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たまに、嫌になる

たまに、こう思うことがある。
『今日、ラジオ聞くの止めよう』

明確な原因が有るわけでもない、突然なのだ。
ラジオ疲れを起こしてるのかもしれない。
普段なら笑えるパーソナリティーさんの話に、頷く事も出来ない、どうやら重症のよう。
でも、これはある一部の番組なのである。
たぶん、この一週間で聞きたい番組が、聞かなくてもいい番組になったのだろう。
本当に人間の心は変わりやすい。

ここでのポイント。
『無理して聞かない』

その昔、地元FM局の番組を聞かなくなった。
その理由が、パーソナリティーと一部のコアなリスナーのやり取りだけ聞かされてるような気がしたからだ。
身内だけの話で盛り上がってる感じに引いてしまった私は、ダイヤルを合わせなくなった。
時は流れ、番組が変わったタイミングでもう一度聞いてみた。
ダイヤルを合わせなくなってから約7年、番組の感じもガラリと変わった印象だった。(実際は変わってないのかもしれないのだが。)

ここで無理して聞いていたら、きっとラジオ事態が嫌いになってたと思う。
たぶん時間が解決してくれたのだろう。

だから今、その番組は聞かない。
聞かないままその番組が終了しても、悲しくはないだろう。とは思いたくはないが、今は聞かない。

ここでひとつだけ、補足したい。
メッセージが読まれるから聞く。
メッセージが読まれないからつまらなくて聞かない。という話ではない。
読まれてても急に距離をとりたくなるのだ。


ラジオは『ながらのメディア』とは言うけど、ながらの中でも真剣に聞いてたりする。
真剣に聞いてリアクションなんかしてるから、きっと疲れたんだろうなぁ。

その昔、伊集院光さんかこんなことを話していたと思う。
『ラジオを聞かなくなったリスナーに理由を聞いたら、番組が詰まらなくなったからと言われた』
伊集院さんほどの頭がキレる人の話が詰まらないわけがない。
こう考えるのはどうだろう。
伊集院さんのトークと聞いてる自分の周波数が合わなくなったんだと。

どんな人でも話の周波数が合わないと数時間でも苦痛である。

そうか、俺今苦痛だったんだ。
ラジオは修行じゃないからね。
聞きたい時にフラッと聞けばいい。

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