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塾なしで公立中高一貫校に合格するための考え方、そしてひそむ問題点

私の住む地域には、福島県で初めての公立中高一貫校があり、我が子が通っています
学校公式note↓

それまで地域での一番の進学校は別でしたが、この学校の誕生により、地域の勢力図は少なからず変わりました。

以降は私の個人的な意見のため全員には当てはまらないかもしれませんが、同じようなことを考えたり悩んだりしている親御さんも多いのではないかと思って書きますので、中高一貫校に関心がある方はご笑読いただければ幸いです。


中高一貫校のメリット

なぜ中高一貫校は進学校として実績を上げるのか。私立の名のある進学校もほとんど中高一貫校です。
言わずもがな、その一番のメリットは「高校受験がない」ことですが、なぜそれがメリットになるのか。

地方では地域一番の進学高校でも、倍率も1.0をわずかに超える程度で、入学試験もそこそこの点数で入学できてしまいます。受験が楽な代わりに、中学時代に部活なり趣味なりで有意義な時間を過ごせれば良いのですが、暇を持て余してゲームなどで時間費やす人も多数です。私がそうでした。

たとえそんな「ひねもすのたり」的な中学時代を過ごしても、高校から勉強をがんばれば、東大・京大・国立医学部あたりの一部超難関大学は別としても、それ以外ならば十分チャンスはあるのです。

ただし、中学時代にぼーっと遊んでいながらそれを実現するには、高校に入ってから死ぬほど勉強する必要があります。そのギャップが大きすぎるし、高校でも運動部を続けたい子もいるでしょう。人間的な気づき・成長が重要な高校生という時期に、勉強漬けだけの生活で良いはずがないです。
はっきり言って、難関大学を突破するだけの学力をつけるためには、高校3年間だけではとうてい時間が足りません

1浪した人が、現役で落ちた志望校より1段上の大学に合格するケースも多いことから言えば、高校レベルの勉強は少なくとも4年かけないと、その人本来のポテンシャルが学歴に結実しない、というのが持論です(一部の天才や家庭環境に恵まれた人などはそれに限りません)。部活を諦めていれば◯◯大学を狙えた、だとか、英語をやり直せたなら旧帝大を受験できた、なんていう声も数多です。

つまり、中高一貫校では高校受験の勉強が不要になることで、高校の教育課程に対して数ヶ月~1年ほどは先取り学習ができる、ということが、大学受験の上で一番のアドバンテージとなります。

もちろん勉強以外のメリットもいろいろとあるでしょう。高校と設備を共有できるといったスケールメリットとか、高校生と交流できるとか。今回は割愛します。

中高一貫校のデメリット

では、中高一貫校は良いことだらけかというとそうでもありません。

「受験が早まり、子どもの負担が増える」説

高校受験が不要になったとて、結局中学受験となって前にずれるだけ、という考え方もできます。
メリットのほうで言及した「人間としての重要な時期」で言えば、小学校時代はなおさら、過度の時間を勉強に費やすのが良いとは思えません。

まして問題なのは、公立中学入試の内容は、小学校だけの勉強では到底対応できない、という事実です。
過去問7年分くらいは分析しましたが、「総合的な問題」とでも言いましょうか、文章を読み取り、または会話を聞き、図表を理解し、計算をして、主張を理解し、問題を捉え、自分の意見を文章にして・・・というもの。
昔言われた「詰め込み教育」のアンチテーゼのような設問で、確かにこれが解ける子ならば受け身人間にならず、世の中で活躍できるかもしれません。

設計思想が素晴らしいとはいえ、このような問題に対応するためには、長期的にそれを意識した勉強が必要に思うのです。
つまり学校の勉強の延長線上では対応できない、と考えます。

そうなると、親が教えたりしない限りは、自ずと「中学受験専用コースの塾に通わないといけない」こととなります。
塾がどんな授業内容なのかは知りませんが、5年生くらい、つまり1年以上前から通う子が多いと聞きます。
そうだとしても、1年ちょっとの塾の勉強で理想的な対策ができるかというと難しいと思いますし、受験の半年前、3ヶ月前、などに駆け込みで塾と契約する人もいます。地域にわずかしかない中学受験をするかどうかなんてギリギリまで迷って当然です。

そうなると結局、いくら崇高な教育理念に基づいた入試問題であっても、実績至上主義の塾では「テクニック」を教えることでしょう。

先に中高一貫校のメリットとして「高校受験がない」ことを挙げましたが、これは「高校受験に対応することは無駄である」という前提があります。
完全に無駄とは言いません。詳細は割愛しますが、少なくとも「無駄が多い」のです。中学受験のためのテクニックを叩き込まれるとすれば、高校受験、もしくはそれ以上に無駄な時間であり、まだ小さな子どもにとって大きなストレスにもなると感じます。

ましてや、1年以上も塾に通った挙げ句に受験で不合格となった場合、子どものモチベーションがどうなってしまうのかという心配もあります。
(もちろんそれも経験であり、プラスになるかマイナスになるかは本人と周囲次第です)

「小学生の段階では適性を判断できない」説

みなさんの子供の頃の同級生や兄弟・親戚を思い出してください。小学校のときはすごく勉強ができたからといって、最終学歴につながっているかどいうとそうとは限らないはずです。逆に、小学校のときはテストの成績はそれほどでもなかったのに学校の先生になっていたり、難しい資格を持っていたり、という人もいるでしょう。

もちろん、小学生時代からずっと成績優秀で難関大学に合格、という人が多いのは疑いはありません。ですが私の同級生や親族を見渡すとそうでないケースもたくさんあるので、無視できるような例外を取り上げているつもりはありません。小学生時代の成績は、ある程度先天的な能力や発達過程の一時点の状態が反映されるでしょうけど、それ以降は本人の性格や適性、嗜好、努力などによって得意なものは変わるものだから、進路の選択肢は広くあるべきという考えが成り立ちます。

何が言いたいかというと、「難関大学受験を目指して中高一貫校に入れたけど、成績が悪くなり、勉強もしなくなった」という場合に、親としてどう責任を持つか、という問題がつきまといます。

実際のところ、中学入試に合格してもその後に勉強についていけず、不登校になったり、優秀な同級生と比べてしまい劣等感に苛まれていきいきと過ごせない生徒も一定数いるそうです。

「中高一貫校では多様性に触れられない」説

勉強以外の点で、中高一貫校で子どもが過ごすデメリットとして私が重く感じるのがこの点です。
我が子の学校の先生が言うには、「他の学校にある問題のほとんどが、この学校では起きない」そうです。先生にとっては楽でしょうけど、子ども側にとっては、それが果たして良いことだらけと言えるのでしょうか。

私は田舎の公立中学校でしたので、やんちゃなやつもいればいじめもあったと思います。不登校のやつ、皆から避けられているやつ、軽度の障がい者、ズルするやつ、事件を起こすやつ、いろいろありました。
そういう面々とどううまく接していくかは大事であり、親にも手伝ってもらえません。不良みたいなやつが意外と優しかった、なんて実体験があると、大人になってからも寛容でいられます。

高校、大学、就職と進むにつれて、同級生の出身地など周囲の人間で多様化していく面もありますが、学力で大きく括られる中で周囲から失われる多様性も少なくありません

ほとんどの人はハンバーグを食べるときに食肉加工業の深刻な労災を想像することはないし、iPhoneを使っていても海外の工場労働者の賃金の低さを心配することはありません。ですがこれを意識しなければ知らずに弱者を搾取し続けてしまいます。それが社会の分断を生じ、経済も治安も不安定になります。

子どもにはできるだけ小さいときに、自分が様々な人によって生かされている事実を理解してほしいと願うのです。

地道!我が子のお受験対策とその後

中高一貫のメリット・デメリットを挙げましたが、結論として我が家では受験を選択しました。

いつから受験対策をしたか

私が子どもに中学受験を意識して勉強させはじめたのは小学校1年です。
過去問を購入して、その内容を確認してから父親たる私が始めました。

もし入試の内容が、暗記偏重や、将来に到底役立たない内容ならば、受験はしなかったでしょう。そうではなく、それを”意識”した勉強をして損はないと思いました。子供の様子を見て解けそうにないならば受験はしなくても良いし、受験できそうなレベルならば受けて見れば良い、くらいに考えて着手したのです。

「受験対策を始めた」時期は、「受験することを決めた」時期とイコールではない、ということがポイントです。

それは、勉強に向かなそうだったら諦める、という選択肢を持つことと同意です。
親は子に大きな期待値を持ちますから、「向かなそう」と客観的に判断するのは難しいし勇気が要ることだと思います。ですが親や信頼できる教育者でしかできない判断です。

いつから塾に通ったか

本記事のタイトル通り、塾には行ってません。
私の地域の中学受験は「塾を儲からせるためのもの」と言われても仕方のないくらい、合格者の多くが特定の塾出身です。
率直に言ってそれが癪だったのと、「塾にまで通わないと合格できないようであれば、そもそもその学校に向かなかったと思え」という考えでした。

だからこそ、多様性を含めて地区の中学にも良いところがある、と思っていましたし、子どもにも伝えてプレッシャーに思われないようにしていました(地区の中学がとても近いので、めんどくさがりの我が子にはむしろそっちが魅力的だった)。

上で次のように書きました。

(略)つまり学校の勉強の延長線上では対応できない、と考えます。
そうなると、親が教えたりしない限りは、自ずと「中学受験専用コースの塾に通わないといけない」こととなります。

つまり、塾に行かないということは、私が教えるということになります。
過去問を分析し、必要な知識・考え方を捉え、必要な対策を考える。そういうとたいへんそうですが、私がやったことはシンプルで微々たることです。詳細は長くなるので別の記事にしたいと思いますが、重要なのは

「小学1年から」「ほぼ毎日やる」

ということです。10分でも良いし、時間がなければ飛ばしてもかまわないです。ただしコツコツと継続することを重視しました。
ちなみに実施した教科は、国語と算数(数学)、ちょっとだけ英語、といった感じですが、「教科や学年の境界線を超えて関連知識を体系的に教える」というのが大事であり、中学入試の設計思想に沿った教え方であったと自画自賛しています。これは教科縦割りで授業時間が決まっている塾ではできない教え方です。

その結果、どうなっているか

受験体験記のような記事では入学後どうなったかを書いているケースは少ないように思います。それを書くために、この記事は構想してからけっこう時間が経っています。

入学後、テストの順位はほぼ上位1/3には入っていますし、学校の定期テストではない、学校横断の共通テストでは、学年で数学1位を何度か取っています。

定期テストよりも共通実力テストが得意なのは、小学校からの考え方、やり方を継続しているからだと思っています。テクニックや暗記ではなく、本質を教えてきたから応用が効くのです。
裏を返せば、定期テストもちゃんと勉強して同じくらいの順位を取れよ、ととも思いますが、それを重視させていないことは確かです。
大学入試、ひいては大人になってから直面する課題において、出くわしたことのないタイプの問題も少なくないことは言うまでもありません。

また、他の子は中学に入ってからも学習塾に通っている人が多いですが、我が子は通っていません。塾に頼らなくてもできる、という成功体験が大きいと思います。そのかわりに複数の楽器を習わせています。私がやりたかったことなので親の押しつけと言われればそうですが、定期テストで良い点数を取ることよりもずっと、人生を豊かにするものだと思っています。

大学入試のことを考えるとまだまだこれからどうなるかわかりません。高校の内容に入ったらチンプンカンプン、もありえます。
しかし我が子の中高一貫校は、普通に高校から入ってくる生徒たちが大半ですし、勉強至上主義ではありません。大学受験を諦めて就職したり専門学校に行ったりしても別にかまわないと思っています。
だからこそ、高校受験に無意味に時間を使うのはもったいないと思うし、いろいろな可能性に対応できるように、あらゆるしがらみは持たないようにしています。

最後に。実は一番言いたいこと。

いろいろと偉そうに書きましたが、ここからは問題提起です。

貧富の再生産を生むシステム

一点目は、日本の教育のやり方の問題により、子どもたちの将来が家庭環境に依存度してしまう、という点です。公立中高一貫も、その程度を薄めるどころかより色濃くします。

「先取り学習ができる」ことを、中高一貫校のメリットとして挙げました。そして実はこれは一貫校の先生自身も言っている(いた)ことです。そして、福島県内の公立中高一貫校はどんどん増えています。
すなわち、大学受験に対応するためには中高一貫が最適解、言い換えれば今の高校までの教育課程と年数のバランスでは当たり前に受験に対応できないということを公立が認めているとも言えます。これはいかがなものかと思います。

6年間の系統的指導により、「先取り学習」や「少人数指導」などの特色ある取り組みを行っております。

令和3年度学校公開チラシより

自分の高校時代を思い出してみても、数学Cの行列などは3年の後半くらいでギリギリ教わり、大学受験対策にほぼ間に合いませんでした。有機化学の後半も怪しいところです。こんなでは東大は無理です。進学校でこうですから、間に合ってないわけです。なお、行列は理系では超大事ですが、大学生になってからも苦労した記憶があります。

そうなると、塾や家庭教師で補完しないと難関大学合格は難しくなり、子の将来が親の経済力に依存してしまいます。東大合格者の親の何%が年収1千万超だとかいう統計は有名な話です。

当然、教育の仕組みを作る人間も高所得者ですから、自分に有利な仕組みを作りますね。それによって、貧富が再生産されることになり、保有資産の格差はどんどん広がります。

過疎地域の衰退を助長するシステム

また、公立中高一貫校は、学区というものがないため、他の市町村の生徒も広く受け入れます

合格可能性が薄くても、受験するかどうかは自由にも思いますが、実際は「各中学校あたりの受験者数」を絞っているそうです。
入学試験には学校側のコストがかかるので仕方ない面もありますが、合格者が特定の中学校に偏ったりしたら問題だ、ということかもしれません。

しかしその結果としては、周辺町村で一番勉強が得意な子をかき集めることとなっています。
ただでさえ、過疎地域では新入生が少なくなり、インフラや教育レベル維持が難しくなっているところで、一番勉強ができる子が引き抜かれたら、地域の義務教育のレベルはどうなるでしょう。
受験に失敗したり、行けなかった子の気持ちも難しいものがあります。

地域再生などと言うときに、どこまでの範囲で「地域」と言っているのかは重要な問題です。コンパクトシティなどと言われるように一定のエリアで集約されることは許容するのであれば、地方の中核的な市にだけ子どもが集まるのも可なのかもしれませんが、それでは日本の魅力や伝統、安全性はます
ます失われると思います。

以前書いた記事をリンクしておきます。


「先取り学習」について学校のパンフレットを引用しましたが、令和3年のもので、最近はそれを強調している文言が無いように思います。
たぶん、先取り学習や周辺市町村から優秀な子をかき集めるやり方は、公立では今後制限されるのではないかと考えています。国の指針との矛盾が目立ちますので。

だからといって大学受験システムがある限り、お金持ちが有利になる状況は変わりようが無いと言えます。

これに抗うには、「入試」に踊らされず、応用が効き、子どもがなるべく挫折しない学習を、長期的に行うことが必要です。
私なりには答えの一端は掴んでいるつもりで、人体実験よろしく我が子に実施しているのですが、「成功した」かはまだわからないけど、少なくとも「今のところは良い感じ」です。
気が向いたら具体的な手法を公開していきたいと思います。

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