令和版「人が虎になる話」


そこの君、起きてくれ。そうそう、君のことだよ。周り見渡したって君しかいないじゃないか。鳩が豆鉄砲を食ったような表情をして、そんなに驚かないでくれ、僕の顔になにか付いている訳でもないだろう?それとも僕の服が大阪のオバチャン風の奇抜なヒョウ柄?違う。僕はいたって普通のコーディネートだ。全身タイツでもビキニでも、季節外れのサンタクロースでもない。非常に自然な、ありのままのコーディネートだ。だからリラックスして僕と喋って欲しい。そうそう、落ち着いてこれでも吸ってくれ。ああ、タバコはやめた?そうか、僕と同じだね。ところで君は非常に状況理解が速そうだ。1言ったら10分かるタイプ。相手の考えていることに簡単に共感できるタイプなんじゃないか?普段から周りの空気を読んで気を使ったり、上司の機嫌を窺ったりすることは容易であるように見える。そんな繊細さを持つ君なら、僕が今から言うことも分かってくれるだろう。
 
この国で、ある恐ろしい疫病が流行っていることは知っているね?ご存じの通り、この辺りではほとんどの人が感染してしまった。比喩表現ではない、文字通りに「ほとんどの人」が感染してしまった。感染経路はそう、首元をガブリ…さ。ああ恐ろしい、想像しただけで寒気がするね。外に出ると感染リスクが高まると言われているのに、君はのんきに河原で昼寝をしていた。なかなか肝が据わっているじゃないか。
 
 これはくだらない世間話として聞いてほしいのだが…くだらないなら聞かない?くだるよ、くだる。くだらなくなんてないさ。例えば君が飲み会に参加したとしよう。お酒も進んで、盛り上がってきた。枝豆、唐揚げ、焼き鳥、チョレギサラダ、たくさんの料理が運ばれてくる。酔いも回ってお腹も満たされてきた。飲み会も終盤にさしかかった時、君はふと気づく。大皿に残った1房だけの枝豆、1つだけの唐揚げ、1本だけの焼き鳥、半分に切られたプチトマトとノリの残骸1口分だけが残ったチョレギサラダ。誰も手を伸ばさない。君は残された枝豆を不憫に思っても「最後の1つ食べていいですか?」とは言わない。まるでそれを食べてしまったらゲームオーバーかのように、皿の上の時を止めている。君は周囲の人から、食い意地の張ったやつだと思われたくはないだろう。「えっ、コイツ最後の1つ食べた!神経図太!」などと思われてしまったら終わりだ。そんな風に思われるくらいなら、例えまだお腹が空いていても我慢するだろう。帰宅してからカップ麺でも食べられれば良いと考えるだろう。頭の中を覗いているのかって?いいや、これは君に限らない。周りの人だってみんな同じことを考えている。誰も食い意地の張ったやつというレッテルを貼られることを喜ばしく思わない。たくさん食べて無条件に褒められるのは子供と相撲取りだけさ。
 
しかし、僕は違う。君や君の周囲、またこの国のほとんどのやつと異なる考えを持っている。最後の1つのチーズフライも、餃子も、かき集めてやっと1口分になりそうな塩辛も、周りの目を気にすることなくペロリと平らげられる。僕はそういう図太い人間だ。正しくは図太い「元人間」だ。人の目を気にすることなく、誰も食べないくらいならと手を伸ばすことが出来る。食い意地ではない、小泉環境大臣もニッコリのフードロス削減だ、SDGsだ。ん?今は小泉じゃない?僕が人間だった時、最後に見たニュースでは小泉が環境大臣だったはずだ。
 
ここまで言えば頭の良い君はもう理解できるだろう。そう、君はこの恐ろしい流行り病、「新型虎化病」に侵されていない、最後の生存者だ。大丈夫だ、死にはしない。僕が君を食い殺すこともない。ただただ僕に首をガブリとやられたその瞬間、虎になってしまうだけだ。そしてきっと治らない。人間に戻ることはないって直感的に分かるってみんな言っている。僕だってそう思う。治るとしてもその薬を作れる人間はもういない。俺が作るからだって?君には無理だ。プロにだって作れなかった。作ろうと試行錯誤はしていたが、みんな虎になってしまった。人間の生き血を吸うことでしか栄養を得られない、悲しい虎になってしまった。僕はこう見えて結構グルメな方だった。吉村家系譜のラーメンしか家系と認めない、面倒くさいタイプのラーメン好きだった。もうラーメンを食べて評論家を気取ることも、かっこつけのウイスキーを飲むことも、インスタントを毛嫌いしてカルディで買った豆を自宅で挽くこともないと思うと非常に悲しい。食べる・飲む機会を失ったことよりも、それら食べたい・飲みたいという感情を失ってしまったことが一番悲しい。今の僕の目に魅力的に映るのは、君の中に脈々と流れる血だけだ。虎に噛まれると虎になるなんて、吸血鬼伝説みたいだな。
 
さて、本題に戻ろう。僕は最後の1つのチーズフライも、餃子も、かき集めてやっと1口分になりそうな塩辛も、周りの目を気にすることなくペロリと平らげられる図太い人間だ。最後の生存者である君の血を、美味しくいただきたいと思う。何度も言おう、これは小池百合子もニッコリのフードロス削減だ。SDGsだ。そして悲しいことに、百合子も小泉ももう虎になった。これは変えることのできない事実だ。繊細で傷つきやすい君は、人間関係に疲れて1年ほど引きこもっていたね。だから噛まれることなく生き残ることが出来た。君が最後の生存者になったのは約半年前だ。実は君が半年もの間生き延びられたのは、ラッキーが理由ではない。どの虎も君の存在を匂いで察知はしていた。匂いというより、直感、感覚に近いもので君の居場所は分かっていた。にも関わらずガブリといかなかったのは、虎になってもなお、食い意地を笑われる恐怖には勝てなかったからだ。最後の1つに手を伸ばすのは、恥ずかしいという潜在意識が、虎になってもなお残っていたからだ。
 
 僕は君の首に噛みつくために東名高速道路を駆け抜けてきた。東海道中虎栗毛だ。
 
 
状況理解が速くてありがたい、君とはお互い人間の状態で友達になりたかったよ。では。



 

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