ミッフィーの便箋が机の上にある

こんなに突然くるものか、と思った。

衝撃に備えることなど、実際のところ到底無理なお話なのである。

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リュックのポケットからひょこっと顔を出している佐久間大介さんのお顔を見た瞬間、その衝撃は訪れた。通勤バッグの中に佐久間大介さん(のアクスタとお写真)は入っているのでいつも見て元気をいただいているのだが、今日は元気をいただくだけでは済まなかった。

「さ、佐久間大介さんに謝辞をお伝えしたい・・・・」

そんな衝撃によって脊髄反射の如くわたしの両足は動きだし、退勤後気づいたら文具屋のレターセットコーナーにいた。片手で簡単に言葉が打てて、遠く離れた友人や両親ともコミュニケーションが取れる便利なこの時代において、レターセットは単身アラサーの必需品とは言えない。まずは便箋を買わなければならない。まずは便箋を買わなければならない。(血眼)

桜を始めとした繊細なお花が書いてある便箋もあった。いちごやももといった、ピンクの食べ物をモチーフにした個性的なレターセットもあった。その中で、特に派手というわけではないけれどもこの便箋を買った。
色があまりにも優しくて泣きそうになってしまったのと、万一佐久間大介さんがこの封筒を手に持った際、「ミッフィーちゃんの封筒を持つ佐久間大介(さん)」という個人的にとんでもない情報量とカロリーを含んだ概念が爆誕するという可能性が輝かしすぎたからである。(ミッフィーも好きなので)
それになんとなくミッフィーと佐久間大介さんは似ているような気がする。この世に存在する「かわいい」の概念が含まれる存在、全て佐久間大介さんと似ていると思ってしまうのですが・・・(判断力欠如オタク)

そういうわけで購入した便箋が今机の上にある。

未開封の状態で机の上にある。

なぜ開封すらしないのか?

ファンレターの書き方がわからないからである。

そもそもファンレターってなに?わたしは佐久間大介さんに謝辞を送りたいだけなのですが・・・。ファンレターって謝辞?まあいいか、これだけダイバーシティが謳われている現代社会なのだからファンレターの定義もまた人それぞれでいいはずだな。

ファンレターは謝辞。

謝辞を書きます。


ファンレター、全く書いたことがないわけではない。記憶が遠いのだが、相葉雅紀さんにファンレターを送った記憶はある。恐らく中学生くらいの頃。内容については思い出せない(というより思い出したくない。他の方はともかくとして、自分が中学生時代に生み出した文章、思い出したくない文章No.1)。

ファンレターを書いたのはその1回きりで、それ以外は基本的にインターネット上でギャーギャーと推しの存在のありがたさに声を大にしてお礼を叫び続けるオタクをしていた。どちらかというとアイドルというビジネスに対してお金をしっかり払うことによって推しへの感謝の意を示したいので、ファンレターを書かずとも、円盤やグッズの購入ができれば十分最高ハッピーオタクライフが送れるタイプだったのである。

そのスタンスは基本的に揺るがないが、佐久間大介さんを見ていると、お金を払うだけじゃ申し訳なくなってきてしまったのである。お金を使ってグッズを買うことはかなり最高のオタ活だと思っているのだが、佐久間大介さんの場合、ブログの密度の濃さだとかweiboをまめに更新してくれるところとか、ファンへの気遣いがあまりにもあまりにもあまりにもあまりにもあまりにもあまりにもエグエグアイドルなのである。佐久間大介さんのプライスレスな気遣いに対して、「お金を払う」という行為そのものにはそれほど時間がかからない(貧困層なのでその金を捻出するためには時間こそかかるものの)という点が、わたしが推しに対して(勝手に)申し訳なさを感じた所以なのだ。

推しがメディア露出や舞台のお仕事真っ只中、ただでさえとんでもなく忙しい合間を縫って自分の日々の出来事や感情を、余すところないんじゃないかと思うくらいの文量を割いて優しい言葉で文章としてまとめて、舞台裏の様子を動画に撮ってファンに共有してくれて、かと思えば襖からキュルキュルのおめめをのぞかせとる。

あ、そういえば突然ですが先日のすの日常TheMovieで一句川柳が読めました。

ふすまから 覗く瞳が So cute(五・七・五)

ありがとうございました。(?)

話を戻しますが、
いやいやいや、これらをもはや「コンテンツ」という言葉で括るのはあまりにも乱暴すぎる。全く言語化がうまくいきませんが、わたしの中でのアイドル業界についての考え方である「コンテンツに対してお礼としてお金を払う」という基本的なビジネスモデルからはみ出ているのである。佐久間大介さんの振る舞いは。佐久間大介さんという存在は。

「ウーン、お金はもちろん払っているし、これからも写真やグッズをたくさん買ったりとか、そういうことはできるけど、佐久間大介さんという存在はもうなんか、お金を払って「はいありがとうございます」では受け止めきれない、、、」になってしまった。(激重オタク)

そういう気持ちがこれまでなかったのかと言われればそういうことはなくてここ半年の間Twitterなりnoteに書きだめた数々の駄文に託してきたわけだが、もう行くところまで行ってしまって、「いや、大人として自分の発言に責任持って謝辞を伝えるべきだろ」という意味不明な方向へ舵が振り切れてしまったのが今日の夕方、佐久間大介さんの(アクスタの)笑顔を見たときだった。

まああの便箋買ってきたはいいもののクソデカ感情が思った以上に言語に落とし込めなくて全然書き進まないので書いたマジで意味不明なnoteです本当にすみませんでした。

わたしが知りたいのは「個性的な文章の書き方」とか「印象的なデコり方」とか「返事のもらいやすいファンレの書き方」とかそういう話ではなく、書きだしが「拝啓 佐久間大介様」でいいのかということなので有識者の方は何卒ご教示願います。

あとファンレってあとターだけなんだからターまでいってあげなよ、ターの気持ち考えたことあんの?

そんなこと言ってたら便箋開封しないまま日付変わってしまいそう。何をやっとるんだまじで。

佐久間大介さんが今日も好きなアニメを見ておいしいご飯を食べてあたたかくて柔らかいお布団でぐっすり眠れますよう。


おしまい

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