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僕の孤独感の消し方

おはようございます。

ギターアンプを買ったら
「音楽をやる人」
と思われるのが恥ずかしくって
20年買い渋っていたしんろくです。

先日ナイちゃんの楽器屋さんで
ギターアンプとエレアコを購入させていただきました。

メチャクチャ楽しいです。
音が大きくなるしエフェクトかけると
ダイナミックになるし歪むしエコーみたいになるし

20年前に買えば良かったです。

本当に、やらない後悔より
やって後悔した方がいいですね。

さて、コミュニケーションを取る事をコンセプトにした宴会型イベント、しんえんを主催しています。

素晴らしい出し物やヒューマンドラマもありますが、
しんえんの最大の特徴は
人と純粋なコミュニケーションが取れること
だと思っています。

純粋なってのは、つまり仕事とか、家族のような
所属しなければいけないしがらみが存在していない。

もちろん人が関わる以上、
多少のしがらみは存在しますが、
苦手な人とは関わらなくていい
そっと距離をとってくれればいい。

結果的に欲しい人間関係を作りやすい。

そうは言っても
できることなら嫌われたくない
なるべく良い人でいたいのも人の心かと思います。

ただ、これやり過ぎると疲れるので。

気持ちいい疲れならいいんだけど、
気疲れになるならぼく的には休んで欲しい。


コミュニケーションは同意の形成である。

とは、アドラーの言葉ですが、
同意を形成する事で
他者と前向きな感情の交換をすることが喜びにつながる
と、ぼくは思っています。

ネガティブな感情を共有することで、
ダメージを減らすこともできますね。

同意ができない、共感が得られないと孤立します。

孤独はまず怒り、次に
虚無感、無力感を生み出し
さらなる孤立を深める
といってたのは多分チョプラ博士かリズブルボー。
(忘れました。)

じゃあどうすれば
孤立を避けられるのかといいますと、

これは避けられないと思います。

わたしたちは全員が孤独で
わかり合うことは不可能だと思っています。

できるのは、孤独の共有です。

わかり合うことはできないけど、
あなたに寄り添う姿勢は不動です。

という自分への在り方です。

だって、共感覚ですら
自分の中だけで生まれてますから。

ぼくは1人じゃないって

1人で、それぞれに思うわけですから。

分かり合えないのは前提。
相手に不満が立つのは当たり前。

それでも1人で、
寄り添う姿勢を貫くことが、

愛だと思っています。

誰とも繋がれない中で
それでも誰も1人にしたくない

という無理ゲーに挑むのが、
ぼくは好きです。

だから分かり合えない事を前提に

自己発信を続けます。

そうやって、

誰かの孤独と寄り添おうとする時だけ

自分の孤独感が消えていきます。

さて今日は
どんな世界を作りましょう。

しんろくでした。


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