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【堺シュライクス2019プレイバック】河村将督

「サジーさん、俺どうしても戸田に行きたいんですよ」

8月末のある日の練習中、河村将督が突然口を開いた。「今の俺がどこまでできるか知りたいんです」

思えば急上昇のシーズンだった。第二クールの走り込みで藤江コーチ考案のメニューに文句を言い、走り込みの後に葬儀会館の前で死にそうな勢いで倒れ込んでいた男が、シーズンが終わる頃にはリリーフエースの地位を確固たるものにしていた。

4月はとにかく打たれに打たれたが、5月に入ってから無失点が続いた。一旦途切れるもまた無失点が続く。決して盤石というわけでもなく、ランナーは出すものの、得点圏にランナーを置けば絶対抑える。誰かが残したランナーも、還さない。そして3つ目のアウトを取ったら、拳を高く天に突き上げる。投げていくうちにどんどん頼もしくなっていった。

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「何ていうかピンチが好きなんですよ。サッと出てきてパッと抑える・・・そういうのが理想ですね。でも抑えっていうよりは中継ぎのスリルみたいなのがたまんないっすね」そう言いながら笑う河村。本気なのか冗談なのかはわからないが、大変な場面で颯爽と現れて、ガッツポーズと共に去る。初夏以降、試合の山場の風物詩となった。

8月17日には球場の隣で打ち上げられる花火の音が鳴り響く中で登板。1イニングをしっかり抑えて見せた。花火よりも殊更光って見えた投球だった。

8月25日には大雨が降り、グラウンドコンディションが田んぼのような状態でマウンドに上がった。結果は打ち取った打球がエラーとなり失点。そのまま降雨コールドとなった。

「僕に自責点はつかないかもしれないんですけど、打たれたっていう記憶が残るのが嫌なんです。あそこで失点したのが本当に悔しい」

打たれるたびに悔しさをにじませる。どんなことにも負けたくないーと河村は言う。11月に行われたドッチボール大会に出場した際、負けたときに、ユニフォームを叩きつける勢いで脱いで悔しさをあらわにしていた。河村の根幹にあるのは「負けず嫌い」なのだ。

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話は8月末に戻る。
戸田とは9月4日に行われた東京ヤクルトスワローズとの交流戦のことだ。その選抜チームに入りたい・・・と河村は思っていた。

おそらく、あの時の河村であればそこそこ抑えられたんじゃないかと思っている。巡り合わせなのか、チャンスが巡ってこないことがもったいないとただただ思った。

シーズンが終わると、練習場で声を出す河村がいた。

「そんなことやってたら試合中も出るぞ!」とボール回しでミスをした選手に声をかける。ブルペンでひたすら投げ込み、苦手な走り込みも、しっかりこなしている。

「親には抑えるんだったらしっかり3人で抑えないと見てもらえないぞって言われました」という。来季27歳。もしNPBに進むなら28歳のシーズンからのスタート。求められるのなら、圧倒的な成績を残す必要もある。

この秋、河村は大好物のカフェオレを断って練習に臨んでいたと。少しでも上手くなるという心を持った結果だろうか。球速も格段に上がり、コントロールも安定し始めた。

「(オフは)関西に残って練習続けます」という。
来年の秋、笑ってカフェオレが飲めるように・・・絶対的中継ぎエースの2020年はもう始まっている。

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