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OKKAKE!!コラム feat.小林真由美校長(福井市立至民中学校)

〜非日常(教育長・校長プラットフォームのイベント)の先の日常の現場に少しばかり密着してみました〜

はじめに 
 子どもたちの学びのために、確かな学校経営力を発揮され、教育・学びの未来への情熱を形にされている校長は、全国の至るところにいらっしゃることを、この「教育・学びの未来を創造する教育長・校長プラットフォーム」は目の当たりにしてきました。このコラムでは、その中のお一人として2021年6月の総会にご登壇いただいた福井市立至民中学校の小林真由美校長の”その後”に、少しばかり密着して、垣間見えた小林校長の学校の姿やお考えを、特別記事としてご紹介します。

/文責:野﨑光寿(教育長・校長プラットフォーム事務局)

「教師・生徒が自ら創る学校」をつくるために、子供に責任のボールを持たせる。

 2021年6月に開催した総会では、「『教師・生徒が自ら創る学校へ』〜総合を軸にしたカリキュラムマネジメント〜」というテーマで、小林校長が、総合の時間も活かしながら、子供・保護者・地域・先生みんなが「自分がつくっている」という実感を持つことができる学校づくりに、どのように挑戦されているのか、話題提供をいただきました。
 その様子は、こちらのイベントレポートと、こちらの話題提供資料リンクからご覧いただけます。ここからは、そのなかでも、小林校長の"その後"に密着すると特に思い出される総会での一幕を2つほどご紹介します。

総会対談pic
《教育長・校長プラットフォーム2021総会より》

ー「荒れ」も経験した学校で、「みんなに任せる」という風に舵を切って、そうした学校文化を醸成していく際、どこがポイントだったのでしょうか。
 参加者の方からいただいたこの質問をきっかけにお話いただいた、次のような小林校長の語りのなかで、至民中学校での実践を深掘った先にある一つの考え方を見ることができました。

 中学生だからこそかもわからないけど、いや、小学生でもできるのじゃないかと思うけれども、社会に出して、社会とつながらせて、とにかく(子供に)責任を持たすことが必要なのではないかということを、考えのベースにしています。例えば、本当に報道で取り上げていただいたりすると、それはもう子供たち張り切りますし、そこでの反響というのを身をもって感じる。そうすると、その責任、というのも逆に感じるんですよね。
 この間、こうやって新聞に載っていたよねとか、テレビに出たよねとかいうことを、子供達がいろんな人から言われる。それが自分の誇りにもなるけれど、一方で責任にもなる。で、そういう形で子供たちにどんどんどんどん責任を負わしていくことが大事だと思っています。(中略)地域のお年寄りにお話を聞くということはいろんな学校がやっていると思うけれども、そのことに責任を持って、次に小学生に教えなければならないという使命を与えると、真剣に聞きますよね。もう一回ここのことがわからなかったので、教えてくださいとまた聞きにいくようになる。
 (中略)怖がらずに子供たちを社会へも地域にも出して、子供たちにすべての責任を負ってもらおうと。そういう取り組みが子供を育てていくんじゃないかなあということは、常に感じていて、そういうチャンスがないかなということをいつも考えています。

《教育長・校長プラットフォーム2021総会での一幕より》

生徒一人一人の顔と名前を覚えているから、また「荒れ」に戻ることはないと判断できる。

ー「任せる」という判断に踏み切って大丈夫だという見通しをどのように立てたのでしょうか。
 もう一つ、”そうは言ってもなかなか難しい”という、まさに現場をお持ちだからこそ投げかけられた、参加者からのこの質問から、更なる深掘りが生まれました。

 ただまあ、本当にそれ(任せること)ばっかりではないです。そんなに秩序なくなんでもかんでも子供に任すのか、というとそれは大きな間違いです。例えば、学校に生徒が自由にコメントを書けるホワイトボードを出すという提案があったときに、よくない内容が書き込まれ、校内の雰囲気が悪くなるようなものになっていかないか、許可の判断をしなければならない場面がありました。結局OKを出しましたけど、その時私は、いまその掲示板を出したところで、そういうことを書く子はいないだろうと、思ったんですよね。
 それはどうしてそう思ったの、といったら、それは子供たち一人一人をよく知ることからスタートするかなあと。いま400人の子供を想像した時に、じゃあだれが一体そういうことするの?という気持ちになったので判断できた。「任せる」ということをしていくには、根回しも必要だし、事前の子供への理解も必要だし、先生方への働きかけもやっぱり必要かなあという風には思います。

《教育長・校長プラットフォーム2021総会での一幕より》

 小林校長自身が、必ず全校生徒400名全員の顔と名前は覚えているというお話に続いての一幕だったので、総会の後にお寄せいただいた感想でも、ここが印象に残った参加者も多かったようです。

みんなで筆をとって、学校という絵を描いていく

 コラムの後半に移る前に、小林校長の学校経営観がわかる、総会後にいただいたコメントの一部をご紹介します。

 いつの間にか生徒みんなが筆を握っている、保護者みんなが絵を描き始めた、そんな学校になっていければ。(中略)筆を持ったからには、色を付ける責任がある、そしてこの絵を社会に出すという使命を負う。それはとても概念的で、ある意味、理論的でもなく具体的でもないのかもしれません。でも、みんなで筆を持っているときは、みんながとても生き生きします。絵の具がはみ出したら、画用紙が破れたら、絵の具がひっくり返ったら、その時は校長として私が責任を取ろう!そう思っていれば、どんな絵になっていっても、じっくり眺めて、少しずつ、軌道修正していけるような気がしています。
 (中略)10月29日に至民中学校で公開研究会を開催します。どうぞ、皆さま、よかったらお越しください。そして、学校自体を見ていただいて、「理想を掲げて描いた絵はこんなものか」と厳しいご意見をいただければと思います。(中略)いろいろご意見くださって、新たな目で改革の一手を教えていただきたいと思います。

《教育長・校長プラットフォーム2021総会後にいただいたコメントより》

いざ、事務局も福井へ!

 2021年10月末、お言葉に甘えて、事務局も公開研究会の日にお邪魔してみました。すると現地には、6月の総会で小林先生の実践を聞き、九州から視察にいらしていた教頭先生も...!!

至民中映え
《福井県福井市立至民中学校へ向かう道(※奥に見えるのが学校)》

「うんうん。たぶん本当に全員覚えているよね、あの先生は。」

 学校訪問の最後には、少しだけ生徒さんと意見交換をさせていただきました。印象的だったことは、「小林先生は、なんでもかんでもOKしてくれるというわけではない。この前もダメと言われたことがあった。でも、理由を聞くと納得したし、むしろもっと視野の広い提案をしてくれた。」と生徒に言わしめていた点です。自分の意見と他者の意見の違いをよく捉えて、どうしていきたいかを自分の言葉で話す生徒が多いという印象を受けました。

生徒と(対話)
《至民中学校の生徒との意見交換》

 校長先生は「いつもほうき持って掃除している。よく校舎をぐるぐる歩いている。」「話しやすいよね。あまり校長先生って感じではない。」と生徒たちは語ります。
 そのとき、総会で校長先生がおっしゃっていた言葉を思い出し、えい聞いてしまえと「小林先生はみんなの名前を覚えるようにしている、と言っていたけど、実際そうなの?」と生徒たちに尋ねてみました。生徒たちは「うんうん」と激しくうなづきながらお互いを見合って、「たぶん本当に全員覚えているよね、あの先生は。」と言っていました。
 いま、至民中学校に通う生徒の9割が、アンケートで「学校が楽しい」と答えるそうです。そのような学び舎を支えているのは、子供に学校づくりの筆とその責任を持たせる学校経営と、それを裏打ちする小林校長の生徒一人一人へのたしかな理解なのではないか、筆者はそのように思わされました。

未来につながる学力は必ずしも子供のなかだけにあるものではない。地域とのつながりの中にも残るもの。

 6月の総会から半年を経てのお考えなどもお伺いしようと、2021年12月、改めて、小林校長先生にインタビューをさせていただきました。ここからは、そこでの小林校長の語りも少しご紹介できればと思います。

対談(小林校長
《至民中学校の教室にて》

ー先日は公開研究会にお邪魔させていただきありがとうございました。6月の総会でも目指す生徒像について、「未来につながる力」を分解した至民型キーコンピテンシーとしてご解説いただきましたが、あえて一言でいうと、どういう力を持った子どもたちをイメージして、教育実践を展開されているのですか。
 私は、最終的に、至民中学校で過ごした3年間がその子たちにとって有意義だったかどうかは、その次の10年後くらいにわかるんじゃないかなあと思っています。最終的に、例えば、「どこどこの高校に入れたから成功だった」とか「高校に落ちた子が少なかったから」とか「進路の行き先がなくなった子が何人もいて...」とか、そういうことじゃなくて、未来につながる大きな力が育ったかどうかだと思っているので。本当に未来につながる力が育てばいいかなと。
 そういう力は、数字だけで表されるものではなくて、もしかしたら、子どもだけに残るものでもなくて、3年間の間に地域の方々とつながったということ自体も、未来につながる力なのではないかと。それが、地域で働きたいと思えるようなきっかけをくれたり、将来を生きていくときの力になるのではないでしょうか。このような「未来につながるような学力」をつけていかなければならないなと思っています。

ー学力観というのは、さまざまですが、未来につながる力が「必ずしも子供のなかにだけあるわけではない」という捉えは目から鱗でした。そのような捉えはずっとされてきたのですか。

 元々私が、「みんなで学校をつくる」ということを考えていた時に、地域の方や保護者の方は外せない、学校は子供と先生だけでつくるものではない、と思うと、「未来につながる学力」は、子供の中に、そのような人たち(地域の方など)とつながる学力も育てる必要があるのだと思っていたのですよ。
 例えば、地域行事や祭りがあるといったときに、子供たちが役員として出ていく。そういう経験をすると、自分が中学生でなくなっても「今回の祭りはどうなっているのだろう」とか、「今回は中学生としてではなく、大人の一般の者として役員になろう」とか、そういことが自分の中にできてくると思うのですよね。
 これは一例ですけど、こういうふうに地域の中で自分が貢献していくという経験をとおして、世の中で自分が果たせる役割みたいなことを考えるようになっていく。それこそが、本当の学力じゃないかと思っていて。もしかすると、大人でもそういう経験がない人は、ここでいう「学力」はないんじゃないでしょうか。そういう経験をしないと、地域で何が行われ、地域を活性化させるにはどうすればいいのか、という視点は全く育たない。
 こういう力は、大学入試では全く役には立たないかもしれないが、未来につながる力としてはすごく大きな力であったりするんじゃないかなあと思います。
 そう考えると、こういうことも含めて「学力」として考えて、それも育てていくことが大事かなと思うのですよね。

「僕のことも次の集会で言ってくださいよ」「二番目はだめ(笑)」

ー小林先生の実践の背景にあるお考え、お聞かせいただきありがとうございます!しかし、「みんなでつくる学校」というのはやはりなかなかそうは言っても実際そうなっていく際のリアルなプロセスには難しさがあると、素人目には感じてしまいます。具体的に、何か校長として特別にされていることはあるのでしょうか。
 
 3年前に至民中に来た時には、学校が嫌いな子というのがやっぱり何人かいました。私はとにかくその子達を何か変えるっていうか、そういう場(スポットライトの当たる場)に出すということをしました。
 その子達がちょっとしたすごいことをしてくれたことを、ヒーローにして全校集会で話にして伝えたりする。すると、ほかの子達も、「あの子も認めるんだ!」「学校の先生たちがあの子も認めてあげるんだ。」という意識に変わるし、ましてやその子達自身は先生から叱られたことしかないので、全校集会で褒めたりすると本当に嬉しいんですよね。日記なんかも何年ぶりかにたくさん書いて、「校長先生がこんなことを言ってくれました」と。

 私の有難い点は、全校の生徒に伝えることができるんですよね。私は全校集会で誰かを必ず名前を出して言及します。例えば、「何年何組の誰々くんが、昨日すっごい大きな声で挨拶してくれて、みんなもそれをみていましたよね。まわりの人がぼそぼそっというときにすごいことだよね。」と。それは、単なる思いつきのふざけた挨拶だったのだけれど、その挨拶を、「これは単なる挨拶がよかったということではなくて、何もまわりの人が言えない時に、声を出せることはすごい。みんなもまわりのことを気にして、言いたいことを言えなかった時もあるでしょ、だからその勇気ってすごく大事なんだよと。」と価値づけをして言うようにします。
 すると子供は、自分が褒められたことよりも、自分がみんなに影響を与えた達成感というものを感じるようになるんじゃないかと思っています。最近は学校が嫌いな子達も荒れなくなったし、先生たちもそうしてくれるようになりました。

ー誰か一人に光を当てると、逆に光が当たらない子もあらわれるという側面もあるかと思いますが、他の子達に何かアプローチはされるのでしょうか。
 
 私もそう思いますけど、いまおっしゃったことが、平等教育というか、”日本人らしいなあ”と思ってしまうんですよね(笑)。褒められるのは、全校の中のたった一人なんですよ。だから、400人うちいるんですけど、一人褒めたからといって、残り399人を同じように褒めないといけないというのは違うと思っているんです。翌日からみんな、「おはようございます!」「僕のことも次の集会で言ってくださいよ」と言いますけど、「二番目はだめ(笑)」と返します。
 だけど、日本の教育って、どこか、そう言われると二番目の子も言わないと、と思って、二番目の子も言いませんか?すると9人は言われたのに、言われなかった一人ができるんですよ。だから、「みんなを褒める」必要はないと私は思っていて。やっぱり、すごいことをして、でも誰も見えていなかった、それを校長が大きく捉えてあげることが「希少価値」であり、そうでないと、「あの先生いつも集会に出てきて、いつでも誰かを褒めているんだよと、褒めるただのおばさんじゃん」みたいになってしまいます(笑)。

 職員室の先生方もそうなんですよ。だからA先生を褒めたので、今月絶対B先生を褒めないといけない、と、ずっとB先生をみているみたいなことは、私はやらないですね。だってそれは無理に褒めないといけないと思うから、本当の褒め言葉じゃなくなっているのですよ。
 それを聞いている人たちも、「ああ、B先生の番だから」というような捉えになってしまう。光を当てるときは、希少価値がある当て方だからこそ、本当の嬉しいに繋がるんじゃないかなあと

「みんなで学校をつくりたい」

ーインタビューの最後に、小林先生の学校経営の捉えについて何かコメントをいただけますか
 私が長年教員生活を続けてきて、最終的に何がしたいんだろうというのを考えた時に、「みんなで学校をつくりたい」と思ったことが、教員として最終的に一番やりたいことだったので、それがいま私のやっている、いわゆる学校経営になっているのかなあと思っています。
 一人でやるのではないくて、絶対みんなでやらないといけないので、それを考えるのは私が考えているんだけれど、みんなで力を尽くす形にするにはどうするのかということは、もう最後の答えは何もないまま、ずっと手探りでいつまでもその課題として探究していかないといけない課題なんじゃないかと思っています。それをやっていればやっているほど、みんなとの結びつきも強くなって、楽しくなっていくので、そんなスタイルが、いまの私の学校経営なのかなと思います。

《小林校長にもご参加いただいた教育長・校長プラットフォームの2022年総会》

先生という仕事はとにかく「人を大事にすること」を学んでいく仕事ですね。それが人を育てる基本。

ー先日は総会2022にも参加くださりありがとうございました。昨年の総会では登壇者として、今年は参加者としてお越しいただきましたが、もし感想があればぜひ一言お願いします。
 大谷先生の「学びの保健室」のお話しがとても印象的でした。不登校を家庭のせいにしないという一言は、私への大きな戒めでした(笑)一人一人を大事にして本気の関わりができれば、きっと学校に来ないなんてことはないんですよね。本校にも相談室登校の生徒は何人かいて、毎日その子たちの関わりながら、私も生徒の中に相談室における学級感をつくりたいと考えていたのですが、欠席の日が続くと学級感も薄れてしまい、心のどこかで、家庭のせいにしていたように思います。
 先生という仕事はとにかく「人を大事にすること」を学んでいく仕事ですね。どんな子もどんな保護者もどんな先生もとにかく、大事に大事にしていくこと。それが人を育てる基本だと思います。

ー最後に、全国の教育長・校長へのメッセージがあればお願いします。
 以前、文科省の方に「なぜ文科省に入りたいと思ったのですか」とお尋ねすると、「日本は資産も土地も何もない国です。日本が世界に誇れるものは教育だけなんです。日本が教育という財産を失ったら、本当に終わりですから」とお応えいただきました。この一言が私にとって、教員という仕事の誇りになりました。
 もうすぐ私は定年を迎え、38年間の教員生活が終わろうとしています。振り返ると反省ばかりの38年で、とりわけこの校長としての3年間は自分が何かをしたのではなく、常に周りの先生方にそして子供たち自身に支えられ、一緒に学校づくりを楽しんできました。まだまだ心残りはたくさんありますが、仕事は永遠に続くものではありません。こんなすてきな仕事に本気で向き合っていける日々に感謝して、1日1日を大事に楽しんでください。
 そしてまた、ぜひこれからも皆様と語り合わせてください!

/文責:野﨑光寿(教育長・校長プラットフォーム事務局)


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