ウンエイウンエイ言われてもわからない

こんばんは

運営とファンについて、タイムライン(+α)を横目で眺めて思ったことを書いていきます。
(※+αとして駅メモを始める前からプロ野球ファンを見ていて感じたことも混ぜているため、「フロント」という単語も併用しています)

「実際がわからないからこう言えるんだ。お前も何が起こったかわかれば運営が憎らしく感じるはずだ」と思われるでしょうけれど…。


自分がフロントや運営がやらかすとキリキリしてしまうのはファンやユーザーが荒れるのを見たくないからです。

フロント・運営側がどうしようと正直自分としては何でもいいです。
ですがファン・ユーザーの声は自分にも直に届くし彼らのクレームや暴徒化を見るのは苦しいのです。


フロントや首脳陣の方よりファンの方が選手への愛があるとか、運営よりユーザーの方がキャラクターへの愛があるとか、
(ファンやユーザーから大切にしていないという意見が出るのとか)
………ある意味当たり前じゃないかなと思います。

向こうは愛以外に考えて決めるべきことがたくさんあるし、こっちの方が純粋に一心に対象を愛することができるし
(その差をどうやってどこまで埋めるか、「考えて決めるべきこと」がちゃんとできているのかってのはありますけれど…)

……だいたい、愛って何だっけ?
愛しているしていない愛が大きい小さいって何で測れるの?

「愛を感じられない」
「愛が伝わらない」

これは伝える側と受け取る側の認識のズレだからまだわかるのです

「愛がない」

何をもってそう断定できるのでしょうか


ここまで散々使っておいてなんですが、そもそも運営・フロントって単語があんまり好きではないです。
そのコンテンツを動かしている人々がいるはずなのに、彼らを「運営」「フロント」って総称で呼んだ途端に、人が見えなくなるというか、いくら叩いても良い、叩くのが是である、不信感を持ってしかるべき、実体の見えない何かに感じてしまうのです……

叩きがいのある箇所を探すために重箱の隅を突いているように感じることもあります。
それも普段から不信感が培われているから…なのでしょうか?


気分を害された方にはお詫び申し上げます。

最後までお読みいただきありがとうございました

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