見出し画像

チバユウスケ が亡くなった。らしい。

らしい、としか言えず。テキストで告げられる訃報はあんまりにも現実味がなくて。みた瞬間、息を呑んだけど、何も頭に入ってこなかった。仕事中だった。職場には誰もチバユウスケを知っている人がいないし、こういう時、実は好きなバンドマンが亡くなって、と、話をできるほど心を許せる人もいないから、ただ、飲み込めない事実があって、誰もその話をしないから、私の中ではまだチバは生きていた。
休憩中、SNSを見ていたら、たくさんのミュージシャンや、関係者の方々が、チバユウスケに哀悼の意を示していた。思い出を語ってくれた人もいた。それを見て、ああ、チバ、本当にいなくなったのか、と、思った。
私の脳は仕事中余計なことを考えず、思考が強制的にストップするので、休憩が終わって仕事に戻っても、泣かなかった。仕事そっちのけで、とか、できないのが、妙に真面目な自分の性根が嫌だった。

仕事が終わって、イヤホンでThe Birthdayを聴きながら、電車の中でまたSNSを見た。涙目になって、鼻をすすりながら帰った。なけなしの金でビールを買って、母の待つ家に帰った。
私にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを教えてくれたのは母だった。母は私に音楽をたくさん教えてくれて、The Birthdayのライブも、2人でたくさん行った。初めてThe Birthdayのライブを見た母は、「チバがあんなにかっこよくなってるんだったら、歳取るのも悪くないなって思った」と言っていて、帰ってからすぐ、その話をした。今まで見たライブとか、映像作品とか、思い出をたくさん話した。ハイネケンを飲んで、酔っ払って、何も楽しくはなかった。
「チバ、お父さんが癌で亡くなったから、自分も癌で亡くなるってわかってたかもね。ライブめっちゃやってたから。わかってたのかも」と、母が言って、私は咽び泣いてしまった。何もわからないしただの推測でしかないし結果論でしかない。けれど、そうだったかもしれないと、それだけの説得力があり、本当に命を削って、魂で歌っていたのを見て、知っていたから。
その晩はThe Birthdayを全曲シャッフルでかけながら、酒の力で気絶するように寝た。

で、今、起きて、仕事を休んだ。
この感情を分かち合えない場所になんて行きたくなかった。

幼稚園の頃からチバの歌を聴いていた。母に連れて行ってもらったラッシュボールのROSSOで訳も分からず踊っていた。高校生になって、改めてミッシェルを好きになって、初めてThe Birthdayのライブを見て、価値観が変わった。本当のロックンロールとはこれだったんだ!とわからされた。マーチンブーツも買ったし、京都の古本屋Fabulousさんとか、RUDE GALLERYの店舗にも行った。ビビり金欠オタクだったから何も買えずに帰ってしまったけど。大きな声では言えないが、アベくんのお墓参りにも行った。ライブでもらえるフライヤーとか、グッズで売ってたポスターセットをいっぱい部屋に飾った。堺Goithという、大阪の小さいライブハウスにThe Birthdayが来てくれた時、物販で金を積みまくったら、メンバーのサインをもらえた。それも飾っている。家の玄関マットもクッションカバーもThe Birthdayのものだ。大学の時、チバの詩で卒論を書こうと思って、詩集2冊とTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのインタビュー集を買った。結局卒論のテーマは変えてしまったけれど、今でも買ってよかったと思える宝物だ。
誇張抜きに、私の魂の根は確かにチバユウスケの歌と音で出来ていた。あまりにも人生に根付きすぎていた。

どんな気持ちでいればいいのか曖昧だ。
ただ、もうステージに立つチバを観られないということが、チバの周りで楽しそうに演奏するメンバーを観られないということが、こんなにも悲しい。

ご冥福をお祈りするには、まだ自分の中の折り合いがつけられない。
お別れ会、いつやるのだろう。
お別れ会に行けたら、この気持ちを割り切れるのか。
わからない。
今日一日だけは、感情のままに生きることを許してほしい。

チバユウスケの、歌も、演奏も、作る曲も、歌詞も、言葉も、生き様も、ファンに見せてくれるほんの一部だけとわかっていても、すべてが好きだった。
ろーりんべいべー、いっつおーらい。


サポートをすると、特に何も起きませんが、どこかから視線を感じるようになります