見出し画像

風のように存在したい

繰り返し繰り返し頭に浮かぶある心象風景がある。

周りには何の風景も見えない場所、白々と明るい虚空に浮かぶように駅のプラットホームがある。
ごく現代的な、特別風情も感じられないシンプルなプラットホーム。
私は一人でそのプラットホームにぼんやりと立ち「100年に一度しか来ない列車」を待っている。

待っているのだけど、どこかで諦めている。
期待はもうとっくに手放してしまった。期待し続けるにはエネルギーが必要なのだ。
期待が自分をどこへも運ばないことを悟ったから、いつしかそのエネルギーも消えてしまった。
そしてイエスの声なき声が聞こえる。
「何を待っているのかを忘れてしまった時、あなたはホームを吹き抜ける風になれるよ。」


今日はまたいつもの公園にコーヒーを持って出かけた。
公園のベンチで木々に囲まれて風に吹かれている時いつも「このまま風になって消えてしまっても何の悔いも無いなぁ。」と思う。
それは最高に気持ちよさそうだ。

聖霊はいつも風のように存在している。
風のように形が無く自由で、どこにでも遍在し、そしてすべてに浸透して充満している。
そんなふうに在れたらいいなと心からそう思う。
ベンチで風に吹かれながら、あなたのように存在するにはどうしたらいいの?と聖霊に尋ねてみる。

「『私』という個人が聖霊のように存在することはできないの。
個人とはどこまでも仮想の中心である一点に収縮しようとするエネルギーだから。

個人を『どうこう』しようとせずに、個人を聖霊の視点で見る努力をしてみて。
個人という肉体の視点から離れて、わたしと同じ制限の無い視点からあなた自身を見てみてね。
聖霊のように在るということは、心のレベルにおいてのみ可能なことなの。
あなたという個人が変化すること、では決して無い。
だからあなたという個人をそのままに受け入れて、ただ聖霊の視点からそれを見る努力をしてみて。(方法はわたしが教えるから)
肉体の目から見て物を考えるということには意味が無いということを、思い切って受け入れてみて。
聖霊と同じ視点で個人としての自分を見ることができた時、本当のあなたはその『個人』では無いことが分かるはず。
それが自由になるということ。
その時あなたは、自分が風のように自由で、中心を持たず遍在し、すべてに浸透しているということを体感として知ることができる。

あなたが肉体を持ちながら本当に自由になる道はそれしかないの。」

と、今日の聖霊とのおしゃべりの覚え書きでした。