいです。
最終試合が12/22の22時開始なので応援してね。(自枠で配信します)
その他
・ぷよらー旅行3
ここまでずっと続いていたぷよらー旅行2019は秋に沖縄に行く予定でした。
そして・・・
台風かなんかで僕の飛行機だけ飛ばないことになり中止になりました。(結局関東の人は同様だった記憶)
これ以降、お互いのスケジュールも合いづらくなったりで同じメンバーで開催されることはなくなったのですが、様々な形で集まっています。
夏に定期的に離島へ行く離島会
冬はスキーに行くスキー会
おわりに
ただのいちぷよらーの昔話をここまで読んでくれる人がどれだけいるのかわかりませんが、読んでくださった方はありがとうございました。
今回自分のぷよらーとしての歴史を紹介させてもらったのですが、素材探しで過去のフォルダを漁ったりする中で、こんなことあったなぁと懐かしみながら書かせてもらいました。企画してくださったさがわさんに感謝ですね。
ついでにその中で、流石にここに載せられない皆さんのやばめなツイートのスクショの数々も発掘しました。
────とまぁ、冗談はさておき、こうして実際に振り返ると僕が過ごした2010年代中盤と比べ、今のぷよぷよは確実にあの頃よりも熱気があり、上手いプレイヤーも初心者もどんどん増えていると感じます。そしてこれからさらに増えていくでしょう。
しかし、ゲームは決して「強くなる」という一面だけでなく、「楽しむ」、「観戦する」など複数の面を持っており、それを通して色んな年代の色んな人と関わり、繋がることができます。自分もぷよぷよというゲームに出会わなければ、あり得ない出会いが沢山ありました。そして同じだけ無くなった繋がりもあると思います。
これを見た皆さんも、これからもぷよらーとしての歴史を積み重ねていく上で、同様に繋がりが増え時に消えていくでしょうが、今あるものを大事にして消えないようにしてください。
以上です。ありがとうございました。