大喜利のバトル漫画をゆるく考えてみる
生大喜利の界隈で、たまに「バトル漫画」の話題が出てくる。大喜利をバトル漫画にしたらどうなるか、という妄想がとめどなく広がり、見ているだけで非常に楽しい。
そして、せっかくなら私もその輪の中に入ってみたい。ということで、大喜利バトル漫画があったとしたら、どんな内容になるか(というより、どうしたいか)を、話題が流れていってしまうTwitterではなく、noteの記事として、色々ゆるく考えながら書いてみることにする。
あくまで思考の垂れ流しなので、ここに書いた内容を実現させるつもりがないことは、予め明記しておく。
どのような世界観か
手本はホビー漫画
まず、どのような世界観で描かれるか。これは「社会の中で大喜利が認知され、一般的に広く行われている世界」が一番無難でやりやすいのではなかろうか。
勿論、現実において大喜利趣味は広く浸透しているわけではないが、そんなのはデュエマもベイブレードも一緒で、それでも作中では日々当たり前のようにそれらを用いたバトルが行われ、また大会が開かれている。
世界観構築の際に参考とすべきは、コロコロコミックに連載されている、ホビーを原作とした漫画ではないかと私は考える。もっとも、内容がコロコロコミック的になってしまうと別だが。
ひっそりこっそりも捨て難い、が……
逆に、主人公が大喜利をやっていることを周りに一切漏らさず、ひっそりと興じる様を描くのも悪くはなさそうである。普段はパッとしない生活を送りながらも、大喜利をやっている間だけは活き活きとした姿を見せる人物の話。
悪くはない。が、バトル漫画という感じではない。バトルであるからにはもっと熱っぽく描かれたほうが良く、この場合なら、ちょっとした悲哀も織り交ぜた人間ドラマといった形で描いたほうが上手く行きそうだ。主人公の周りに一人こんなキャラクターがいる、という形なら、バトル漫画の中でも上手く扱えるかもしれないが。
と、ここで一つ疑問が生じる。大喜利のバトル漫画を考える、というのが本記事の趣旨だが、果たして「大喜利」と「バトル漫画」に親和性はあるのだろうか。
バトル漫画の典型は相応しくない?
大喜利というコンテンツには少なからず競技性が含まれているが、私が思うに、血の気の多いバトル漫画と、大喜利の相性は良くない。
というのも、そもそも大喜利界隈というのは、決してギスギスしていない、むしろ落ち着きとか温かさの感じられる場所である、と私は思っている。面白さを求めて、爪を研ぎ目をギラつかせている人もいるかもしれないが、そういった人が大半、というわけではない。
故に、大喜利を漫画化するのであれば、バトルの派手さよりも成長に重きを置いた物語、或いは複数の視点から描く群像劇のようなものが適しているのではないか、と考えるのである。
だからといって、肝心のバトル部分を疎かにしてはならず、緊張感のあるものが求められる。そのためには、一筋縄ではいかない戦いが必要となり、やはり強烈な個性を持つ人物に登場してもらわなくてはならない。先ほど登場した、世を忍んで大喜利をするキャラクターにもチャンスはありそうだ。
そこで、次は登場人物について考えてみる。
主人公はどんなやつにするか
やはり10代なのか
まずは主人公の人物像について考えていく。バトル漫画というだけあって、典型に則るなら10代の男子、もっと言えば中学生〜高校生くらいが想定されるだろう。
既に典型から逸脱し始めている以上、これにもこだわる必要は決して無いのだが、フレッシュさの表現とか、或いは人間関係の機微を描くとか、そういった要素を押さえる上でも最適なように思われるし、現実味もある。
また、「自分より年下のやつなのに、こんなに強いのか……!?」という展開を作るとしたら、その相手は中学生くらいがベストではないかと考えているのもある。実際、生大喜利参加者の年齢の下限は中学生くらいであるように感じるし、そういったことを踏まえると、やはり高校生を主人公に据えたい。
問題は受験だが、そのへんは連載するうちに何とか上手く事が運ぶはずである(連載?)。
ほどよく熱い性格に
人格については、無難に行けば熱血漢になるが、それはもう『キッドアイラック!』がやっている。
彼の場合は不良学生で、笑顔を失ってしまった幼馴染を笑わせる、という大義のために大喜利を始めることになる。
そこまで大きな理由でなくとも、心に火をつける何かしらの出来事があれば、主人公に大喜利プレイヤーとしての道を歩ませることは、思った以上に簡単にできるのではないか、と私は考える。
どんな出来事が良いか。以下は、いくつか奔放に考えたものである。
クラスの雰囲気が面白くない、と思いながら動画サイトを見ていたら、アマチュア大喜利の動画を見つけた
お調子者で割と人気があったのに、卒業文集の「面白い人ランキング」1位が地味なクラスメイトで、問い質したらそいつが大喜利をやっていた
授業に大喜利が取り入れられて、これなら秀才にも勝てるだろと思ってたらボコボコにやられて、よくよく聞いたら元からやっていたと知る
上記はあくまで即席のアイデアなのでなんとも言えないが、実際に作るとしたら、こんなところに収まるのではないかと思う。
周辺の人物はどんなやつらか
共通の敵はいない
次に周辺人物を考えていく。バトル漫画といえば、志を同じくする仲間たちや、なんとしても超えたいライバル、打ち負かすべき強大な敵などがいるのがお約束だ。
ところが、面白さを追究することや、大会で勝つことなどが主目的になっている以上、大喜利をやる人の志はだいたい同じである。謂わば、関わる人々すべてが仲間でありライバルというのが、大喜利界隈という環境の特殊な点ではないだろうか。
となると、強大な存在、憧れの存在はいたとしても、打ち負かすべき共通の敵というのは相応しくないように感じるため、ご退場いただく。
ライバルキャラを作れない?
次に問題となるのが、なんとしても超えたいライバル。上記の通り、志が共通している以上、共に切磋琢磨していく、良き友であり倒したい相手、という人物は比較的作りやすそうだ。
しかし、ここで問題になるのは、鼻につくライバルキャラは相応しくないという点。具体的に言うと、「フン……くだらん」みたいなことを言いがちな、目が切れ長で、銀に近い髪色で、最初は主人公のことを全く認めていなくて、実は家族に関する過去が彼の心を固く閉ざすきっかけになっていて、誤解が解けてからはちゃんと良いやつで、たまに照れるのがちょっと愛おしい、そんなキャラを作るのは非現実的だ、ということである。
何故か。彼が「くだらん」と宣うそれが楽しいのは、くだらないからに他ならないのである。その事物の根本を否定するようなやつが界隈にいるわけがないし、いたとしたらそいつは小物止まりでしかなく、とてもライバルキャラにはなれない。
やはり、一人の強大なライバルがいる、という図式が成り立ちにくいのではないかと感じる。
勿論、目標とする存在、超えたいと強く思う存在は、プレイヤー諸氏の心の中にも存在するとは思うのだが、その一人に一度勝てれば良いというわけではないし、その人とバチバチし続けるわけでもない。
しかし、何度も述べている通り、この漫画は既に王道を外れているのである。今更鼻につくライバルにこだわる必要は全くない。というわけで、彼にもご退場いただく。
実在の人物も参考にしつつ
ようやく、周辺人物を創る段階に入る。主人公を取り巻くキャラクターなのだから、かなり個性の強い人物が必要になる。
とはいえ、現実の大喜利界隈も個性的な人物で溢れているので、そういった人々に様々な要素を見出しつつ、それらを組み合わせれば、多彩なキャラクターを作ることができるのではないかと思う。
以下に、大喜利のプレースタイルそのものの特徴と、よりパーソナルな特徴を、思いつく限り列記してみる。
回答の特徴
大きな声が出せる
淡々と回答を読み上げる
独特のテンポ感で答える
動き回る(=フィジカル)回答が得意
絵回答が得意
長文の回答が得意
下ネタ回答が得意
非倫理的・ブラックな回答が得意
お題に正面から向き合った回答が得意
一見お題に沿わないような、破壊的な回答が得意
スピードのある多答が得意
練りに練った一答を出すのが得意
人間そのものの特徴
年齢、性別、職業の多彩さもさることながら、それらのカテゴリには当てはまらない以下のような特徴も、個性を作り出すうえで効果的なのではないかと思う。
ネット大喜利歴は長いが、生大喜利は始めたばかりの人
長いブランクを経て、界隈に戻ってきた人
ボードゲーム、クイズ、謎解きといった他の界隈から進出してきた人
きょうだいや親子、夫婦など、家族で興じている人たち
家族など、周りの人に打ち明けることなく、ひっそりと興じている人
常に話の中心にいる人
滅多に喋らない、無口な人
分析が得意な人
こういった要素を組み合わせれば、自ずとプレイヤー像が浮かび上がってくるのではないだろうか。
ときには、彼らが主役となる外伝的エピソードがあっても良いかもしれない。
難点
と、ここまで自由に考えてきたのだが、いくつかの懸念点も存在する。
作中の回答が作者に全て委ねられる
大喜利を題材にする以上、作中では様々な人物が様々な回答を出すことになる。そしてそれを全て考えるのは、作者にほかならない。
自分でお題を出し、フィードバックのない大喜利に答え続けるのである。しかも、回答者は多彩なキャラクターたち。
前述した通り、大声が得意なやつ、動き回るやつ、長文で勝負するやつ、端的にド真ん中を突くやつ──。そういった異なる個性の人物たちを自身の脳内に何人も住まわせた上で、何回答も出さないといけない。これには相当な力量が求められるだろう。余程手練れていないと難しそうである。まさか、回答だけ他の人達に出してもらうわけにもいくまい。
最終目的がふわっとしてしまう
大喜利をやる上で一番の目標が大会の優勝であることは、論をまたない。バトル漫画なら尚更だ。
しかし、大小さまざまな会が開かれる界隈で、一度の優勝は当然大きなことであるが、そこで終わりではない。「大喜利天下一武道会」的な、最大規模の大会で優勝するのが目標になったとして、それ以前にコツコツ優勝を重ねていたら、優勝後の展開によっては間延びしてしまうし、かと言って箸にも棒にもかからないような成績だったら、正直主人公とは言い難い。バランスを上手くとっていく必要がある。
もっと考えていけば、課題は沢山出てくるだろう。しかし、熟考が苦手であるが故に、考えれば考えるほど分からなくなるのは目に見えているし、そもそもこのnoteはゆるく考えるのがテーマなので、このあたりで切り上げて、総括に移ることにする。
総括: 私が考える「大喜利バトル漫画」
一通り考え終わったところで、総括に入る。私が考える「大喜利バトル漫画」は、以下のようなものになる。
「バトル漫画」と銘打ってはいるが、決してギスギスしたものではなく、むしろキャラクターの成長に重きを置いたものである。
主人公は、高校生〜大学生の男性である(但しこだわりはない)。大喜利趣味が広く一般化した世界で、生活の中で感じた面白くなさ(これは自分に対してかもしれないし、周囲に対してかもしれない)がきっかけとなり、大喜利に身を投じていく。
主人公の周辺には、現実の界隈と同じく多彩な人々がいる。但し、否定的なライバルや、全員が敵対する強大な存在、といったキャラクターは登場しない。
時間をかけた割には、大した案を出せなかったような気もするが、これが私なりに考えた上での結論である。
おわりに
というわけで、正統派ではなくなってしまったが、私なりの「大喜利バトル漫画」の骨子が完成した。もっとゆるく考えるつもりが、実際に取り組んでみると力が入るものである。
とはいえ、何しろ私には画力がないので、冒頭に書いた通り、これを本当に漫画にできるとは一切思っていないし、する予定もない。あくまで物事を考えることが好きな一プレイヤーによる勝手な意見なので、適当に受け流しつつ、軽く楽しんでもらえたら幸いである。
欲を言えば、意見は沢山あるほど盛り上がる。皆さんが思う大喜利バトル漫画の案、もっと言えば漫画そのものも、ぜひ読んでみたい。
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