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雨降って地固まる

なんてのはクソ喰らえだよなって


小さい時にずっと思ってたことがある

ひとは色んな経験をして、傷ついた分だけ人に優しくなれると

でもそんなのが果たして本当に、最終的に自分を助けてくれることになるのだろうかと


綺麗なままがいいじゃん

傷つかないならそれが1番いいじゃん


それでも生きてるうちに傷1つつかないなんて無理だから、わたしは以前の傷を新しい傷が消してくれる要因になるって考えるようにしている

傷は時間が解決するのではなく、新しい出来事によって上書きされるのだということが、長年過ごしてきたわたしの中で考えついた答えだったなぁって

だから人は動かなきゃないんだなって、新しい出来事に出会っていかないと、ずっと過去と向き合い苦しいままなんだなって思うんだよね


過去を語ることが悪い事だとは言わないけれど、業績やあまりにも昔の話をする人に関しては少し警戒したり、正直あまり取り合わないようにしている

わたしは今の自分が全てというか、最新の状態がわかればいいと思っているので、そこまでの昔話を自分からしないかなって、笑い話になるようなネタは話すけど、自分を立てるようなそんな話は特にしたことが無いかもしれないな

過去を経てのその人は最新をみればわかるとも思ってるので、今話している人に集中するっていう意味でも、あまり過去は重要視してないのかもね

かといって過去を蔑ろにしたい訳ではなく、その人との縁が続くなって思った時に、お互い自然と昔話は出てきているなとは思う

自分を知って欲しい時に出るツールが過去なんだろうな、もしかしたらだけど、過去の話をしている中で『こんな経験をしていますが、これからも付き合いを続けてくれますか?』みたいな意味が含まれてくるんじゃないかって思うこともある、試してるのかな?受け入れてくれるか

なんにせよ自分で傷と向き合うことと、他者と傷を共有することは使い方が違うからさ、でも共通するのは『(自分、他者と)分かり合いたい、分かりたい』ってことのようにも思う

理解したいってのが近いかもしれないな
向き合うってそういうことな気がしている


最初にも言ったけれど、人生において雨が必要なもので、わたしたちの生活を豊かにするのに必要なのだとしたら、苦しんでいる時間って何を意味するんだろう?経験?苦しんだ時間が後に生きるの?

人に優しくなれるっていい事だけど、そうじゃないよね?たぶん経験として培って、次にこうなった時に対策できるようにしようだとかの知識と予防ができるようになるんだよねきっと

ひとは繰り返したくない出来事を学ぶ
繰り返す人もいるけど、その人の比重の違いな気もしてるから、そこはそれぞれかなって

わたしがまだ制御出来ない感情に『嫉妬』とか考え方には『比較』があるんだけど、苦しんでいる時間の中でふと周りを見ると終わるんだよね、嫉妬と比較のオンパレード

苦しんでる時って余裕ないし、まだまだ訓練が必要なんだけど、悩んでる時ってもしかしたら自分に没頭してる方が幸せかもしれないな、下手に周り見ると詰む、気をつけないとなー

嫉妬と比較に関しての解決案は、常時募集してます、なにかいい考え方があったら教えてくださいな


誰かのためにが主体にあるわたしには、自分が経験したことを伝えることで何か力になることがあるとは思う、でもさ、その地を固めたのは自分なんだよね、誇っていいよね?

前回の話になってしまうけれど、自己肯定感が低かったり、承認欲求がある人にとって必要なことがあるとすれば『経験』なんじゃないかな?

経験は自分を信じるツールになる、自分だけのものだから、それが貴方をつくる要因になる

結局動かないとなにも解決しないんだろうし、何も始まらないしで身動き取れないよね

動くのって労力いるからね、大変だよねー


そのうち動くってことについても書いていきたいと思う

少しでも貴方が動ける理由の一つになれれば


おしまい

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