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人種差別ってなんだろう。

今回は占星術とは全く関係ない日記のようなものです。

人種差別ってなんだろう。
人種…人の種類? いや、人間の種類かな。
取り敢えず、観点を変えて見てみよう。

生物学的には
社会的には
心理学的には


生物学的には

生物学的に言えば、白人とか黒人とか、黄色人種とか。男性か女性か、それ以外か。
これらには一応明確な基準が設けられているから割りと分かりやすい。
勿論定義に当てはまらないグレーゾーンの人もたくさんいる。特に男性か女性かはスペクトラム状で、人間の場合段々男性のx染色体が磨り減っているらしい。
その流れで多様性を失いメスしか存在しなくなった哺乳類もいるから、生物の種としての男性か女性かの違いなんてその程度でしかないと言うことだ。

社会的には

社会的な人種?
裕福か貧乏か、オタクかオタクじゃないか、非リアかリア充か。
こんなのも人間の種類区分の一つに入るのではないだろうか。
これらは肯定的にも否定的にも捉えられるし、感情論や好き嫌いによってその評価が簡単に変わる。
文化によっても違う。アメリカでは煩くても意見を言う人が良い評価を得るし、日本はチームワークを優先する人の方がいい。
要するに、その人がどんな価値基準(物差し)で物を見ているかによるものだ。

文化によって違うから、日本社会の物差しに飽きたら外国にいって違う物差しを学んできてもいい。
そうすると、心が自由になる。日本社会の良い面もはっきり分かる。

ただ、この社会的な人種はさっき述べた通り、物差しが皆微妙にずれているから、同じ集団や事柄に対する評価は人によって違う。
物差しがずれると、他人と合わせるのに苦労する。
生物学的な人種と社会的な人種の特徴をごちゃ混ぜにして特定の集団を決めつけて考えると、偏見や固定観念になる。
でもこれは完全に間違い。偏見やステレオタイプ通りに行動している人々が居たとすれば、それはそのようなキャラクターを演じているために、自分が作り出した人格を抜け出せなくなっているだけなんだと思う。
物差しは人によって違って当たり前。社会の物差しに合わせることも、生きていくために他人と協力する上では重要だけど。
それでも、自分の頭で考えて最良の決断を出すとき、必ずその結論の出し方、論理の辿り方は人によって違うはずだから。


心理学的には

心理学的な人間の種類か…タイプ別診断の16personalitiesとか、エニアグラム診断とか、私の大好きな西洋占星術、何度読んでも分からなかった宿曜占星術や四柱推命も人間の性格診断って意味で、心理学的な人間の種類に相当するだろうか。

外向型とか、内向型とか。これは上の二つより、人間の心の問題により直接的なアプローチをかけているから、文化によってもかなり解釈が分かれていて読んでいて本当に面白い。特に、アメリカの初期の心理学における内向型のボロくそな言われようと来たら。笑笑

占い的には人間の性格は幼い頃の家庭環境やその人が囚われていることがその人の人格を作っていることになる。社会的な役割としての人格は、少なくともそうやって決まる。でも、これは自分に対する思い込みで、人格とその人自身の本質…その人の在り方は別個で考え、自分の人格を演じる際に出来た傷跡を意識的に癒す必要があるらしい。

以前中国で、12星座による人種差別が酷いと言うニュースを見たことがある。獅子座生まれの人はレストランでお断りされるとか。
…そのときは中国も迷信深いなとしか思わなかったけど、結局アメリカで起こっている人種差別なんかも、俯瞰すればこの程度の問題でしか無いのだろうと思った。









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