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【雑記】SNS、ここは野生の王国

 「ハイ・ライズ」という小説がある。高い所得や社会的地位を持ついわゆるハイソな人たちが、入居した最新マンションで暴力的になり野生化していくというストーリーだ。映画化もされている。

 この小説を読んだときは、住人達が何故「野生化」していくのかよくわからなかった。いまでもよく分からないのだが、ちょっと取っ掛かりをつかんだので書いておく。

裸のヒューマンあらわる!

 Twitterが殺伐としているのはいつものことだが、社会的地位があったり人権や差別の問題に敏感な人が他人の尊厳を貶めるような罵詈雑言のリプライを送るのは何故なのか不思議だった。
 「SNSは公的な空間である」という意見があるが、公的な場でいつも怒っていたり、気に入らないからといって面と向かって悪口を言う人がいたらどうだろう。「こいつ、ヤバいな」と思わないだろうか

 なぜこんなことになるのか。
 それはSNSが「公的な空間」などではなく、むしろ逆の「私的な空間が拡大したもの」だからではないか。私的な空間だからこそ、気の向くままに誰かにクソリプを送ったり、気に入らない相手に罵詈雑言を投げつけるのだ。

 SNSは私的な空間の延長だからこそ、公的な制約から解き放たれた人間性があらわになるのではないか。その自由度はパジャマで出歩くどころではない。社会性を忘れて感情の赴くままに行動する姿はまさに野生、まさに裸のヒューマンである

ここは野生の王国!

 野生化した裸のヒューマンが闊歩するTwiterなどのSNSは「便所の落書き」どころではない。野生の王国である。

 野生の王国は私的な空間の延長である。裸のヒューマンは恥じらいも忘れてそこかしこでウンコし放題である。野グソを踏んでもしょうがない。なぜなら野生の王国だから。

 野生の王国では公的な空間では許されないような独特の振る舞いが称賛される。たとえば裸踊りがうまいやつが一目置かれるたりする。なぜなら野生の王国だから。

 SNSは野生の王国である――そこでは裸のヒューマンこそが適応した正常な姿で、紳士的な振る舞いこそが小数で異常だ。そこでは独特の振る舞いが受けるし、自分の常識が通用しないかもしれない。
 もし気に入らなければ、無理に合わせることはない。そもそも関わり合う必要もない。だが、どうしても踏み込むというなら、住民に公的な秩序を求めたり社会性を期待してはいけない
 裸のヒューマンは素っ裸で思うままに過ごすことが普通なのだ。

 なぜなら野生の王国だから。

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