いちごの花言葉 #スノタッチ

細けえ話は置いといて(※有料コンテンツだから)、昨晩のさく日読んで情緒ぶっ壊れなかったヤツいる?

いねえよなぁ!!?


このテンプレもう使われすぎて今更感がえげつないけれどももういいよそんな話は。そんな話ししとる場合やないんよこちとら。ゴリゴリな東北人やのにゴリゴリのエセ関西弁で捲し立ててしまうくらいにはそれどころではないんよ。

佐久間大介さんによる「Secret Touch」の解釈ブログが世に放たれたわけだけど、オタクはあのブログを電車の中で読み始めてしまい降りる駅を間違えそうになってしまった(間違えなかった)(えらい)。

これTwitterにも二百億回昨晩だけでつぶやいてしまったような気がするけど佐久間大介さんって自分の思考を自分の言語で語ることを避けているのか好まないのかはわからないのだけれどもとにかくあまり表に出さない印象がずっとあって、だからオタクは佐久間大介さんの思考との遭遇が起こらないことに油断していたというかどこか安堵すらしていた部分が少なからずあった。佐久間大介さんが考えていることは佐久間大介さんの頭の中にしかないという安心感がどこかにあった。メンバーとかスタッフさんとか、仕事として関わっている人にはもちろん話をしているだろうけれども、画面のこちら側の人間が理解ができるような形(それはつまり言語化なわけだが)にして開示してくれないことに対して安堵してしまっていたのである。佐久間大介さんは見せたくないものは見せないを徹底できるプロフェッショナルスーパーグレイティストアイドルだから、これまで開示が少なかった佐久間大介さんの「思考」みたいなものは佐久間大介さんがこちら側には「見せたくない」と判断しているものなんだろうな、と勝手に判断していた。だからオタクは駅のホームでそんな自分勝手に好きなアイドルのことを判断していた自らの頬を思いっきり殴ってやったのである。(殴ってないよ)(えらい)

それでもまだギリギリ今日まで命からがら生き延びていられているのは、佐久間大介さんが言語化した部分が「佐久間大介さん本人の考え」というよりも「Secret Touchという作品の解釈」だったからだと思う。はあよかった・・・・・。佐久間大介さんはこの曲の佐久間大介さんなりの「解釈」を言語化したわけであって、どうして歌詞を見て泣きそうになってしまうのか、というところまでは書かれていなくて・・・・・・・。ぎり、、、ギリ大丈夫である。(何が?)(そして大丈夫そうではない)

佐久間大介さん、以前雑誌(確認したら今月のWUでした)で、サウンドディレクターさんから「自分の考えをまとめたり、作詞の助けになる」との助言をもらい日記を書くようになったと話していて、そんなことをさ、この日の夕方急に思い出しちゃっていたんだよな。

佐久間大介さんはアイドルの佐久間大介(さん)として発している言葉しかオタクである自分はわからないけれども、実際の佐久間大介さん(実際の佐久間大介さん#とは)って自分の感情だったり周りで起こっている出来事についてどういう捉え方をしているんだろうな、まあ知りたいと口先で騒いでいるだけで本当は知りたくはないんですけど、知ってしまった日にゃあ大爆発するので、、、、、などという思考の結果が上のツイートである。

流石に怖くなってしまった、エスパーなんだろうな。もう。エスパーか?と疑うことをやめた。オタクはおそらくエスパーである。(そっか)

・・・・・・・・・・・・・・・・。

今手元のスマートフォンでさく日を読んでいたのだが、やっぱり上のギリ大丈夫ですという記載は撤回をしたほうがいいなと思い直した。

全然大丈夫じゃない。助けてください。


昨日からずっと言ってるのに誰も助けてくれない。当たり前である。こんな寒い部屋で一人「助けてください!!!!!!」と叫んでも騒音問題しか発生しない。オタクは自助が基本。自助できないオタクは死ぬのみ。

なんでだ?なんで急に解釈を言語化する気持ちになったんだろう、佐久間大介さん。結構無理だな。重症です。またしても衝撃に備えられなかった。いやこれに関しては備えられていたほうがどうかしている。テロだテロ。こんなものはテロ!!!!!!!!!(言い方)

まあんなこと言うても「なんで突然自分の解釈を言語化しようとする方に気持ちが振れたんだろう」という謎が永遠に解けないあたりが佐久間大介さんの魅力なわけなんですけれども。喋り方がマジでキモいな。帰ります。今家ですが。

もうすでに1700字超えていて佐久間大介さんが自分で読みにくいごめんと謝っていた佐久間大介さんの解釈ブログ以上の文量になってしまっているような気がするんですがここからが本題である。いい加減にしたほうがいい。佐久間大介さん、本当に読みにくいブログというのはこういう文章のことを言うので佐久間大介さんのブログはとても読みやすかったですよ。

佐久間大介さんの考察ブログの考察をしてしまったんですが(世界一不穏な書き出し)、

いかんせん有料コンテンツなので本文の内容に関する直接的な記載はしないのでもしこの意味不明ブログをここまでスクロールしてしまった方がいたら各々佐久間大介さんの10月23日19時更新のブログを読みながら補完してください。

佐久間大介さんの「思考」っぽい思考に直面したのが初めてで、かなり新鮮な感情の連続だった。佐久間大介さんって「感想」はよく書いてくれるイメージがあるんだけど「考え」はあまり出さないよなってな、さっきと書いてること同じじゃねえか。
一つ目として、佐久間大介さんってこれは配信版そスの時から感じていたけれどもひらがなカタカナ漢字を結構細かく使い分けていると思った。(「モノ」とか)この後の漢字をわざわざ書き換えているあたりとか見るに、今回のブログは解釈を表に出すから余計神経質になっていたんだろうけれども。となると佐久間大介さんは日頃かなり勢いの良い文章を書いているけれども実際に自分の思考を整理しようとしたときに丁寧に自分の考えと言葉と向き合っているんだろうなと思った。めちゃくちゃええやんそんなの。(偏差値2)
あと自分が抱いている感情を言語化するときに言葉を飾らないタイプというか、浮かんできた言葉を、感情を表す言葉に言い換える作業をしないでそのままストレートに表現するんだなということも勝手になんとなく読み取った。(本当に勝手)
自問自答というと少しまたオタクが言いたいことと違うんだけれども、セリフ(というか話し言葉というか)として感情が浮かんでくるんだなという感想。佐久間大介さんの解釈の中で、おそらく歌の主人公が抱いているものと思われる問いかけや疑問、不安が書かれているわけだけれどもオタクが書く文章だったらおそらくこういう部分は何かしら別の言葉に言い換えたりしてしまったりするのだが、佐久間大介さんの場合主人公が抱いた気持ちをそのまま受け取っているんだろうなと思ってしまったんだよな。何言ってんのまじで。いやオタクに言ってんだよ?お前だよお前!
変に言葉をこねくり回すことをしないで素直に素直に感情を受け止める佐久間大介さんのことが佐久間大介さん(大好き)だなあってめちゃくちゃ思いましたね。(寝なね)

そしてこれだけ素直に主人公から湧き出てくるであろう感情をストレートに自分の中に落とし込んでいるのに、どこか客観的なんだよなずっと。この辺りが非常に非常に非常に非常に興味深いなと思ってしまった。佐久間大介さんが解釈した(佐久間大介さんの中にいる)主人公から湧き上がってくる感情はすごく素直だし、なんとなく日頃の佐久間大介さんの憑依型とも取れるパフォーマンスを見ているとその感情のままに動いているのかと思ってしまうんだけどそうではないんだろうな。感情を司る部分とそれを客観視する部分と、佐久間大介さんって二人いるんかな・・・・。全然何言ってるのかわからないと思うんですけど私が一番わかっておりません。なんでそんなことを思ったかと言うとこれだけ主人公の感情がそのままの形で佐久間大介さんの中で湧き上がっているのにその感情の処理のされ方が「確定」という言葉でまとめられてたところなんですよね〜。嘘でしょ?確定ってかいただけでこんな長い考察文書かれちゃうの?アイドルは大変な職業である。
いや後もう一つある。歌詞の中にある「視線」に「触れ」るという表現が好きな理由である。(理由自体は本文をご参照ください)(こんなところまで読むオタクはおらん)
すげえ客観的じゃないか?ちゃんと、日頃「もの」は「もの」として(視線はものとして処理していいのかはここでは論点ではないので論じないが)見ているからそういう発想になるんだろうなと思った。これはオタクと次女の会話ですなわち世界一不要な会話なのだが、次女もまたこの「視線」に「触れ」るの部分が、「対象と動詞がちぐはぐなのいいよね〜」と言っていて、なるほどそう感じる人もいるのかと思っていた。マジで永遠に適切な表現が何一つ使えてないままブログを書き続けているが、言い方がすごく雑になってしまうけれどもロマンチストというかポエティックな思想をしがちな人間って「視線」が「触れる」という表現に、魅力は感じてもちぐはぐな印象は持たないんじゃないのかなと思う。オタクは文章を書くのが好きで物語チックな文章を書いたりもすることがあるので(とんでも地雷発言)、初めて聞いた時から「視線が触れる」という表現(もちろん好きだけれども)にそこまで目が行っていなかった。ここに気づくのってすなわち日頃「視線」は「視線」として客観的に処理しているからなんだろうなと思う。一切の主観が入り込んでこない感じ……。もう意味がわからないですよね、私もです…。
それすなわち(強行突破)佐久間大介さんは「そこ」にあるもの、自分を取り巻いている外界を現実的というか冷静に捉えているんだろうなという視点が垣間見えて大変興味深かった。ダンスパフォーマンスは感情的な印象があるし(技術的にはどこまでも意識が行き届いているので感覚で処理していないことはわかるのだが)、レコーディングビデオを見てもアウトプットのときは感情に軸を置いていそうな感じがあるのに、そのアウトプットの前の曲の解釈すなわちインプットの時は感覚的に捉えるというよりも理論的に落とし込むタイプなんだ・・・・(この曲に関してはだが・・・・)とか思っちゃってもう腱鞘炎になりそうです。腱鞘炎になりそうなのは4000字を超えたからです。

つ、疲れた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


(それはそう)


佐久間大介さんってさあ、初めて見たときは、funnyなにいちゃんだな〜!と思って気になったはずなのにさあ、今となっては佐久間大介さんのinterestingさにさあ、こんなズブズブなルー大柴になってしまっているわけだよ。そう、佐久間大介さんの「おもしろさ」の真髄ってfunnyじゃなくてinterestingなんだよね多分。うるさオタクがすぎるな。本当にいい加減にしたほうがいいよ。


とここまで書いてなんとここから佐久間大介さんがSecret Touchの大考察文を放出してくださったのでオタクも真似して大考察文を書きます。全オタクブラウザ閉じてください!(?)


オタク個人的になのだが、この曲めちゃくちゃすけ(好き)なんですわ。初めて聞いたとき普通に泣いちゃった。

二回同じこと書くの急にめんどくさくなったので(情緒やば)解禁されてすぐのツイートを引用しました。とにかく自分が好きなタイプの曲。
オタクは大学時代に友人が言っていた「本当に自分が好きな曲=体調がすごい悪い時にも聞きたいと思える曲」という説を聞いてなるほど納得した経験があり、オタク個人的な話をすればELTとか坂本真綾さんとか幼い頃から聞いてきたそういう曲がまさにそれなのだが、今回のSecret Touchに関しては同じカテゴリに入るな・・・・、などと思っていた。歌詞が綺麗で景色が浮かんで透明感がある曲というか・・・・・。ポエマー?

解釈というか、聞いたままの景色が本当に綺麗なので聞いたままの景色を思い浮かべるだけでこの曲の解釈完了!みたいなところはあるのだが、オタクがこの曲の中で好きなのが、風景の揺れと感情の揺れとがリンクしているように思えるところにある。その揺れは決して激しいものではなくて、本当にゆらゆらした穏やかなものだと思うんだけれどもそれでもその中に見え隠れする不安とか幸せとかがまだ何もわからない状態のままゆらゆらしている感じがしてすごいすけ(好き)。風景って書いたけど特に「光」の表現がめちゃくちゃスッキャねん・・・・・・・・となる。

木漏れ日っていうそもそもゆらゆらした光の中を歩いている二人の影も揺れている景色が思い浮かぶし、通り雨の雨足の強さだとかも勝手に思い浮かべちゃってるし(勝手)なんなら雨上がりの夕焼けまでオタクは想像してしまっているからな。なんなんだ本当に。佐久間大介さんの解釈に少し話が戻るけれども、佐久間大介さんが一連の解釈の最後に添えた言葉は、佐久間大介さんのこのサビ前のソロに集約されていると思う。なぜなら通り雨は通り雨に過ぎないからである。どんなに雨足が強くても、いずれ通り過ぎる通り雨に、大切な気持ちを隠したのである。

あといま世に出ている歌詞の中で一番すけ(好き)なのが、「朝目が覚めて涙したのは」という部分なんだけれども、これほんっとうに世界一泣けません?????泣けるよね!!!!!!!!(うるさ)
朝なんだよ、朝なの!!!!!!(そうだね)
夜流す涙とは訳が違う。こんな綺麗な涙はない、マジで。朝目が覚めて一番最初に思い出して涙が溢れてくるなんて本当に純粋な気持ちだろうし、本当に好きなんだろうな、というのがこの一フレーズで死ぬほど伝わってくる。死ぬ。(死なん)
目覚めて思わず頬を伝う涙が明るい朝日の中で光るのが見えて、もうオタクは耐えられない。オタクはここで毎回号泣してしまう。
そしてこれは全オタクがすけ(好き)でしょうが「帰り道の夕陽」。もうこれはなんも言わんでも自明なので割愛します。(?)帰り道の夕陽ほど切なさとあたたかさと優しさを内包した陽の光はないと思う。割愛するんじゃなかったの?


例によって例の如くやりたい放題になってしまいましたが、上述した情景描写のほかに、この曲を何回か聞いてどうしても引っかかるフレーズがあった。strawberryである。いちご・・・・?
オタクはなんやかんやで原作1巻しか読めていないので、てっきり原作にキーアイテムとしていちごが出てくるんか・・・?などと思ったりしたのだが、最新刊まで確認している次女に確認したところいちごは出てこないとのことだった。

となると・・・・

調べてしまった。オタクは花言葉がだいすけ。

ラジオ音源を聞いて花言葉を調べたものの、花と歌ってはいるもののそのままの意味でのいちごなのか(いちごという果物がそもそも恋という心情の比喩として合っているとは思うので)花言葉の意味を埋め込んでいるのか、どっちなのかなという状態だったのだが、翌日YouTubeで公開されたRec.verを見たときに、後者なんじゃない・・・?という思いがかなり強まった。

動画の冒頭描かれているのがいちごの花なので、多分花言葉としてなんだろうなこれ・・・・・という気持ちになった。

オタクは原作一巻だけは読んでいて、昨日放送された3話からはドラマで内容を知るような形になってきてしまっているのだけれども、それでもこの物語の中に流れている「好き」という感情への向き合い方(?)と、上に書いたいちごの花言葉は一致しているとオタク個人としては感じている。この物語の登場人物はみんな、誰かの気持ちを軽んじるようなことがない。それはこの物語の冒頭、青木が橋下さん(青木だけ呼び捨てにすな)を庇ったところからずっと一貫しているように思う。全員が自分の感情だったり相手の感情を尊重して、真剣に向き合っているからこそ青木と井田の視線があったり合わなかったりに視聴者もまた一喜一憂するのだと思う。あとは橋下さんのかわいさに沸いたり沸いたりするのだと思う。橋下さんのかわいさにずっと沸いているオタク。橋下さん!あっくんじゃなくて俺にしておけよ・・・・・!!!!!!!

橋下さんがあまりにもかわいくて取り乱してしまいました。

話が橋下さんになってしまったが(それはそれで最高だけど)、このいちごの花言葉が言い表す「愛情」がどこまでの規模感のものなのかはわからない。けれども、ラブを広く知られたラブの定義に無理矢理押し込める必要はもうないと思うし、好きをラブかライクかで分けるのももうナンセンスであるとオタクは考える。誰かに対して抱く感情を、他人が定義づけた言葉の範囲内で探すのはもういいんじゃね〜?と思う。自分がその人に抱いている感情は広く愛情であるにしても、誰かが決めた意味に囚われる必要はない。マジでないよね。男だから好きとか女だから好きとか男同士が女同士がとかそういう話ではなくて誰かが誰かを好きなんだから、自分がその人のことを大事に思っていて、大好きなんだからもうそれで良くない?なあ!世界!

オタクは精神衛生を守るためにパブサをほぼしないのでこれに関しては(というかここまで書いた長文全てについてはほぼ)既出であるとは思うのだけれどもまあ気にしない気にしない!ガッハッハ!!オタクは全員大考察作文がだいすけ。

・・・・また主語がバカデカになってしまった。主語がでかい人間には何をやらせてもだめ。つまり長文を書かせてもだめ。本当にすみませんでした。いつも最後謝っている気がする・・・・・。反省をしろ・・・・・。謝らずに済むnoteを書くべきである。

はーよかった。何を呑気なことを言っているのかと言われるかもしれないがオタクは本noteについて10000字を超過してしまうのではないかと冷や汗をかきながらiPadと向き合っていたので、無事7000字に収まったことに安堵してしまったのである。よかった〜。







もうね、全然良くない。©︎渡辺翔太

改めまして本当に、意味不明な長文を書いてしまい重ね重ねすみませんでした。

Secret Touch全形態とりあえず二枚ずつ予約したので何卒ご容赦ください……。


おしまい


(2021.10.25追記) 動揺しすぎて一番インターネットに書くべき佐久間大介さんへの謝辞を書いていなかったことに今気づいた。失態も甚だしい。本当にすみません…。
佐久間大介さん、佐久間大介さんのSecret Touchの解釈を教えてくれてありがとう。オタクは上記の通り動揺してしまったのですがその動揺を超えるくらいありがたいなあという気持ちになりました。でも佐久間大介さんもオタクだからオタクが動揺する時って喜びの場合も多々あるということはおそらくご存知だと思うんだよな…。まあこのnoteはインターネットという虚空に響き渡っているだけだけれども…。それでもオタクは佐久間大介さんへの謝辞を書くぞ。

寝ろよと思いました??なんとド朝です!!!!!!!!!(永眠)

佐久間大介さんいつもありがとうございます!!!!!!!佐久間大介さんが今日もあたたかい概念の中で過ごせますように!!!!!!!


本当におしまい

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