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私とラジオ

私の実家の食卓にはテレビがなかった。
親に聞いたら教育上置いてないと言ってたが、その代わりラジオはあった。

私の地元は広島。
いつもRCCラジオが流れていた。
野球シーズンになると晩御飯の食卓の中心はカープの試合。
当時は今のようにスカパーで全試合試合終了までテレビ中継とかなかったわけで、食卓で試合終了までラジオを聴いてた。
そして朝はおはようラジオ。カープが勝った翌日はウルトラマンタロウの曲が流れてくる。いまだにカープとウルトラマンタロウのつながりはよくわからない。
宮崎美子さんのコーナーが終わる頃までにはご飯を食べて終えてないと遅刻するという時計代わりの放送だった。

中学生になると自分の部屋にラジカセが与えられ、深夜ラジオに興味を持った。
一番よく聞いた番組は、嘉門・彩子の爆裂スーパーファンタジー(後に彩子さんがジ・イングリーズに交代)
替え歌など嘉門達夫さんのネタの投稿が中心の番組だった。私は投稿することはなかったが、土曜の夜ということもあって毎週聴くのが楽しみだった。このころは夜更かしをするということ自体が楽しかったのかなと思う。

そういえば、地元の局で放送されていなかった当時好きだったアイドルの番組を聴きたくて、ラジオを窓際に置いたりアンテナにアルミホイル巻いたり、いろいろ工夫してわずかに聞こえる声を楽しんでたことがあったなぁ。
なぜか夜になると遠くの放送がうまく入ることがあり、東京の局もよく聞こえてた。
今はradikoという文明の力があるから、こんなことしてる人いないだろうな。

そのうち高校、大学ごろになるとオールナイトニッポンやFMの深夜番組など聞くようになり、実際に投稿するようにもなった。
初めてハガキが読まれたのは今も覚えてる。
ふかわりょうのラジオ黄金時代。
当時一世を風靡してた一言ネタを送ったら奇跡的に読まれて嬉しかったなぁ。

最近はネットラジオでいろいろな放送が楽しめる。ラジオトークというアプリでにゃんこスターのアンゴラ村長のラジオを聴くのが週末の楽しみだ。
リアルタイムで書き込んだことを、その場で読んでくれるのも嬉しい。

いつの時代も、ラジオってテレビにはない親しみや温かさを感じる媒体であると感じる。
私もラジオとの密接度はそのときどきで変わっているが、やはりラジオが恋しくなる。多分おじいちゃんになってもラジオは手放せない存在なんだろうな。

さいごに、広島でラジオパーソナリティや放送作家として活躍されていた一文字弥太郎さんが先日亡くなられた。
先月中頃まで元気に番組に出演されていたが新型コロナウイルスに感染されて、そのまま帰らぬ人となった。
私が小学生の頃から、びしびしばしばしらんらんラジオで司会をされ、よく放送も聴いていた。私と地元も同じ、高校も同じだったので、とても愛着のある方だった。
まだまだ放送を通じて伝えたかったことがあったのではないかと思うが、残念でならない。
今まで本当にありがとうございました。

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