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母と会った記憶

自分が何の用事で東京に行ったのかは忘れてしまったが、スマホでたまたま、母がKG大学で学会に出ているという記事を見かけたので会いに行ってみることにした。

KG大学はかなり狭い道を左へと曲がりながら、古びた小学校の地下を抜けた先にあった。学会をしていた場所はわりと新しい校舎で、ちょうどお昼時間だったらしく、たくさんの大人たちが談笑していた。

僕は難なく母と合流し、差し向かいに座る。二言三言言葉を交わし微笑む母をみて、僕はやっと思い出した。母は死んだのだ。これは夢なんだ。

だから、ここからの彼女との会話は、少しさみしいものだった。きっと彼女ならこう応えるだろうとか、こう応えてくれたらいいのになとか、つまり僕は僕の中に居る彼女と話せただけだったから。

最近、以前よりも彼女の気配を強く感じる。それはきっと僕の死期が近いということなのだろうと思う。けれども、会うたび彼女は、お前もそろそろこっちだなとは言わない。あなたはよくやっているよ、という態度があって、僕はそれがとても嬉しい。

きっと僕は、まだやらなくちゃいけないことがあるのだろうし、それが充分できるくらいの時間が僕には残されているのだろう。彼女はそう確信しているようで、それが僕の不安を払拭してくれる。

不思議なものだ。僕は霊魂の存在をまったく信じてなんかいないのに、彼女が僕の周囲に居て、僕の余命など僕が知らない情報を全て持っているに違いないと感じているのだ。

もちろんこれは霊魂の存在を立証するものではない。わたしたちの死者との向き合い方、日本における伝統的な祖霊信仰文化、僕の身体もまた、それにがっちりと組み込まれているということなのだろう。

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