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今日は愛のことば

人は自分の学びたいことを教えるものです。

そして私が学びたいのは、心の安らぎです。

という言葉から始まる

ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士の本

**
愛とは怖れを手放すこと**


【愛って

** 好きの**

上位互換かなんかだと思ってた。】

だから滅多に使ってはいけないし、
使ってるのを知られてもいけない。

でも歌の歌詞になら沢山入れていい。

というのが、
20歳くらいの時の考えでした。

だけど両親は離婚して

家族がバラバラになって

とっておきだから言わないのかと思っていた
「愛してる」という言葉は
最後まで使われないまま、
うちの家庭は消えて無くなった。

僕の家族はもう10年以上集合してないし、
戸籍上は外されている。

天涯孤独設定になっている。


愛を学びなおさなくては。

このままでは、誰も愛せない。

と思って僕は勉強を始めました。

なので僕もジェリー博士に倣って
学びたいことを書きます。

僕の中に愛があるのではなくて

愛の中に僕がいる。

愛は僕の感情の一部ではなくて、

愛の表現の一部が
わたしであなたでそれ以外。

この世界は愛の作品。
僕も作品の一部。

と考えてみる。

すると、僕は愛の一葉なので、
愛の選択したいことを選択すると
抵抗なく楽チンにすすむ。

だから、愛されようとしなくても愛される。

ただ、僕はパーツなので
全体の思惑を忘れて
エキサイトしすぎて
のめり込みすぎて

攻撃的になったり
競争的になったり
孤独になったりして
愛の仕事をわすれがち。
ゲームに夢中になって、
現実に帰ってこれない感じ。

だからこうして定期的に

愛を言葉にする。


愛が僕に見せたいものはなんだろう。

愛が僕に聞かせたいものはなんだろう。

愛が僕に感じさせたい事はなんだろう。

愛が僕にしたい事は
きっといま全部なされている。

愛を信頼する。ということ。


愛がいま、あなたに見せたいものが、
この文章だとしたら
僕はなんて書くといいだろう。

ジェリー博士は
「与えられたいものをこそ、与えなさい」

と書いていたので、
言われた通りにしてみよう。

ここまで読んでくれてありがとう。

なんの御縁がここまで繋いでくれたのか
ここにいてくれてありがとう。

きっときっと大丈夫。
あなたをこれからも愛しています。

これからも、明るく前を見て
励みあって生きていきましょう。


しんろくでした〜〜!
愛を込めて!

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