見出し画像

インプリケーション

noteをはじめて最初に相互フォローしあった荒谷先生のノーツには刺激を受けることが多い。彼が論文作成にあたり「研究の貢献」とはいかにあるべきかを論じていらっしゃるのに刺激を受けて、僕も少し自身の経験を踏まえてまとめておきたい。

1.科学的な貢献
1-1 新規性
科学の世界では、これまで誰も指摘してこなかったような新しい因果関係が発見されれば、それはもちろん、とても素晴らしいことだとされる。

けれども、どんなに精密な検証があっても「キュウリを食べたらサッカーが上手くなる」なんていう結果はすぐには受け入れられない。どんな学問分野であっても、「常識的に考えてありえない」発見には非常に慎重な反応を示すものだ。

「バランスのよい栄養管理をされている児童はサッカーが上手になりやすい」くらいの研究の方が受け入れられやすい。地味に見えるかもしれないけれど、もしまだ誰も言及していないのだったら、充分に新規的な研究として評価される。

若者たちよ、大いなる新規性を求めるな! それは多くの場合、大人たちの常識によって揚げ足をとられ、成果として認められず、労力の割に実入りが少ない。そういうのは大学教員になってからやればいい(大学教員のポストを得た途端に研究なんかやらなくなる人も多いけど)。

1-2 再現性
科学の世界では、いくつかの条件を満たせば、ちょっとした冒険的な記述をすることが認められている。集めたデータの中で得られた法則性が、ある種の統計結果を満たした場合、集めたデータの外側でも通用すると言っていいのだ。

世論調査なんかでも、日本全体を調査なんかしていないのに「内閣支持率」なんていう数字を公表できるのはこの冒険的な記述が認められているからだ。400人も調査すれば、1億人がどう考えているかを推測することは可能なんですよ、っていう。

でもこれは認められているっていうだけで、もちろん真実なわけではない。だから、既存の研究について、別のフィールドからの新しいデータを使って、同じような結論が導出できるかを確認することはそれ自体とても価値のあることだ。

特に、「キュウリを食べたらサッカーがうまくなる」みたいな常識では考えられない研究成果については、再現性検証は大きな意味を持つ。

2.実質的な貢献
2-1 介入的な貢献
たとえば、肥満の原因が運動不足であるという調査結果があった場合、これは介入的な貢献がある。運動不足を解消することで万病のもととなる肥満が解消できる可能性があるからだ。

2-2 リスク指標としての貢献
貧困層の骨折患者は治りが遅い、という調査結果があった場合、介入的な貢献は難しい。病院には、貧困層をお金持ちにしてあげる力はないからだ。

じゃあこの知見には貢献はないのか。そんなことはない。入院してきた時点で、国民健康保険なのか社会保険なのかによって、「退院が長引くかもしれないぞ」とか「自宅復帰は無理かもしれないぞ」という予測が立つし、そうであるならば早期に補助金申請や施設探しに動くことができるからだ。

2-3 長期的介入指標としての貢献
貧困格差が健康格差に通じることが大規模統計によって明らかにされつつある。では貧困格差に介入は可能なのか。ネオリベラリズム政策以上の最適解をどの先進国も見いだせていない以上、それは非常に難しいだろう。

けれども、もちろんこの知見にだって貢献はある。50年後の未来において健康格差が生じてしまうことを防ぐために、現在の青少年たちに対して、厚労省だけではなく、文科省や国交省なども連携した、「貧困格差がある程度あろうとも、健康格差はそこまでひどくはならない社会構想」の検討には至ることができるかもしれない。

◆おわりに
研究とは、多くの場合最初にデザインしたとおりの結果を導いてくれたりはしない。このデータから、どんなことなら言えるんだ?という考え方に、どこかでは切り替えざるを得ないことがしばしばある。

そのときに困るのが、「この知見、何か役に立つんだろうか」という点だ。けれども、多くの場合、心配することはない。だいたいの研究には、どんな苦しみをともなったとしても、何らかの貢献が潜んでいるものだ。

研究者たちは、じつはこの貢献を探索するパズルゲームが割と好きだ。みんな「こんな知見しかないどうしよう」をくぐり抜けてきた強者たちだからだ。だから皆さんが貢献の記述に困ったら、迷わず先生たちに相談しよう。多くの先生は「ちょっと待て」といってゴリゴリとコーヒー豆を挽き始める。僕の経験的に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?