見出し画像

ニンジャスレイヤーを読み始めた頃の記憶#3

前回までのあらすじ
通学中の電車でスマホからニンジャスレイヤーを読むようになったんだっけ?

いまさら1,2,4だけ書いていたシリーズの欠番を埋めます。以前の回だと素が出ると恥ずかしいので文体を作っていましたが、間が空いたし今回は気楽にいきたいと思います。思ってたことは感情的にならずそのままドライに書こうとおもいます。

今回のテーマは "2013年当時の俺がニンジャスレイヤーのどこにハマったのか" の主観的分析、そしてどうして2015年に一旦離れたのかの理由についてです。

逆張り、好きかい?

2013年当時の俺はまだわかかったので、今以上に天邪鬼だったことは、読むキッカケとしてはカナリ大きかったと思います。

当時の同世代の学生はというと、絶対に「パズドラ」か「艦これ」が必履修科目だったんですよ。オタクとかヤンキーとか関係なくです。世代がズレてる方には実感がないかもしれませんがこれは事実です。多分全国的にそうだったはずです。で、俺はみんながやってるから…なんて理由で始めるのは絶対にイヤなので、自分ではやらない、でも仲間外れにはならないよう絶妙にシッタカしながら立ち回っていたんですよ。主流にのることに反発した、「俺が好きなものはこっちなんだ!」というものを持っていたい思春期精神があったんですね。その逃げ道の矛先として丁度いい、周囲へのあてつけとも言える「俺はこっちが好きなんだ」な矢印の向かう位置にニンジャスレイヤーがいたのかもしれません。

当時のニンジャスレイヤーは、絶妙にメジャーマイナーな位置にいた作品だったと思うんです。ネットにいる人は大抵そういう位置の作品が好きじゃないですか。第一線級の作品からは少し知名度は落ちるけど、「知る人ぞ知る作品」みたいな。それでいて知らない人が意外と少なくもない、語れる場がネットのどこかにある作品です。俺も「知る人」になりたかったので、ニンジャスレイヤーは絶好の作品だったんです。

ニンジャスレイヤーの居心地が良かった理由としては、メインストリームの作品の多くに感じていた、俺が嫌いな部分のことごとくを「やらないでいてくれた」のがデカイでしょう。今のネットで言うところの「逆張り」的作品だったというか。以下に俺の琴線に触れた点を挙げていきます。

・キャラがテンプレじゃない

正確には"当時流行ってた日本の作品のテンプレにハマってない"ですね。日本アニメ風な記号的でないというか。洋画的なお約束キャラはむしろ多いでしょう。

当時の俺は、一言で言い表せるような安直なキャラクター付けが大嫌いだったんですよ。ツインテツンデレ!とかメガネ巨乳!とかゆるふわイケメン!とかインテリ鬼畜メガネ!とか(メガネが被ってしまった)。どこかで何度もみたような、ユーザーの欲望を叶えるためだけに作られたように思えるキャラが本当に嫌だったんです。今の俺は牙が抜かれてるんで「金払った人が元気になれるならなんでもいいんじゃん?」ってスタンスですけど。

対して、ニンジャスレイヤーのキャラクターはそういうテンプレに属さないと感じたんです。陳腐な言い方ですがいわゆる「キャラクターが生きている」ってやつです。ニンジャスレイヤーのキャラは一見どこかでみたようなキャラに見えて、読みすすめていくと全くそうじゃない、と思えたんです。世界中のテンプレを前提知識として蓄えたうえで、まとめてニンジャ世界に適応させグレードアップしているゴージャスさがある気がしました。たとえるなら、禁酒法時代の古典アメリカ映画に見飽きた人が突然スターウォーズ旧三部作みちゃったときの衝撃というか(例えが下手)、そういった特異さや、スペシャルさが当時の俺に刺さったんでしょう。

・適度な上品さがある

ニンジャスレイヤーは過激な世界観ではありますが、なんというか…やりすぎな表現がないんですよ。政治的にもエログロ的にも。単に映ってないだけで実際にはすごいんでしょうけど。

漫画でも映画でも、メインストリームの作品にもわりと、客に不快感を与える演出意図にも限度があるだろ?とつい思ってしまうような「さすがの俺それは引くわ」な露悪的な表現があったりするもんですが、ニンジャスレイヤーはギリギリのバランスでそうならず、サッパリと表現しているように思えたんです。それがすごく上品に感じました。

また、先述した「逆張り」もボンド&モーゼズ先生のインタビューを読む限り意識してやっているようですが、それに極端な悪意を全然感じませんでした。世の中他にも逆張り系作品はありますが、それらに共通する「ほ〜ら流行りものと違って斬新だろうが?」な作者のしたり顔が透けて見える感じが、ニンジャスレイヤーにはなかったんです。

いつかの逆噴射先生のコラムで表現のバランスを語ってましたが、まさしくボンド&モーゼズ先生はエンターテインメントとしてのバランス感覚にとても気を遣っているのでしょう。

・ハーレムものじゃない

なんだかんだ売れ線じゃないですかそういうの。まあその…お前ら大の男ならそんなもん見てんなよ!って気持ちがあったんですよ当時は。硬派なので。今?逆ハーレムもの好きですよ?

・アクションがスゴイ

ニンジャスレイヤーのアクションは本当に読みやすい。文字なのに動きがダイレクトにリアルタイムで頭に入ってきます。身体の軌道が目で追えるんです。カメラワークがそのまま投影されるんですよ。いろいろ小説を読んできたつもりでしたが、ここまでバトルの流れが想像しやすいものは初めてでした。脳内に描いた戦闘シーンで興奮して鳥肌が立つ、なんて経験は生まれて初めてでした。

・ザ・ヴァーティゴ=サンがいい人だった

良い人です。ネット上であんなに良い人見たことありません。気さくでなんでも知ってて、悪ノリもできるけどやりすぎないバランスもよく解っている。良くないユーザーはたしなめられる。これができるネットのキャラクターを俺はほかに知りません。数多のツイッターの企業アカウントがやろうとして失敗してきたことです。

こんなに良い人を演じられる翻訳チームなら絶対に信じられると思ったんです。

・パッと見ギャグな作品っぽい

ここは重要なところです。ニンジャスレイヤーは当初の俺にとって、パッと見は変な語録で釣ってる「だけ」の作品だったんです。勘違い日本ネタ小説な「だけ」だと思いました。「だけ」だと思ってしまったことは誰にでもあると思うんですよ。俺はジョジョや北斗の拳さえ、なんか絵が濃いしパロディでよくみるだけの作品だとナメてました。キン肉マンも子供だましだと思っていました。それと同じです。ナメていたものの凄さを思い知ったときの評価の上がり幅は並じゃないです。

このシリーズの1回目でも書きましたとおり、スラングが流行ってるだけな作品はネットにゴロゴロしてましたから、ニンジャスレイヤーも同じだろうと鷹を括っていました。ところが、読んでみるとニンジャスレイヤーはキャラクターの心理描写を大事に、大真面目に描いていて、表面上の愉快さだけじゃない作品でした。忍殺語「だけ」が売りじゃなかったんですよ。

上で「知る人ぞ知る」の「知る人」になりたかったと書きましたが、ニンジャスレイヤーが忍殺語だけの作品じゃなかったと気づいた瞬間、俺のなかで俺は「知る人」になれたんです。第一印象だけではわからない、「ちゃんと読み込んだ人間にしか見えない魅力に俺は気づいてるんだぞ」と、「流し読みしている層には絶対わからない領域に俺はいるんだぞ」と、選ばれた人間になれた感覚があったんです。思春期の承認欲求的な、あるいは自己充足感にジャストミートしたんでしょう。

・作者の得体が知れない

本当に海外小説なのか…?は置いといて、作者の素性が一切不明なのは個人的に非常にありがたかった。生の声が見えないのが救いだったんです。

というのも、インターネットはクリエイターの本音がSNSで簡単に見えてしまうじゃないですか。作者にガッカリさせられる頻度がネットがない時代より格段に増えているんです。感動的な話を書くひとだと思われた人が、実際には同業者をイジメて破滅させて笑いながら、そのさまを実況する人だったりするわけですよ。これが半世紀前のバンドマンや明治の文豪なら、「フーン歴史の一部だなあ」で済むんですけど、ネットだと今この世に生きて何をしてるのか見えちゃいますからね。こんなこと知りたくなかった…てことを暴露本を待たずして、本人の手によって自ずから知らされるのが現代ネット社会ですよ。

そういうわけで、ニンジャスレイヤーの作者が原作者・翻訳者共に「ヤバくてロック」なことしか伝わってこないのはとても安心できました。知りたくない情報は一切語られず、「これを書ける人間ならそりゃそういう人だよな!」と思わせられる説得力だけが伝わってきました。それだけで十分で、正直原作者が実在するかとかどうでもいいんです。

・タダだった
いいじゃないか タダだし

◆◆◆

当時の俺のスタンスはかなりの信者寄りだったといっても差し支えないでしょう。「誰がなんと言おうとニンジャスレイヤーより面白い作品はこの世にない!」くらいに思っていました。そりゃ今でも思っている節はありますけど、当時は周りの作品を見下したうえで言ってるようなところがありました。なにか映画やマンガをみても「ニンジャスレイヤー1話分の満足感に満たない…」とか本気で思ってました。

これは良くない。ボブそのものです。だからって周りに迷惑をかけるような真似はしませんでした。「ニンジャスレイヤーよりつまらん!」とか思っても口にはしませんでした。なにせニンジャスレイヤーを知ったキッカケがTPOを弁えない人が言っていた忍殺語でしたからね。そこは反面教師にしてました。

ここまでいっておきながらなお、当時の俺は物理書籍も買わず(言い訳:完全に腰抜けであり悔いているので今は全巻新品で揃えて物理も電子も持っています)、ツイッターでリアルタイム実況もせず、togetterまとめで完結したエピソードをまとめ読みしては、wikiや匿名掲示板で感想を漁っては時々書きこんだりする程度のことしかしてませんでした。そのため俺は、togetterにまとまっている以外の、昔のツイッターの状況は全く知りません。今は実況に参加とかしといてなんですが、俺は感想を言うより見るほうが好きなんでしょう。

さようならニンジャモン

2015年、俺がニンジャスレイヤーから離れた悲しい過去……。ぶっちゃければシヨンがきっかけというありふれたものです。でも別に期待と違ったからとかではないです。結論から言うと、周りの荒れっぷりが怖かったからです。

俺も伊達にアニメオタクはしてねえぜなので、ガイナックス〜トリガーのアニメはダイコンⅢから7割方見ていたし、最新のアニメが発表されればまず最初に監督の名前からチェックする教育を受けていたわけです。なのでシヨンの監督がインフェルノコップの人ということは制作スタッフ公開の時点で気づいていました。あのノリがそのまま持ってこられてもおかしくないなあと勘付いてはいたんです。まさか本当に演出までそのままだとは思わなかったんですが。

俺が実際にニコ動で第1話を見た時の感想は「ああ、ディズニー映画のきつねとひよこを前情報なしで見たキッズはこんな気持ちだったんだろうなあ」です(例えがわかりにくい)。要は「どうしてこうなった」とショックを受ける人が激増しそう、と思ったんですね。

俺の当時の主戦場は上述のとおり匿名掲示板でしたが、第一話の公開後はンマー半端なく荒れてましたね。そんな罵倒が現代人の言語野のどこからでてるんだ?と思えるくらいにはひどい言葉の飛び交う荒れっぷりでした。それまでニンジャスレイヤースレッドは匿名掲示板のなかでもびっくりするほど平和なほうだったのですが、シヨンを境にすんげー荒れたんですよ。外からの愉快犯も多かったでしょうが、ヘッズといっても一枚岩ではないのかと悲しくなりましたね。

掲示板は荒れても匿名なので誰がどうなろうとわかりませんが、ツイッターだと名前付きで争いが起こるから怖いですね。昨日の友は今日の敵ですよ。当時は俺はツイッターにはいなかったのでわかりませんが、フォロワー間でバトってる事例もあったんでしょうか?悲しいですね。

そういうわけで居場所を失ってしまった俺は、ほとぼりが冷めるまでニンジャスレイヤーからは離れることにしました。落ち着いたころを見計らって戻るつもりでしたが、4部が始まっても気づかないレベルで離れきっていました。気づく機会がないのだから当然です。あとの流れはこっちをみてください。

今回の記事と前ので矛盾するところがあるかもしれませんが当時のことなんか俺も細かく覚えてないので気にしないでください。

シヨンどうよ?

いい機会なので番外編としてシヨンの感想をざっくり言っていきます。伊達にアニメオタクはしてねえぜなのでアニメレビューは任せてください。

配信開始当時は1話だけしか見ませんでしたが、あとになって全話一気見しました。媒体はレンタルDVDですけどね。4部シーズン1を読み終わったあたりのころに見たと思います。

全話追った感想は「ニンジャスレイヤーしてるところとしてないところが半々あるな」といった感じでした。

キャスティング、音楽にはドラマCDと同じく文句無しです。ギラギラの色使いについては、全然カートゥーンらしさもアメトイらしさも無いために謎な個性付なのですが、今となっては他に例が無いのでオリジナリティとしていいものだと思います。無理に例をあげるなら、amazonプライムビデオでみれる、誰も知らないような怪しい海外アニメはあんな色づかいですよね。

作画とキャラデザはトリガーの他のアニメが好きであれば楽しめるでしょう。今石監督と芳垣さんといえばトリガーの作画オタをやっていれば感涙なメンツです。ヤモト=サンやナンシー=サンたち女性キャラだけキャラデザが違うのは謎ですが、これも「ってこいつらだけアニメがちゃうやないかい!ズコーッ」とつっこめるひとなら楽しめるでしょう。俺がこのころSwitchで遊んでたゼノブレイド2のイラストレーターさんがヤモト=サンのキャラデザだったのは嬉しかったですね。えっ違うひとなの?

動かないフラッシュアニメことインフェルノコップ演出ですが、あれは毎度肩透かし的タイミングで演出がやってくるたびに「ってココでかーい!ズコーッ」と律儀にツッコミができるひとなら間違いなく面白いと思います。アニメーターさん達が実力派揃いだからこその、さっきまでバリバリ作画良かったシーンからの落差が面白いんですね。俺もそうやって楽しんでいましたが、そこはやってはいけないタイミングだろ、と思うところでもやってしまっていたとも思います。これは外し芸の相性の問題ですね。

上でも述べた「やりすぎな表現」が見受けられたのは嫌でしたね。ラストガール〜の冒頭の暴力シーンだとか、開幕この絵柄でこれをみせるのか…と普通に顔をしかめました。また、ケレン味のある演出といえればいいでしょうが、各話ごとに味付けの度合いが違いすぎるように思えました。ガイナックスで各話ごとに演出が違うアニメといえば、アベノ橋☆魔法商店街がありますよね(懸命なアニメオタクアッピル)。たしかに、原作でも各エピソードで雰囲気が変わるニンジャスレイヤーとは相性が悪い手法ではないんでしょうけど、どうにもベクトルがずれている感じがしました。原作はふざけているんだろうか…?と思わせる回はあるものの、演出技法そのものは変わらないですからね。本当にふざけるとブーブスになりますからね。

SSSSグリッドマンでも思いましたが(謙虚なアニメオタクアッピル)、普通のアニメのやる演出タイミングから数拍(数十拍?)ずらして間をつくるのが監督の持ち味なんでしょうね。緩急のタイミングを意図的に普通じゃなくしているという。まだかな〜と思ったタイミングで唐突に動いたりとか。このタイミングがうまく合致している回、とくに第一話や最終回は笑って燃えてものすごく楽しめるものになっていると思います。ラオモト=サン戦の後ろダッシュには死ぬほど笑いましたしね。

まとめると、実験アニメとしてはとても面白いと思います。エクセルサーガと同じ気分で楽しみましょう。アニメの円盤は持ってませんがfigmaは買いましたよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?