2019春分図について(後編)


 前編の続きという形にはなるが、春分図を少し違う角度から眺めてみることにする。スピリチュアルという言葉は極力使わずに、人の意識と天体との関わりについて簡単にまとめたいと思う。


 社会の動向や人間の性格傾向などを天体そのものの特性や配置に照らし合わせて調べるためのルールはいろいろあって、社会情勢や文化などの影響を受けながら適応し発展してきた経緯が占星術にはある。その中には心理学や精神世界の現象を天体という媒体を通して紐解いていく方法もある。例えば水星逆行という現象をコミュニケーションの行き違いや交通通信の障害や遅れという現実のイベントとして見ていくよりも、その期間に人の心理にどういう変化が起きるかに注目し読みを進めていくもので、過去を振り返るチャンスが増える水星逆行期は、自分自身を見つめ直す事を通して気づきが多く気持ちの整理に適していると言える部分は確かにあると思う。


 心理学を先に学んだ後で占星術と出会った経緯のある私にとって、人間は肉体・精神・スピリットという3つの要素を持った存在という考え方や肉体は魂の入れ物に過ぎず、魂の意志を肉体によって実現しているという少々斬新とも思える見方に対してもそれほど抵抗は感じることがなかった。それもあって天体が象徴するものは単に感情や出来事や可視的現象に限ったものではなく、人間の意識そのものを反映しているのではと比較的早い時期から考えていた。また未熟な状態で生まれ、様々な経験を通して成長し成熟していくという”発達”を軸とした見方と、高次の存在である魂が肉体を通してこの地上でそれぞれが決めた計画に基づいて経験を積むという見方では、天体そのものやアスペクトの解釈には違いが生じる事も経験的に学んできた。前者では天体は一つの道しるべ、ガイダンスという側面が強調されやすいが後者は自分自身の意識の有り様や、世界をどのように捉えているのかなど自分を知る手がかりとしての側面が強調されるのである。


 これから書くことには二つの前提がある。一つはすべての事柄には少なからず個人と集団の意識が関与している、という事である。そしてもう一つは、人の意識の状態は天体そのものや配置に反映されていて、魂の視点からは運の善し悪しや幸不幸の概念がないという事である。それを頭の片隅に置いてお読みいただけると幸いである。



土星冥王星の合と集合的無意識

 

 土星を制約や責任・義務と捉えると冥王星とのコンジャンクションはどうしてもネガティブな側面が強調されるのは前述の通りである。ところが土星を社会の一員としての人間が最終的に目指すもの、冥王星を”魂そのもの”という見方をするとだいぶ意味が変わってくる。土星は人としての成長には終わりや限界があるのだという観念そのものを表すが、冥王星はそこに無限という概念を持ち込んで終わりの先にはまだ続きがあるよ、と限界をぶち壊してしまうのである。誕生図に土星冥王星のアスペクトを持つ場合に、人生の後半に飛躍的な変容(シフト)を経験することがあるが、それも冥王星によって土星の設けた壁が取っ払われてしまうからと言えるかもしれない。


 ところでトランジット天体同士がタイトなアスペクトを組む時期は、個人の誕生図の同じ天体が活性化されるというルールがある。従って今年はそれぞれ個人の誕生図の土星・冥王星の際立つ一年になるだろう。冥王星は世代的な特徴を表しているので、同じ世代間で共有されるテーマもあると思う。例えば天秤座冥王星世代であれば、社会規範を超えた新たなスタイルのパートナーシップへ、意識の変容が進んでいくという感じである。


 土星冥王星の合は水星海王星とのアスペクトを組んでおり、海王星を集合的無意識と見るなら冥王星の変容の力は人間の意識下のより深いところで存分に発揮され、無意識全体がシフトすればそれがいずれは現実世界に反映される時はやってくるだろうという見方もある。かなり理解しづらい領域の事ではあるが、それでも春分前後に漠然かつ直感的に何か動いたとか変わったなと感じたという方も多く、もしそうならもともと海王星の影響の強い誕生図を持っている可能性が高い。


 すでに今年初めの獅子座月食から始まっている現象なのだが、ここにきて”もうこれ以上努力してもどうにもならない”行き詰まりになったところから突然吹っ切れた人を何人も知っている。その変わりようが予想外であったり言動の振れ幅があまりに大きかったりで、周囲が戸惑っているのも事実であった。春分はそのような人たちにとっては区切りと言うよりも人生の新章の始まりの時と言えるだろう。そして同じような”シフト”をこれから迎える人も多いのではないかと思う。


 個人の土星意識は、秩序や規範、道徳観念や他者との関わり方など集団生活の多数の要素に関与している。かなり変化の激しい体験になる場合もあれば、強い忍耐や精神力が試される場合もあるかもしれないが、それを厳しい試練と受け止めるのかチャンスと受け止めるかは個人それぞれが決めているのである。


既製服に自分を合わせるのをやめる


 春分図の12ハウス太陽を霊的な目覚めと解釈する方々もおられるが、もう少し具体的に述べるには海王星をどのように捉えるかが鍵となるように思う。海王星は10天体の中で最もつかみ所がなく、表現の難しい天体であって従来の読み方では肯定的に受け止められる事が少ない。海王星は基本は夢や霧や薬物など明確な形を持たないものだけではなく、天体の組み合わせやアスペクトによっては混沌や混乱という見通しの立てづらい状況を表す場合もある。しかし人に宿る魂という視点から見ると、海王星は上記のように集合的無意識そのものであり、境目なく全てが一つに繋がり、あらゆる可能性が存在する世界という意味が出てくる。


 春分図の12ハウスカスプは魚座でオウンサインである海王星も同座している。そこで迎える太陽の春分点通過が個人の意識が一つ上の段階に上がる事を示すという読みは可能であり、春分図の乙女座月のサビアンシンボル「スキンヘッドの男」と併せて考えるとあるがままの自分で生きるしかなくなったと腹をくくり、新たな一回り大きな世界への一歩を踏み出すという意味にもなる。春分の少し前に、占星術やビジネス関係でお世話になった方が相次いで「私は社会から見れば普通ではないかもしれないが、私は私でやっていく」という内容の宣言をしていたがまさにサビアンシンボルそのままの事が実際に起き始めているのを感じている。


 またこれまで社会の期待に応えるための努力や、社会が個人に対して求める役割を責任を持って忠実に果たすことに集中してきた人たちが、ある日突然それをやめて全く違う生き方を選ぶのもあり得ると思う。それは自分の本当の姿をさらけ出すことを厭わなくなるほどに自己受容が進み、例えるなら制服に自分を合わせるのをやめそのままの自分にあう服を身にまとい自分で決めた通りに生きていく決意ができたからこそなのだろうと思う。そしてノーアスペクトに近い太陽は、ここから先どっちに進むのか何をするのかについては世の中がどうであっても結局自分を信頼し選んでいくしかないということなのかもしれないとも思う。


ここまでお読みいただいたことに感謝し、これからの一年間が皆様にとって価値あるすばらしいものとなるように祈りつつ締めとしたい。



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