見出し画像

いびつ

石炭をばはや積み果てつ、というような気分だ、午前中なにやらもぞもぞとしかしていなかった土曜は。真夜中2時にあるいた地元の道は、過去の習慣のためにちかごろの空白、無知を知った感じ、に溶けこませて、まるでなにひとつ変わっていないかのようにその存在感を無みする脳みその表層をかすめていくばかりだったけれど、しかしそのときの秋の風やにおい、ややかたむいた明かりといった一回性をかき分けてすすむ肉体が、みずからと認識とのずれにはやり、焦って汗に濡れていく、ややのこるアルコールと汗のぬくみとで腫れたようになる意識のなか、スーパーマーケットの裏、搬入車出入口に降りたシャッターの前で坐禅のように脚を組み、うなだれたままうごかないひとがいて、どうなんだ、と思いながら、しかし今夜の風で、凍死することはあるまいと思いながら(それはなぜか文語として浮かんで)、今日の風はすずしい、秋の風といった感じ、秋の風はすずしく、涼しい風と、風を感じる触覚と嗅覚だけになる。昨晩ははじめて穴子の骨を食って、鰻の骨とはちがう、と思いながら、しかしそのじつ鰻の骨であった、ということもあるかもしれなかったがひとまず穴子の骨、は、塩加減もよく、とてもおいしかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?