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自分ファーストという難題

御託を並べることに何の意味があるのかって考えたら、文字通りの言い分で自分を肯定しようとしているかもしれないし、あとはなんだかんだ言い訳を考える時間を稼いだりしてるんじゃないか、って思う時がある

わたしが御託を述べたのはいつだっただろう?
何かから逃れようとして物事を先延ばしにしたことはあっただろうか

あまり記憶にないんだよなぁって、そもそも自分を守るような状況に陥っていないっていうか、守る気がないというか、これでも前よりはましになった方なんだけれども

誰かのためにが第一だった頃があって、今もそんなにそのスタンスは変わっていないのだけれど、少しは損得勘定というか、自身が負債ばかり負わないように過ごすっていうのが目標になったところはある

それが自分を守るだけではなく、結果的にわたしを大切にしてくれている人たちの為になるってのが徐々にわかってきたし、何より負の連鎖を呼ばないってことが大事なんだなってのが身に染みているからさ、経験はものをいうんだろうなって


人のためになりたいが根本にあるのは変わりがない

でも考え方というか、形は変わって今もまだあり続ける


すべてが丸く収まるなんて都合のいいことは稀でよくて、要は上手く組み合わさっていくか、他のものと折り合いがついていくかだと思っている

結局なにがいいたいのかっていったら、今わたしの周りに残った縁は、凡そ人に与える人達だというのと、その中にわたしも含まれているのだということ

与えるという表現が合ってるかわからないけれど、前にこんな話を聞いたことがある

Give&Takeという著書かな?にギバー(与える人)、テイカー(受け取る人)、マッチャー(ギブとテイクのバランスをとる人)の話があって、ギバーはギバーに与えるとまた相手から返ってくるから良好な関係が築けるといったことが書いてあったそうな

わたしの周りに残った縁はギバーだったんだなってのがよくわかったし、勿論テイカーにギブし続けて辛い時期もあったけど、いまとなってはいい勉強になったなと、しみじみ

わたしの周りに残った縁が今のわたしの全てだから、その人たちがわたしを肯定し続けてくれる限り、わたしはある意味自分ファーストでいれるんじゃないかなって思ったんだよね


昨今の自己肯定感が低いだとか、承認欲求だとか、そんな言葉が犇めき合う中で、生きる上でどれだけ自分を大切にできるかが重要だと誰が教えてくれるのだろうか、家族?学校?国?

でもその中で少しでも自分に寄り添う言葉に出会えたら、励ます歌を見つけたら、手を取る友を探せたら、家族と食事を囲んだら、好きな景色を見つけたら、大切な人に出会えたら

たったひとつでもあれば、指標になって導いてくれる力になっていくとわたしは思う

自分を大切にするって、そういう所からなんじゃないかな?上手く伝わらないのは100も承知だけれど、きっかけは小さくていいって、勝手に大きくなるから大丈夫だよって


どうか諦めないで欲しい、それだけで自分を守ることになるからさ


ここまでいってもわたしもまだまだで、やっぱり意見に流されたり、相手を優先しちゃったりする事もあるけれど、そういう時は『プレゼント』だと思うことにしている

たまにサンタクロースになった気分になる事もあるけれど、それを許すのも自分を大切にすることなんじゃないかなって

ただ、自分ファーストと自分に甘いを履き違えやすいので、そこは注意しなければならないところ

最近甘すぎるんだよなー、それもいいかなー?
どうかなー?


表題からぶれぶれの散文になったけど、たぶんこれからもこんなのが続きます

文才は期待しないでください、書きたいようにかいていきます、徒然と、なすがままに


おしまい

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